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2021/02/01

ささやかで力強く生を肯定する宣言  モモンガ・コンプレックス『わたしたちは、そろっている。』

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(文・岩渕貞太  写真・三浦麻旅子)

劇場内で6時間行われた観客回遊型の作品『わたしたちは、そろっている。』を観た。実際にわたしが立ち会ったのは第一部『ゆらぎ』、第二部『うつろい』、第三部『きざし』各1時間ずつの3時間ほど。各部の間の配信パートは観ていない。


最初に劇場に入ったとき、夜の町中にいるように感じた。どこにでもありそうな住宅街を歩いているよう。それぞれのダンサー、ミュージシャンのためのスペースが仕切られていて仕切りの外側はベニヤ板剥き出し、内側は内装がしてあり部屋のようになっている。仕切りの壁の上や小さく空いた穴、カーテンやガラス越しに中で起きていることを見る。出演者の過ごしている内側は作られた舞台で外側で見て回る私たちが舞台裏にも見える。劇場全体が舞台で観客がその上を回遊するのと同時に観客は舞台裏からそれぞれの家、部屋の中を覗き見ることになる。普段、夜に道を歩いているとふと他所の家の晩ご飯の準備をしている良い匂いや窓の灯りに気が向くことがある。どんな間取りのどんな部屋にどんな人が住んでいるんだろうと誰かの生活を想像することがある。そんな気分になった。




ダンサーは部屋毎にコンセプトがあって、それぞれの違いが面白かった。
・臼井梨恵さん 紐で作られた民族衣装のような服を着ている。部屋に書かれたスケジュールに沿って規則正しい生活をする。体操や休息、ゴキブリとの格闘ハプニングもスケジュールに則っている。
・北川結さん 楽屋のような部屋。部屋の真ん中はステージのようにもなる。踊る前に化粧などの入念な準備。アイドルのような踊りや歌の時間。踊った後の時間。
・仁科幸さん 全身が銀色に光る宇宙服のような格好をして部屋の四方の壁に考えていることを板書していく。自分のことではない誰かのためのことを考えている。
・塙睦美さん 極端に細長く狭い、パステルカラーの薄いカーテン越しの部屋。何も物がない。何かを待ち続ける囚われの姫。夢の中のよう。
・夕田智恵さん ベランダのような半屋外感のある場所でアウトドアの服を着ている。植物を育てたり、コップを積んでは壊したり、カップ麺を食べたり。アウトドア感。 
・白神ももこさん(劇場ロビー) ラジオのDJブース。随所でラジオ風トークをしたり詩の朗読をしたり、歌ったりする。


出演者一人一人がそれぞれ離れた場所でそれぞれの時間を過ごしている。楽器を演奏したり、歌を歌ったり、紙コップを積んだり、化粧をしたり、体操をしたり、寝たりしている。誰かが歌っている間にドライヤーの音が聞こえたり、ポストをガチャガチャとまさぐる音が聞こえてくる。それぞれがしていることに関係や関連はなく、色々な場所に色々な人たちの生活があることを感じる。死角が多くいわゆる舞台作品を見るときのように全体を一望できる造りではないので観客は自分の興味に従って歩き回ったり、椅子に座ったりしながら眺めて過ごす。自分が見えない場所から聞こえてくる音や、遠くで、近くで自分が見えないものを見ている他の観客の視線に想像を巡らせる。はじめは全体を把握しようと色々と場所を移動して起きてることを見逃すまいと歩き回っていたが、段々と場に慣れてきて身体がリラックスしてきて「見る」と言うよりも「過ごす」ようになる。そうするとそれまで関連なく起きていると感じていた物事や物音が互いにバラバラではなく、そこにいる自分の中で重なり一つの町のダンス、町の音楽のようになってくる。



