劇評

F/Tで上演された各作品、企画についての劇評アーカイブです。
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災難競争の時代、まさに再現戦略

キム・ナムス

 映画《Hiroshima, Mon Amour》で男性の主人公がアドバイスするように、外から来た人の感覚には許されることと許されないことがあります。即ち、すべてを見ても、見なかったことになるかもしれないということです。許されたことは目に見えるが、それがすべてではないのです。許されなかったものを見るということは、再現されたものを超えて再現されなかったものと一緒になるということです。


 モーリス・メルロー=ポンティが「見ることは生きることだ」と述べたことがありますが、これは見ることというのが、身体がその体験の領域に介入するという意味です。たとえば、土方巽が死の深淵で燃えたような身体を立たせる、その閃光のような一瞬を考えてみましょう。その場面を見ると、我々はその瞬間を一緒に生きていると、メルロー=ポンティのようなことが言えます。それは驚くほどいつもそうです。それはもはや神秘主義ではなく、実在です。この暗黒舞踏の創始者は広島の炭化された身体から非人間の生命力を呼び出し、人間の領域に出現させたと言っても過言ではないでしょう。死と生、見えるものと見えないもの、暗黒と一条の光、遅さと内在した力動のように、終わらない隙間を生み出さざるを得ない対称性の構図は、彼の舞踏が現在まで我々に訴える力です。

 もしかすると私はフェスティバル/トーキョーからそのようなことを望んだのかもしれません。しかしこのような欲望を持ったのは主観的な想像ではなかったのです。このフェスティバルのプログラム・ディレクターの相馬千秋氏のおかげです。彼女は2011年の春にソウルで会った時に、意味深い話をしました。以下はその当時の記録です。

 国立劇団の庭で私は相馬氏とF/Tのスタッフに会った。彼女たちは日本の状況をそのまま表していた。悲劇では表現できない、文化に一回も汚染されたことのない、ある匿名の生命の表情をしていた。それを望まなくてもそうするしかなかっただろう。

 なにより驚いたのは相馬氏が語ってくれた一連の話だった。彼女は3.11の連鎖反応が起きた時にパニックに陥ったと述べた。それから一か月が経ってから、F/Tに参加予定のアーティストを集めて意見を聞いたという。私にこの光景は四方から集まった草原の戦士たちが行うモンゴルの会議、クリルタイを連想させた。非常事態で厳重な表情の顔が、重大な問題を議論するその場を想像したのだ。それからF/Tを再開することにしたと述べた。

 「我々にとって東京はもはやホロコーストや長崎のようなものです。電力が制限されている中で、劇場で演劇をやるというのがどういうものでしょうか。我々はこのように宣言したいのです。劇場を捨てて、街にでよう。これは寺山修司のパロディに見えますが、それよりももっと根本的な質問を投げたことでもあります。演劇が劇場と一体だということは自明なことに思われましたが、もう一度懐疑の対象になったのです。歴史のある時期の今と似たような状況で、誰かは演劇をやろうとしたに違いなく、良くない条件の中で作られた演劇も確かに演劇だったはずです。それで我々は質問するのです。果たしてこのような条件で演劇とはなにか、どうあるべきなのか、と」

 私は相馬氏が投げかけた「演劇とはなにか、どうあるべきなのか」というところで軽い戦慄を覚えた。21世紀に変わりながら、多くのことの終焉が宣言された。しかし文化と自然の境界あるいは死と生の境界に立った人間、崖の前に立った人間の顕示、崖の前で出す息の顕示ということで考えると、演劇はまだすべきことがあるだろう。演劇は最初から自己保存の身振りから、固有のやらなければならないことから始まったのではないか。

