劇評

F/Tで上演された各作品、企画についての劇評アーカイブです。
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劇評コンペから次の場へ

高橋宏幸

今回の劇評コンペの応募された作品を、第1回目の劇評コンペでも審査した経験から比較してみると、全体の劇評のレベルが格段に上がっていたことに驚いた。おそらく、1回目に受賞した劇評のいくつかでは、今回受賞できなかっただろう。劇評の審査は匿名で行われたので、全ての応募作を読み終えたときの私の印象はそこに集約された。

そして、まず私が選んだ劇評は、たとえば雑誌などに、そのままでも掲載可能なレベルであるということだった。コンペというものの性質上、編集がある部分を書き直してもらって掲載するということはできない。一発勝負である以上、どうしても落ち度のないものが必要となる。審査会で最初に5本を推薦するときに私がとったスタンスはそこであった。

ただし、矛盾することだが、コンペであるということは同時に、その劇評でしかなければならない唯一性も必要とする。つまり、舞台を過不足なく記述して、解説のようにまとまっている落ち度のないものだけでは、受賞とまではいかない。

受賞するためには、やはりアーティストが作品へと結実させた社会的、芸術的な問いかけを踏まえつつ、さらに自身がその作品に対してどのような問題意識を見出したのか、そしてその解までも書き込む、オリジナリティが必要となる。その意味では、今回の応募作は拮抗していた。

受賞した百田氏は第1回目でも受賞されている。しかし、おぼろげな記憶を頼りに今から思うと、第1回目よりはるかに、今回百田氏が書かれた2作の劇評は優れている。過不足なく作品について書きながら、バランス感覚よく肯定や否定するポイントを突くのは、劇評の一つの役目である、読者の代表としてある基準を提示するということだ。百田氏が長けているバランス感覚は、受賞した劇評「抒情性と論理性の狭間で」にも顕在であり、批判をしながらもその感覚が崩れることがない。第2回目でも受賞されている方なので、もう筆力は十二分にある。今後は別の場所で評を書いて活躍されることを願っている。

それはもう1作の受賞者である夏目氏も同様だ。受賞した作品「反スペクタクルに踊ろう/踊らなかったりしよう」以外の応募された劇評も同じような高い水準のレベルで書かれている。今回のコンペというものを足掛かりにして、ぜひ演劇というフィールドのさまざまな場で活躍してほしい。

他に注目したものには、渡辺健一郎氏や山崎健太氏の劇評がある。渡辺氏の評は、ジャン・リュック・ナンシーやランシエールの思想を使って、劇評という場に落とし込んで書くのに完全に消化しきれていないような印象を受けた。しかし、若書きの期間において、そのような劇評が書かれるのはむしろ当然だろう。変に小さくまとまらず将来性を期待させる。それは、複数作応募された山崎健太氏も同様だ。すべての評がある一定以上のクオリティを保っているので、今後に期待したい。

他には、優れてまとまって、文章も書きなれていたものに海老原豊氏の「気持ちいいだけじゃダメかしら」があった。ただ、ゼロ年代批評の言説をパラフレーズしてあてはめているだけではないかという指摘もあり、最低限のゼロ年代批評の知識しか持ち合わせていない私は推しきれなかった。

今回は受賞した方以外でも優れた評はたくさんあった。優れた劇評を書いた人たちの筆力自体は、演劇雑誌の傾向性はあるだろうが、そこでも十分に通用する。いや、むしろそこで書いている若手よりもときに優れているのではないかと思わせる。だからこそ、受賞したかどうかにかかわらず、ぜひ今後も活動を続けていってほしいと思う。

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