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2022/07/13

トーク 「舞台芸術はアーカイブ③ ~アーカイブのパフォーマー~」ゲスト:ユニ・ホン・シャープ<前半>

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アーカイビングF/T オンライン連続トーク

「舞台芸術はアーカイブ:消えるものの残し方と活かし方」

15:00-15:50 セッション1「アーカイブのパフォーマー」

ゲスト:ユニ・ホン・シャープ モデレーター: 長島 確、中島那奈子



中島 ユニ・ホン・シャープさんはパリとフランスの二拠点で活動されているアーティストで、アーカイブ資料を使ったレクチャーパフォーマンスの作品を作っています。その作品では、日本、韓国、朝鮮など各地で活動されたある舞踊家のアーカイブを活用しています。この舞踊家のアイデンティティには「アーカイブが特定の人物の多様性と流動性の両方を形作る」ということがあらわれていて、それはユニ・ホン・シャープさんご自身が移動しながら活躍されていることとも繋がっているのではないかと思います。


ユニ はい。私はフランスと日本の二拠点で制作をしていますが、コロナ禍で行き来することが大変難しくなり、日本になかなか来られなくなってしまいました。最近やっと日本へ来ることができて、制作に取り掛かろうとしているところです。実は今まだホテルで隔離をしています。隔離ホテルの様子というのはあまりネットに流してはいけないと言われていてですね、なので今日はホテルで隔離される直前の、飛行機内で撮った写真をバックに、お話ししようと思います。


ちなみに、窓の下に写ってるのはシベリアあたりですね。今、このルートの飛行機は止まってしまいました(※ロシアによるウクライナの軍事侵攻により、各航空会社はロシア上空を迂回)。


では、画面を共有しながら、今ちょうど取り組んでいる『ENCOREプロジェクト』についてお話しします。『ENCOREプロジェクト』では、3つの方向性からアプローチしています。朝鮮半島出身の舞踊家である崔承喜(チェ・スンヒ)をめぐる「レクチャーパフォーマンス」の制作、在日外国人の方々を交えた「ワークショップ」、崔承喜のレパートリーを受け継いだ在日コリアン舞踊家との「映像制作」です。制作プロセスでは、崔承喜の持つ大変複雑なアイデンティティのあり方を検証しながら、歴史を異なったやり方で再現します。それにより、今の私達のアイデンティティや、コロナ禍で顕在化した在日外国人問題を再考していきたいというのが概要です。

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トークのテーマが「舞台芸術のアーカイブの在り方や使い方について語り合う」ということで、今回のテーマに近いのがレクチャー・パフォーマンスの部分かなと思いました。ただレクチャー・パフォーマンスは現在制作中で、これから城崎国際アートセンター(KIAC)とICA京都にて完成させる予定です。そのため今日は、制作プロセスを軸に、崔承喜に関するアーカイブのパフォーマティブな使い方について経験的に話していきます。


さて、まず崔承喜(チェ・スンヒ)とは誰なのか?という説明から始めますね。崔承喜は1911年にソウルに生まれ、1926年に東京の武蔵境に研究所を構えていたダンサーの石井漠に師事します。


3年ほど石井漠さんの研究所で踊り、朝鮮半島へ帰りますが、また1933年に東京へ戻ってきます。当時はモダンガールとして、広告やグラビア写真で人気を得ました。ちなみにモダンガールとは、1920年代の流行最先端の女性のことで、まず「洋服を着ている」そして「髪の毛はボブカット」「化粧は濃いめ」などの外見的特徴があります。


ユニ 崔承喜が登場する雑誌の広告がいくつか残ってるので2つ引用します。李賢晙(イ・ヒョンジュン)さんという方が書かれた『「東洋」を踊る崔承喜』(勉誠出版/2019年)からです。まず135ページ。


ちなみにここで、私は「さいしょうき」と読みました。これは韓国語読みである「チェ・スンヒ」の日本語読みですね。当時は「さいしょうき」と呼ばれていました。次は同じ本の口絵36番からです。