 もちろん私は演劇のすべきことについての話を、内閣参与の身分で来韓した平田オリザ氏の公演からも聞いて、日本のゼロ年代の感受性を身振りと言語の不一致する対位法的なリズムの演劇で見せる岡田利規のインタビューからも聞いた。しかし私のこの一年を支配いたのは相馬氏の「演劇とはなにか、どうあるべきなのか」という質問だった。演劇は本来どういうもので、なにをするべきか。そして日本で開催されるメジャーのフェスティバルに参加する作品が、「貧しい演劇」、「裸の演劇」になって街に出るとは。これから韓国の演劇はこのような絶対的な他者の動きをどのように見極めて一緒に悩めば良いのか。否、こんな動きに気付いてはいるのか。突然わからない恥ずかしさが襲ってくる。

 韓国の舞台芸術界を考えなければなりません。代表的なフェスティバルのソウル国際公演芸術際(SPAF)は「どれでもいいのだ」のような態度でこの十年を浪費してきて、結局は多くの作品が配置され作られる「星座」タイプとは遠く離れている哲学の貧困が目立ちました。もちろんフェスティバル・ボムのようにジャンルを超越して芸術と政治の間で新しい冒険を進める行事もあるが、このフェスティバルは「ダウォン芸術」を標榜しています。これは演劇界の外部、前向きに捉えても演劇界の端というニュアンスを持っています。なので、韓国側の視野が狭すぎたと反省しました。すなわち、日本で行われている世界史的な事件の流れを注目しない「隣人」として生きているのは恥ずかしいことです。これは「見方の倫理学」に関する問題で、存在論的な危機に直面した他人の顔にどう向き合うかという省察の問題なのです。結果的に相馬氏の話が私を目覚めさせ、その内容は私の心の中でF/Tのマニフェストになりました。ひいては「裸の状態」の演劇、「例外の状態」の演劇が、どう可能になるのかという好奇心が加わりました。それは再現を巡る舞台芸術の古臭い争点を一気に乗り越える問題意識でもあったからです。3.11は日本に限られたことではなく地球レベルの大災難だが、それによる芸術のパフォーマティブな転換は新紀元を画するように思われました。

 F/Tでまず注目すべきものはピーチャム・カンパニーの《復活》でした。これは相馬氏が宣言した「街に出よう」にある程度一致する公演でした。東京タワーが見える公園という野外の空間で福島の祭儀に当たる演劇が広げられました。なによりこの作品に興味を持ったのは、中沢新一のいわゆる対象性人類学という概念を変容したと語っていたからですが、ある程度はその側面が存在していました。福島の災難が連鎖的に起きたときに、捨てられた犬たちは招魂により東京までやってきました。人間と自然の間の対称的な関係が壊れてしまい、結局「圧倒的な非対称」の状況に直面したこの全面的な条件化は、3.11に対する日本の演劇の応答のように思われます。

 これには日の丸や自衛隊に象徴される日本の過去軍国主義の悪霊が出没したり、分裂症を病んでいるヒステリーの惨劇と自殺の衝動が広げられて、同時に福島を治癒するための新しい動きが並置されたりします。要するに複雑な状況だということですが、これは柄谷行人が力説する次の話にまとまるでしょう。「今年の3月まで、一体何が語られていたのか。リーマンショック以後の世界資本主義の危機と、少子化高齢化による日本経済の避けがたい衰退、そして、低成長社会にどう生きるか、というようなことです。」(『週刊読書人』「反原発デモが日本を変える」より)

 簡単に言うと日本が直面している非対称的な災難はひとつだけではないということです。これは日本のみならず、世界全体が該当するもので、結局複数の災難が幽霊のように徘徊しており、ついに災難同士で競争をしているという事実です。《復活》で問題の鎖として叙事を構成するのは、結局のこの災難競争のドラマだと言えるでしょう。確かに我々は極端な資本主義社会の中で、低成長、下流、ゼロという言葉にいつのまに慣れているようだが、新しい災難が押し寄せて災難の恒久的なシステムを喚起させています。

 《復活》そういう意味で非対称性と対象性が相互対抗する演劇の可能性が十分あります。これは東浩紀が『動物化するポストモダン』で、小さな物語への欲求から生じる「解離的現象」―短期記憶の断絶―とは異なります。むしろ破片になった全体として、災難の競争構図が生み出す政治的な次元を、結局人間と自然の間の対照的な運動にさせる意図が連続的に見えます。このようい辿り着くと、我々は《復活》を「見ることは生きることが」という体験の領域で見ることができるかもしれません。

