国境をこえる知性――あらためての「旅のはじまり」に際して

森山直人
 F/Tの「公募プログラム」は、2011年から大幅に拡充された。はじめて門戸を開いたアジア諸国からは80組もの応募があったという。結果的に国外4組、国内7組による開催となったこのプログラムが、おそらく今年のフェスティバルの中で最もリスクの高い実験であり、文化的な投資だったであろうことは、まずは議論の出発点として認識されるべきだろう。どんなに個性的な作品が出そろったとしても、日本国内で無名のアジアの若手作家の作品に、残念ながら集客的には期待できない。その目標は、必然的に、「いま、ここ」よりも「未来」に向かわざるを得ないのだ。したがって、このプログラムが対峙しなければならないのは、近未来の舞台芸術であり、近未来の世界であると考えることができるだろう。今回上演された11組の作品は、総じて野心的で刺激的な作品が揃っていたことは間違いないが、問題をそこだけに限定しては意味が半減してしまうのである。

 たとえば、捩子ぴじんの『モチベーション代行』は優れた作品であり、初代F/Tアワード受賞は喜ばしいが、極論すれば、そのこと自体はこのプログラムにとってさほど大きな問題ではないようにも思える。むしろ、国外からの審査員を加えて(今回はハンス=ティース・レーマン)、F/Tアワードという企画を実現したこと自体のほうにこそ、「F/T11公募プログラム」のコアである近未来志向はあったというべきだろう。日本の小劇場演劇が作ってきたコンテクストが生み出した作品――典型的なのはバナナ学園純情乙女組とロロ――と、文字通りの同世代のアジア諸国の作品が形成しつつあるコンテクストらしきものを衝突させ、20世紀西欧演劇の文脈で育った批評家が中心となった審査員がそれを目撃する、というのが、今回のおおざっぱな構図だったといえる。さらにそこに「批評家・イン・レジデンス」という別のプログラムを並行させ、多数のアジアの中堅批評家やジャーナリストを招聘し、彼/女らがまさにその光景を目撃する、というのが、近未来に対峙した今回のプラットフォームの骨格をなしていたと考えることに異論は少ないだろう。この構図を、どうにか曲りなりにも作り上げたところが――陸上競技にたとえればフライング覚悟でスタートを切ったこのプログラムの――今年の最大の収穫だったといえるのではないか。現時点で、それはあくまでも「構図」にすぎない。だからこそ、問題は、この先、なのである。

 いまさらいうまでもなく、日本の現代演劇が、アジアとの交流を志したのは、これがはじめてではない。1970年代後半に「アジア演劇」の理念をかかげた黒テントが、その後に行ってきた粘り強いネットワークの構築作業や、1990年代以降の国際交流基金が実現したさまざまな国際共同作業は記憶に新しい。新宿タイニイアリスや(現在は神戸の)ダンスボックスなどが継続してきた草の根的な繋がりも、すでに一定以上の成果を挙げてきている。そうした成果の上に立って、この「F/T公募プログラム」によって、どのような新しい一頁が書き加えられるかどうかは、ひとえに、フェスティバルが持つ一種の歴史意識にかかっているだろう。いま、「アジア」とは何か。いま、「舞台芸術」とは何か。いま、「国際舞台芸術祭」は何をすべきか。・・・

 東日本大震災のあった2011年は、中国がGDPで日本を抜いた年であり、西アジア・北アフリカ地域でいわゆる「ジャスミン革命」が起こった年でもある。インターネットとLCCの時代を迎えた「アジア」において、ますます情報と人の移動の規模は拡大することになるだろう。中国とインドの台頭により、21世紀の「アジア」は、19世紀から20世紀までの「アジア」とは違い、たんに「西洋」のイマジナリーな視線から見た「オリエント」であるだけではすまなくなるだろう。しかし、同時にこの世界は、まぎれもなくグローバル資本主義の只中にあり、そのことによって生じる数々の社会的歪みもグローバルに共有しつつある。1970年代から潜在的には存していたはずのこうした状況は、複数の主要国で予定されている政権交代による流動化が予想される2012年以降、ますます顕在化するだろう。

