劇評

F/Tで上演された各作品、企画についての劇評アーカイブです。
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狂気のおかれる位置


 狂気と一言にいっても、それはどのように形作られているのか。少なくとも、狂気の位相は、時代によって可変的なものである。もはや、現代の古典といえるフーコーの『狂気の歴史』には、狂気が扱われた古典から近代にかけての歴史を通すことによって、西洋を覆う狂気の思想までが書かれる。それは、監視や精神医学という問題と連関し、現在の社会に至るまでの狂気の問題が、理性の関与とともに提示される。

 ただ、それはなにも西洋に限ったことではないだろう。魯迅が生涯をかけて求めた、中国近代における文学史と文学なるものを作り出すことと同様に、『狂人日記』にも狂気のおかれた位置のゆらぎはある。おそらく、そこには西洋と東洋というような区分けではなく、構造的に社会が包摂と排除を繰り返す、狂気と理性の問題がある。
 中国の新青年芸術劇団が上演した『狂人日記』は、まさにそのような形での狂気とはなにかが問われた舞台であった。それは、逸脱や歪曲をできる限り避けて、原作の『狂人日記』に忠実に寄り添うように上演されたからこそ、『狂人日記』を読むだけでは分かりづらい問題がより明確に現れた。
 舞台の上にさらに設えられた、観客席からはややもすると見上げるような高い舞台には、無数の瓦礫の山が散乱して置かれている。その瓦礫の中を掻い潜るように俳優たちは、演技を遂行していく。
 実際、魯迅の『狂人日記』という短編の筋は、シンプルなものだ。ある被害妄想狂の男の日記を読むという体裁をとっているが、基本的に狂人とされた男の視点から物語は進行する。その男は、常に周りの者たちの視線が、自分を見ていることに気づく。なぜか。彼らは自分を食べたいから見ている。そして、自分の兄もまた人間を食べている、彼らを改心させなくてはいけないが、うまくいかない。代わりに自分が閉じ込められ、そこで彼は、妹もまた兄に食われたこと、また自分もそれを食べていたかもしれないことに思いいたる。そして物語は終わる。たったこれだけの短い短編である。
 しかし、そこからは、自由にメタファーやアレゴリーを引き出せる。また、カニバリズムが生みだす恐怖という問題も、西洋と東洋を問わずしていつの時代もある。そもそも人肉食というのは、なにも飢饉のときだけでなく、未知なる対象や他者を前にしたときに現れる恐怖が生むものだ。舞台では、その重いトーンを引きずるように、時に激しくかき鳴らされる音楽と、俳優たちの叫びや集団的な身振りの行為が、空間を満たすように演出される。
 そして、作品に忠実に演出されるといっても、特に焦点が当てられるのは、最後の妹の肉を食べたことについて語るシーンだろう。そこでは、狂気というものが反転して現れる。ある時点までは、被害妄想狂の男自身が食べられてしまうことへの恐怖であったのが、最後のシーンでは、人肉食に自分も係っていたかもしれないことに変化する。妹の肉を食べた兄、それが食事に出されて自分も食べてしまったかもしれないこと。正常と狂気を区分する境がなくなり、狂気をまとっているものは周りだったとすることはもちろんだが、その社会に自分もいるということを悟るとき、ではなにが狂気を措定しているか、という問題に狂人は行きあたる。
 たった一人の理性を保持しているものが、狂人たちに取り囲まれていたとしたら、狂人とされるのは一人のものの方だろう。だが、そこからさらに一歩踏み込むように、執拗に演出され、叫ぶ男の俳優は、狂気というもの枠が理性との間で完全に融解していることを示す。それは、狂気を包摂する共同体や社会に対して、もしくは社会的に正しい振る舞いをしていると思っているものに対して、なにをもって正しさなどと言うものはあるのかを突きつける。
 そのために、演出は確かにオーソドックスになされている。しかし、その正面からなされたシンプルな演出だからこそ、俳優たちの身体の強みは現れた。少なくとも、このような形で正統に演劇なるものがまだ社会に対して、さまざまな問題を提起することができることを示したといっていい。それは魯迅の小説と同様に、近代文学ならぬ近代演劇の可能性を問うている。そして、近代文学であるからこそ、それは正面からいまある社会に対しての問題を問うことができるのではないか。
 むろん、それは原作があるとおり、具体的な中国社会とか、国際関係論といったような形では現れていない。しかし、魯迅の小説同様に、そこから観客はさまざまな読み込みを可能にする。日本では「近代文学の終わり」が言われて久しいが、近代文学の終わってしまったあとで、いかに再び近代の可能性を構築することができるのか。それは近代演劇でも同様だろう。
この可能性を正面から作ろうとした『狂人日記』は佳作であった。

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