 しかしこの演劇は二律背反的です。サイトスペシフィックであると同時に、再現の演劇であるからです。これは矛盾してぶつかるはずです。韓国の美術理論家クォン・ミヨンは『ある場所、その次ある場所』という著書でサイトスペシフィックとは結局流動的な場所の意味を通して、瞬間の共同体を作り出す問題だと指摘しています。これは場所と空間が全く異なる意味を持っているということですが、《復活》は演劇の舞台という「空間の代用」として公園を使っているという、多少ゆるい思考に浸っていると言えます。場所はそのもの自体の記憶と歴史を抱えている「襞」の空間なので、再現的な空間演出とは必ず矛盾します。こうなってしまうと、「劇場を捨てて街に出よう」という宣言が不明になってしまうところもあります。

 それで再現の完成度を高めるため、演劇的な装置を詰め込もうとするが、すでに開放された野外の空間という条件は無限になっているのです。その装置がスペクタクルになればなるほど、空間はもっと拡張してしまいました。これは演劇をされる方ならだれでも分かっていることだと思います。もしも再演があればこのことを再検討して、競争中の災難の非対称性を克服できる対称性の実在的な運動が見れるよう望んでいます。

 他にも高山明の《Referendum - 国民投票プロジェクト》やカオス*ラウンジの《カオス*イグザイル》のように場所を移動したり、サイトスペシフィックの性格を持っている展示パフォーマンスがありました。《Referendum》は移動するトラックの中でインタビュー映像を見る形式でした。日本が直面した現実について青少年たちの意見を聞くインタビュー映像でした。そして、このトラックの最終目的地は福島に特定されていました。《カオス*イグザイル》は東京都内の複数の場所で行われた展示で、福島の災難で消滅してしまった幼年の記憶を物質化する展示に思われました。人形、おもちゃのような様々な小物が大量に設置されており、小学校時代を振り返るような映像が流れていました。この二つのタイプは現在と過去という時間的な差異はあるが、福島によるトラウマをネオアバンギャルドの典型的な「移動劇場(ナム・ジュン・パイク)」の方式で再設定していました。

 ところが、多くの公演が当初の相馬氏の話とは違い、正式の劇場空間で行われました。それが必ずしも良くないとは言えないが、最初の根本的なテーゼの投げ方があまりにも強烈だったので、その転換に違和感を感じたのも事実です。宮沢章夫の《トータル・リビング 1986-2011》はチェルノブイリの悪夢から福島の災難まで繋げる演劇を標榜しており、カメラが公演の内部と外部を横断する観点の移動が興味深いものでした。ただし、字幕がなかったので、戯曲(行動の構造であり、時空間のデザイン・マニュアル)の全貌を知ることが出来なかったです。そうなると、言語の外部者としてはカメラを使った修辞学的な過剰が気になったのですが、これがどれほど歪曲された感想なのかは直感に頼るしかありませんでした。これは岡崎藝術座の《レッドと黒の膨張する半球体》でも個人的には深刻な問題でした。

 結局、身体が常に動いて震える作品に目を奪われました。バナナ学園純情乙女組というコレクティブが吐き出した《バナ学バトル★☆熱血スポ魂秋の大運動会!!!!!》は日本のサブカルチャーとアナキズム的な狂乱を混合して、極端なエネルギーの噴出を図っているようでした。舞台と客席の境界を壊し、結局は自分と他者の差異も無化する提案だったのです。この為に早いビートの音楽と強烈な照明で空間を再設定し、コスプレから集団乱交のコードまで、判断を失わせる領域に追い込みました。そのために客席に乱入して観客と「辛い対面」をしたり、水や野菜、ゴミまで投げる行為もためらわなかったです。このようなアナキズム的な混沌は、このコレクティブが福島という埋めることのできない深淵に対して投げる幻想のように見えました。なぜ実在ではなく幻想かというと、これは再現だからです。もちろん再現としては非常に極端ですが、再現の領域からは少しも抜け出せ無かったのです。