 こうした状況論は、もちろん誰にでも言える程度のことでしかない。問題なのは、こうした状況の変化に対して、新たに対話を構想し、構築していくためには絶対に必要な知的インフラが、いまなお圧倒的に不足しているという紛れもない事実である。ひとつだけ例をあげると、先日京都造形芸術大学・舞台芸術研究センターで、公演とシンポジウムとワークショップからなる「越境する伝統――金梅子の仕事」を、舞踊家の山田せつ子氏が中心となって開催した。すでによく知られているように、金梅子氏は1970年代から韓国舞踊界のリーダー的存在として、韓国舞踊の伝統的技法と精神を構造的に分析しながら、独自のコンテンポラリーな表現を今日まで続けている傑出した舞踊家である。今回この企画を行ってみて痛感したことは、彼女のこうした優れた業績、優れた作品群に対して、私自身がほとんど無知だったというばかりではなく、そもそも舞台芸術における「伝統」という用語に込められた意味合い自体が、韓国と日本とでは決定的に異なっているという事実に気づいたことだった。「韓国舞踊」と「日本舞踊」という言葉が言い表そうとしている意味はまったく違うのであり、現在の「日本舞踊」がたんなる「昔ながらの流派の集合体」に過ぎないのに対して、「韓国舞踊」には、宮廷舞踊、仏教舞、シャーマニズム等の出自の異なるさまざまな身体技法の集蔵庫を現在の視点から検証しなおし、そこにこめられた歴史的記憶を含めて「いま、ここ」に接続することこそが「伝統」だという思想がある。こうした発想を理解し、さらにはそうした違いをもたらしている諸地域の歴史についての対話を重ねていかない限り、「国際交流」という名の、いつまでも初歩的なレベルでの紹介を越えることはできない。ことによると、この根本的な問題は、「F/Tシンポジウム」のすべての時間を費やす価値のあるほど、今後にとって重要な意味を持つのではないか。

 これまでの「アジア」と「日本」の舞台芸術における交流の限界は、日本の舞台芸術にとって、「アジア」という地域全体が、結局のところクリエーションにとっての「参考」程度のものにとどまっていたのではないかということである。真に学び、影響を受けるべきなのは「西洋」の舞台芸術であって、最先端は常にそこにある――こうした発想は、ある意味では目標がはっきりしているから分かりやすい。けれども、芸術における本物の交流とは、あくまでもクリエーションのレベルで、どちらかがどちらかから決定的な影響を受ける事態が生じなければならない(その意味で、たとえば、文化的誤解にせよ、1930年代という歴史的条件下において、アルトーがバリ島の舞踊から決定的なインスピレーションを受けたという出来事は今でも無視できないのだ)。中長期的にはますます多極化と流動化が進むであろう21世紀の世界においては、「西洋」が「東洋」を、「東洋」が「西洋」を見ることで何かが得られる、といった単純な話ではもはや通用しないだろう。芸術に国境はないというのなら、国境を越えてインスピレーションが交換できるような、対話のための知性が必要である。アジアという地域において、そうした知性はまったくもって未開発の状況にあるというほかはない。そして、「F/T公募プログラム」も含めたこれからの課題は、まさしくこうした状況を乗り越えることにこそあるのだ。

 今回上演された11作品のなかで、私が特に印象に残ったのは、韓国の二つの作品だった。ジョン・グムヒョンの『油圧ヴァイブレーター』は、たしかに他を圧するような迫力のある作品ではなかったが、おそらく男性優位の続く韓国社会で、このような形でジェンダーとセクシュアリティを扱った女性作家の作品が具体的に出てきたこと自体、明らかに韓国で何かが生じていることの生きた証言であるように思われた。キム・ジェドクの『ジョーカーズ・ブルース』は、イ・ピルスンの突出した身体能力だけでなく、若いパンソリ歌手が圧倒的なパワーを披露する傍らで、もうひとりの歌手にブルースを重ねて歌わせてみるという試みに、いま私たちが必要な知性に関するヒントを感じた。パンソリの持つ非西洋的な音楽性の持つ潜在的能力と、もともと黒人の労働歌でありながら、ジャズやロックを通じて現代の商業的なポピュラー音楽の底流を形成きてきたブルースの可能性を、重ね合わせてみることから何が生まれるか。こうした実験を、27歳のアーティストがあっさり行ってしまえることは、彼らの個人的な能力だけの問題ではなく、韓国の舞台芸術自体がそうした試みを誘発する知的インフラを備えているということである。捩子ぴじんに次いで評価の高かった『ツァイトゲーバー』の村川拓也には、ぜひとも今後5年以内に、日本の文脈を離れた作品を国外で一本制作してほしい。彼自身が制作しているドキュメンタリー映画という知的伝統は、必ずや「日本」という文脈を相対化し、「世界」と直接向き合う目を彼にもたらしてくれるだろうから。