広告だけでなく、当時の崔承喜はアイドルのように一般の人にも人気があったようです。たとえば、アマチュア写真家を対象にして崔承喜の野外舞踊を撮影する会というものが、1935年に開かれていたようですね。


この時に枡田和三郎(ますだ・わさぶろう)さんという方が映像を撮っています。崔承喜の映像はほとんど残っていないので、超レアな1分23秒のサイレント映像です。また、崔承喜は公演も行なっています。1934年の第1回新作舞踊公演会は、モダンダンスと朝鮮舞踊の二つのジャンルで構成されていました。当時の日本では、モダンダンスよりも朝鮮舞踊に人気が集まったみたいですね。朝鮮は日本の植民地だったので「朝鮮文化は日本の文化の一部だ」という考えもありました。一方、朝鮮では「民族の誇り」と言われたり、逆に「朝鮮文化を十分に再現していない」とも言われていたそうです。これから読む3つのテキストは、先ほどの、李賢晙《「東洋」を踊る崔承喜》勉誠出版、2019年、138-139ページから引用をしています。


▼石井漠「サイ・ショーキという舞踊家は(中略)いはば和製品であつて全部が国産である」

▼板垣直子「この間、サイ・ショーキの舞踊を始めてみて、これは日本人の舞踊家の中で一番感心した。(中略)サイ・ショーキを日本人の中にいれていいだろう。」

▼柳宗悦「優れた人が朝鮮から出ることを日頃どんなにか望んでいるだらう。それは日本の為にも非常にいい」


また、次に読む3つの引用元は、金賛汀(キン・チャンジョン)さんの『炎は闇の彼方に─伝説の舞姫・崔承喜』(日本放送出版協会/2002年)からです。

▼川端康成「他の誰を日本一と言うよりも、サイ・ショーキを日本一と云いやすい第一に立派な体軀である。彼女の踊の大きさである。力である。それに踊りざかりの年齢である。また彼女一人にいちじるしい民族の匂いである。」(97ページより引用)

▼金管「従来の朝鮮の踊りの動きを洋式舞踊に移し変え、照明と衣装で美化しただけのものである。それは意味のない努力にすぎない」(129ページより引用)

▼韓雪野「彼女の朝鮮の踊りは真実性が欠如しており、ただそれらしい模倣性があるだけだ」(129ページより引用)


崔承喜は、日本や朝鮮で踊った後、1938年より欧米ツアーを始めます。これは第二次世界大戦が始まる一年前です。ニューヨークで公演後、ヨーロッパに行き、フランスではマルセイユなどの地中海沿岸都市や、パリで公演しています。当時のジャーナリストが書いた記事がさまざまな新聞に残っています。いくつか私が日本語へ訳したものを読んでみます。


 Le petit journal, 1939年6月18日


私たちヨーロッパ人は、東洋の繊細さを理解できない野蛮人だ。しかし、朝鮮と日本の踊りをまとめて研究することはできる。二つの踊りの大まかな形は似ているが、日本の踊りの方が比較的よく知られており、簡単である。(中略) ヨーロッパ人は足で、日本人は手で踊る。私たちは常にダイナミックな生活をしており、動くことが不可欠である。日本人は完璧な定住生活に磨きをかけている。


 Dominique Sordet, L’action française, 1939年2月3日


極東のダンスは、地理や民族的出自とは関係なく、よく似通っている。
ヒンドゥー、バリ、カンボジア、中国、朝鮮、日本、これらの国に共通した性質は、私たちの目に鮮やかに飛び込んでくる。スタイルやテクニックの違いは、もちろん大切だが、表現の微妙なニュアンスは、ヨーロッパ人の目には映らない。