 これはバナナ学園純情乙女組がまだポストモダンのノベルゲームのようなコードに留まっていながらも、その強さを極限まで上げるからだと思われます。「解離的な共存」は見えるが、それが再現の束縛から抜け出し、その外に進むことまでは意図していません。これはオタク文化が舞台芸術でその「束縛から抜け出す」ことはいくらでも可能であって、衝動の自由奔放な力を通して超越的な合一に進もうと提案する決定版かもしれません。しかしこの強烈かつ狂乱的なパフォーマンスが美学と政治という次元に移れなかったことは不幸です。この巨大なカオスが実は内部のアイデンティティを破裂させて、新たな未知の集合体あるいは社会体に生まれ変わると囁くことも、演劇の再現戦略の一部に過ぎないからです。

 災難競争の時代に直面した演劇の再現戦略はどうあるべきでしょうか。驚くほど緻密に構成されたカオス、再編されたカオスだけれど、まだ小さな共鳴装置として劇場の再現に留まるなら、それは表現された狂気というよりは演出された狂気だと言えます。狂気はむしろ極端な理性が生み出したもので(ギルバート・ケイス・チェスタートン)、こんなに表現主義的に表れた狂気は福島という巨大な穴を埋めることが出来ない幻想に過ぎないのでしょう。幻想は永遠に作られざるを得ないが、福島はどれほどその狂気の口を拡張していくのでしょうか。そのような災難の恐怖の前で再現的なポーズは多少無力に感じられます。

 私は白井剛の《Still Life》というダンス作品で「体が街であり、劇場である」というテーゼを再発見することが出来ました。白井の振付は皺ばんだ小さい体がリードになり、どのようにリズムの小さな叙事を作り出すか、また空いている中心としての体が揺れる存在の痕跡を残すかを透明に見せました。白井には皺ばんだ小さい体で構成された卓越な身体の振付が可能で、流動する体が震えて変形される時間の間に世界も彼に震撼しました。皺ばんだ小さい体が繰り広げられる不連続の短編的な時間に福島という記号はどこにもなかったが、いつの間に天井で揺らめく水の影はブロヘスのアルフのように福島を思い出させました。

 踊りの慣性のやむ得ない余波で多少長くなり反復する感じはありましたが、この作品の響きは素晴らしいものでした。身体に沈殿した記憶と無意識が、聞こえない言葉で語っていたので、我々が耳を傾けて聞かなければならないということです。完全に翻訳されない身体の言語とそれが伝える神経の信号、そして文化の外部にある自然の不可避な存在を立証していく方式は、捩じれて歪んだ世界の境界で「他人」として生きている「例外状態」の人間の存在を出現させました。「原子力の砂漠」「原子力帝国」という言葉さえ固まった体系として働く流動する身体の世界では、このように福島のフレームに明示的に縛られず生命の政治学をすでに実践していたのです。

 フェスティバル/トーキョーは紆余曲折はあるが、アジアとヨーロッパの間を繋ぎ、舞台芸術の真の共同言語を追及するパラダイムの提示が目立ちます。これは個別作品のリビューよりも遥かに重要な次元です。我々は完璧に知れないことや出来ないことでも、完璧にポジティブな態度をとることが出来ます。身体の現象と関連しては、これはいくらでも可能です。

 事件が現実化される災難が身体たちの混合と物の状態を生み出す時代は、確かに難しい時期です。逆にいえば、そういう時期でこそ、芸術の共同的なことを追及するのに良いとも言えます。再現体系の危機は一つの峠を越したと思われます。フェスティバル/トーキョーが2011年に苦悩して決断したその問題意識が、今年は新たに進展できるように期待しています。

(翻訳:F/Tアジアコーディネーター、東京藝術大学大学院 李丞孝)

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