劇評

F/Tアワード選評

F/Tで上演された各作品、企画についての劇評アーカイブです。
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選評


 アーティストが「emergingする(*)」というのは、あるいは、アートの場に誰かが新たに「現れる」というのは、何を意味するのだろうか。アーティストは(年齢と経歴とは関係なく)今日の芸術に可能なことについて、何か新しいビジョンや方法論を見つけられるのか。同時代の芸術における議論の中で最も重要な問題はいかなるものであれ、それがアーティスト個人にとってはどれほど重要なのだろうか。今日の芸術において、アーティストは何が出来るのだろうか。

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剧评

吴文光

  在东京艺术节F/T担任Emerging Artists Program 2012评委期间,所看的11部剧场作品中,最想写点评论的有三部作品,第一部是《固定价值》(导演:谷龙一)。作品主题是提出一个严肃而巨大的问题:质问商品与市场改变人的价值。但是,演出却以一种轻松、甚至带游戏方式进行,即演员让观众"出钱点戏",由此"导演"戏剧的进行。这种将"导演权力"转让给观众方式,绕开了"商品市场与人的价值"的复杂解读,实则利用游戏把剧场转化为所要解答的问题本身。

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F/T公募プログラム選評(2012) 小さな身振りか大きな身振りか? ――身振りの思想性、その演劇との関係をめぐって――


 私はここで公募プログラムの審査結果発表会で問題にされた、作品評価の基準としての身振りについて問題にしつつ、幾つかの作品について分析していきたいと思う。作品を評価するにあたって、大きな身振りによって上演されたものと小さな身振りでしかないものとでは、大きな身振りの演劇のほうがより優れているのかどうか、作品を評価する基準として、どうやら大きな身振りによって上演された作品のほうが高く評価されてしまうのは致し方のないことなのではないか、そういった見解が述べられたりもしたこの審査結果発表会は、私にとって、演劇の評価基準における身振りの問題を改めて考えるきっかけになったし、また公募プログラムにおいて上演された作品をどのように考えるべきか、ということを身振りの視点から考察する出発点にもなった。
 ということで、私はこの問題を軸に据えて、2012年度のフェスティバル・トーキョーの公募プログラム作品について考え、そして、その審査結果が、最終的にどうしてそのようなものとして決着したのかについて考えていきたい。

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フェスティバル/トーキョー12 公募プログラム 選評


200件近い応募の中から、たった一つの作品にF/Tアワードを授ける。それはなんと多くの困難をはらんだ行為だろうか。私はこの公募プログラムという枠組をつくり、その応募対象をアジアに拡大し、さらにアワード制度を作った張本人としてこの困難を自覚してきたつもりだが、今回はこれまで以上にその困難さと向き合うことになった。もともと公募プログラムは、若手劇団の自主公演をサポートする目的で創設された枠組であり、ディレクターが設定するテーマや価値観を強く打ち出す主催プログラムに対して、まだ評価の定まらない多様な表現を複数紹介し、劇場(シアターグリーン)の無償提供や制作サポートによって柔軟に支援していこうという意義で考案された。当初は国内の若手劇団を対象にしていたものが、前年度よりアジア全域に対象地域を拡大したことによって、アジアというパースペクティブの中であらたな意義と様相を帯びることになった。一言で言うならば、個々の作品として立ち現れてくる表現の独自性はもちろんだが、それらが立脚する文脈や歴史観、社会状況の多様さがより前景化し、それらを単純に比較し批評することが困難であることがより明らかになったのではないだろうか。しかし、それでもアワードは決めなければならない。作品を問うている側が、同じだけ作品に問われる。それが今回の公募プログラムの、私なりの苦しくも豊かな経験であったことを最初に記しておきたい。

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選評


フェスティバル/トーキョー公募プログラムの審査員として観た11作品のうち、特に劇評を書きたいと思えるものが3作品ある。
一つは『不変の価値』(構成・演出:谷 竜一)で、厳かで大きな問題をテーマとしている。商品と市場が人の価値を変えてしまうことを問いただすものだ。しかし、舞台は気楽な感じで、更にはゲームのような形式で進行する。役者が観客に「有料リクエスト」として作品を「演出させる」のだ。このように「演出の権力」を観客に委ねる方式は、「商品・市場と人の価値」という複雑な謎解きは避け、実際にはゲームを用いることで作品を答えるべき問題そのものに転化しているのである。

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選評


基本として、それぞれが提案する「コンセプト」が、どう表象されたか、どのように舞台表現となったか、いかに作品化されたか、その手続きに注目していた。質にばらつきはあっても、どの集団のコンセプトも、おしなべて注目すべき部分があり刺激的だ。実作者として興味深くそれを観ることができ、すべての集団に敬意を表したい。だからなおさら、それがどのように実現するのかを考えざるをえず、作品そのものに創作の過程が刻まれるのを見る。成功しているか、まだ、そこまで達していないか、集団としての創作力はどうだったか。あるいは、コンセプトだけが先行していないか。その見極めが審査の基準になる。というより、そもそも創作とは、あるいは「作品」とはそのようなものとして観客に届けられるものではないか。

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公募プログラム審査について


 公募プログラム審査にあたるのは今年が2回目だが、昨年以上に、国際フェスティバルの審査というのは実にむずかしいという思いを抱いたまま、また、「これを推そう」という決意ができないまま、審査会に臨むことになった。とはいえ、以下のようなメモをそれぞれの作品について準備し、あとは、審査会での議論の推移を見て、というつもりだった。以下、そのメモをまず再録するが、審査会の席上、あるいはそれ以降明らかになった事実誤認等も含まれているものの、誤字脱字の修正以外、一切編集していない。

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