 Albert CH. Morice, Le journal, 1939年2月25日


凶悪な戦争に従事する彼女の国、武装する熱狂的なヨーロッパ。昨年9月フランスでの、彼女の不安な1ヶ月…?(中略)いや、彼女は何も知らないし、何も見なかった。…崔承喜は純粋なアーティストで、リズムと動きの美しさ以外を見ず、世界を通り過ぎる。この若い東洋女性のように、狂気の中にいながらそれを知らず、美しさの夢の中に閉じ込められ生きる存在がいると思うと癒される。


欧米ツアーが終わった1940年代、崔承喜は日本に戻ってきてまた公演を行います。これが日本で公演を行った最後の時期です。アーカイブとしてはパンフレットがいくつか残っています。舞踊写真を元に描いたイラストが載っているチラシもいくつかあって、例えば画家の東郷青児などが描いた絵も残っています。次の画像は、グラフィックデザイナーの鈴木哲生が描いた絵で、写真をもとに描かれています。


1942年には帝国劇場で連続公演があり、マチネではレクチャー形式の公演をしていました。レクチャーでは崔承喜が最初に3つのパートを解説し、門下生達が実践したようです。ひとつ目は東洋舞踊について、ふたつ目は朝鮮舞踊の基本、みっつ目は西洋舞踊の基本を発表したそうです。この公演の時に、崔承喜は警視庁から「次は少なくとも1/3は日本舞踊を入れないと公演許可を出さない」と言われていたようですね。この後、崔承喜は北朝鮮に渡って自分の舞踊研究所を設立し、亡くなったのは1969年とされています。


私の取り組む『ENCOREプロジェクト』には3つのパートがあると初めにお話しました。まず「レクチャーパフォーマンス」で、崔承喜についてのレクチャーをします。


次の「ワークショップ」では、1942年に崔承喜が行ったレクチャーの再現を試みることからスタートしようと考えています。でも当時と全く同じものを再現するわけではありません。まず前提として、2022年に生きる私達にとって東洋的、西洋的、自国の伝統のイメージ、言説、身体表現などが一体どういうものなのかという疑問があり、それぞれの皆さんが持つステレオタイプと遊びながら、現代における割り当てられたアイデンティティについて想像を広げていけるような場を作りたいと思っています。最初に崔承喜のことを知った時に、まず面白いなと思ったのが、彼女は踊る場所によってコロコロと自分の踊りの方法を変えているんですね。私は、このような踊りのアイデンティティの流動性のようなものに興味があります。どのようなイメージと言葉が、崔承喜を「日本」や「朝鮮」や「東洋の美」といったものそれぞれの表現者としたのかを、アーカイブをパフォーマティブに使用しながら検証していきたいと思っています。


最後に「映像制作」をする予定です。そこで扱いたいのが、在日コリアンコミュニティで踊られている踊りです。というのも、現在の在日コリアンコミュニティでの踊りは、崔承喜の踊りが元になっているそうなんです。でも当時、崔承喜は北朝鮮にいて、日本にいる在日コリアンがどうやって踊りを習ったのか、ずっと疑問でした。一昨年、在日コリアン舞踊家の高定淳(コ・ヂョンスン)さんという方にインタビューをした時にお聞きしたところ、なんと、船の中で習ったみたいです。1950年代から80年代にかけての在日朝鮮人の帰還事業で北朝鮮と日本を行き来する船があり、北朝鮮から日本へ渡る船の中に、北朝鮮の踊りの先生がいたそうです。この先生は日本への上陸許可を得ていないので、船から降りることができないんですね。そのため在日コリアンの踊り手が港へ行って、船の上で踊りを習ったそうです。このように、水際で密やかに受け渡された踊りの話がずっと気になっていました。


そんな中、コロナの影響で日本とフランスとの行き来が難しくなっていた時期に、在日コリアン舞踊家の尹美由(ユン・ミユ)さんが崔承喜のレパートリーを踊っている様子を、映画監督の草野なつかさんに撮っていただくことがありました。今ちょうど映っているのがそのキャプチャーです。


国家の事情によって個人の様々な自由が制限されることは、崔承喜のエピソードに限らず今でもあることなんですよね。たとえば、コロナ禍の水際対策でホテルに隔離されたり、戦争によりロシア上空を飛行機が飛ばなくなったり……ということは繰り返し繰り返し起こり得る。こうした時に、過去を使って現代を考えることは、現代をサバイブする一つの手段ではないかと考えています。


まさに今、行っている『ENCOREプロジェクト』のタイトルである「ENCORE(アンコール)」には「もう一度」という意味があります。これらを念頭において『ENCOREプロジェクト』では、城崎の水辺で尹美由さんと映像撮影を行う予定です。


最後に宣伝になってしまいますが、プロジェクトに協力や助成をくださった機関の名前です。ありがとうございます。
今後、城崎や京都などのいろんな場所で製作し、成果発表をしていく予定ですのでお近くの方は是非チェックしてください。ワークショップも開催します。


中島・長島 ありがとうございました。


後半へ続く


ユニ・ホン・シャープ

アーティスト。パリと東京の2拠点で活動。作品は多くの場合、場所の歴史や個人的な記憶の考察から始まり、規範化した属性より構築されたアイデンティティへの疑問から、その複数性と不安定さを探求する。2022年には城崎国際アートセンターにてプロジェクト《ENCORE》を滞在制作予定。また、コレクティブMapped to the Closest Addressと協働しHonolulu-Nantes(フランス)でダンス・スコアを制作。ICA京都特別研究員。 https://www.yunihong.net

長島確

専門はパフォーミングアーツにおけるドラマツルギー。大学院在学中、サミュエル・ベケットの後期散文作品を研究・翻訳するかたわら、字幕オペレーター、上演台本の翻訳者として演劇の現場に関わり始める。その後、日本におけるドラマトゥルクの草分けとして、演劇、ダンス、オペラからアートプロジェクトまでさまざまな集団創作の場に参加。フェスティバル/トーキョーでは2018〜2020年、共同ディレクターの河合千佳と2人体制でディレクターを務める。東京芸術祭2021副総合ディレクター。

中島那奈子

老いと踊りの研究と創作を支えるドラマトゥルクとして国内外で活躍。プロジェクトに「イヴォンヌ・レイナーを巡るパフォーマティヴ・エクシビジョン」(京都芸術劇場春秋座2017)、レクチャーパフォーマンス「能からTrio Aへ」(名古屋能楽堂2021)。2019/20年ベルリン自由大学ヴァレスカ・ゲルト記念招聘教授。編著に『老いと踊り』、近年ダンスドラマトゥルギーのサイト(http://www.dancedramaturgy.org)を開設。2017年アメリカドラマトゥルク協会エリオットヘイズ賞特別賞。

アーカイビングF/T オンライン連続トーク
「舞台芸術はアーカイブ:消えるものの残し方と活かし方」

日程 ライブ配信:2022年3月5日(土)14:00-19:15
<配信は終了しました>

アーカイビングF/T

フェスティバル/トーキョー(F/T)は、2009年から2020年まで、13回にわたって開催されました。舞台芸術を中心に、上演・上映プログラム数204、関連イベントもあわせ、のべ77万人の観客と出会ってきました。これらの出来事を通じて、国内外にまたがる多くの人々や作品が交差し、さまざまな活動・交流の膨大な結節点が生み出されました。 上演作品やイベントは、「もの」として保存ができません。参加者や観客との間で起こった「こと」は、その場かぎりで消えていきます。しかしそのつど、ほんのわずかに世界を変えます。その変化はつながって、あるいは枝分かれして、あちこちに種子を運び、芽ばえていきます。 F/Tは何を育んできたのでしょうか。過去の記録が未来の変化の種子や養分になることを願い、13回の開催に含まれる情報を保存し、Webサイトを中心にF/Tのアーカイブ化を行います。情報や記事を検索できるデータベースを作成し、その過程で過去の上演映像セレクションの期間限定公開や、シンポジウムを開催します。

 
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