第二部で回遊しながら夕田智恵さんのスペースの触れない場所ある水耕栽培の人参やネギ(?)、豆苗がふと目に入った。そのときその植物たちが小さく震えていることに気がついた。それは自分が歩いている振動で震えていた。ちょっとした距離で一見無関係に感じていた植物と自分の歩きの振動が関係していることを感じたとき急にこの劇場にあるものや過ごしている人たちと自分が小さな響きで繋がっていることに気がついた。ダンサーやミュージシャンがいることで起きていることだけでなく自分や他の観客がここにいることで劇場の空気は小さく震え、流れが変わりその振動を介して触れ合っている。周りを見ると自分の見ていないもの見て、聞こえていない音を聞く人たちをがいる。身の回りに見えるもの/見えないもの、聞こえる音/聞こえない音がそれぞれの観客の中で結ばれ固有の体験が生まれる。その様を見ながら自分の体験していない誰かの体験へ想像の糸が伸び、また新たな想像の世界の層が幾重にも重なり広がっていく。


 パフォーマンスの要所要所でミュージシャン(西井夕紀子さん)、歌い手(神田さやかさん、Yuima Enyaさん、内海正考さん)たちが登場した。舞台のほぼ中央にあるピアノなどたくさんの楽器が置いてある演奏スペースがあり、他三ヶ所に用意された歌い手のスペースは観客よりも高い位置に2ヶ所、一つは観客と大体同じ高さにあり全体を囲むように配置されていた。演奏は舞台真ん中から会場に広がり、歌はダンサーと観客の上から降り注ぎ、劇場全体を包み、もう一つのはかることのできない大きな時間を感じさせてくれる。歌い手たちの歌はダンサーたちが感じる個の感情と繋がり、個ではない多くの人の感情の集合体としての安堵、不安、愛しさ、悲しさ、喜びを感じさせた。


第一部は夜の印象。それぞれの生活、それぞれの場所、それぞれの時間が淡々と流れ、それぞれがチューニングをしながらゆるやかに繋がる。空間で重なり観客の中で結びつく。第二部は昼と夜の印象。時には手紙を書いたり、声援を送ったり、誰かのためを思って体操を作ったり具体的な宛先がある。誰かと線を結ぼうとする。第三部では朝、昼、夜が繰り返されていく印象。会場全体と会場の外まで世界を包む「わたしたち」が繋ぐ声、歌、光、音が見える。何度も繰り返される日常への賛歌。


ダンサーたちの、目の前に誰かがいなくても歌われる歌、踊られる踊りに祈りにも似た想いを感じた。見ているうちに歌や踊りだけでなくマニュキュアを塗る、紙コップを積む、部屋で寝転がっている、考えている、体操をしているなど出演者たちがしている生活の中の行為そのものが遠い過去から遠い未来まで繋がる祈りのように見えてくる。目の前の距離が時間の距離になり、誰かを想うことが祈りになる。



『わたしたちは、そろっている。』を観ている間、チャールズ・イームズとその妻、レイによって脚本が書かれ監督された『Powers of Ten』を重ねていた。『Powers of Ten』は今いる自分の場所を見る視線が上空に上っていき地球の外、太陽系の外、いくつもの銀河系を超えて宇宙の果てまで行って、また地球まで戻ってくる。今度はどんどん体内の小さな細胞の中に入っていく。宇宙の果てから見た風景と細胞が集まっている自分の体内の風景と今自分が見ている風景は実は同じようにできているんだと驚く。『わたしたちは、そろっている。』で見ているこの風景は世界中のどこにでもあり、昔から何度でも起きてきた、これからも起こるであろう何でもない風景でもあると同時に世界、宇宙のほんの一部で今しか起きていない小さく特別なものである。誰かの小さな生、生活がありふれていると同時にその一つ一つが特別なものであることを感じ、胸がギュッと締め付けられた。


古代から人々は夜空に輝く、一つ一つは何の意味もない小さな星を眺めて線を結び、物語を紡ぎ、未来を想い、その意味を求めてきた。劇場にいる出演者、観客、オンラインを通して見ている観客とその生活が夜空に光る小さな星々のようで、そこで結ばれる線、紡がれる物語、未来や過去、人や場所へ馳せる想いがこの6時間を豊かに柔らかく包んでいた。この作品は白神ももこさんの『わたしたちは、そろっている。』というささやかで力強く生を肯定する宣言だった。最後に陶芸家・河井寛次郎の『蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ』という随筆の一節を引用して筆を置く。


この世このまま大調和





引用:河井寛次郎『蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ』青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/001906/files/58239_61574.html

 

 

(文・岩渕貞太)

モモンガ・コンプレックス

白神ももこと、衣裳デザインや保育士、イラストレーター、バリスタなど、それぞれに異なる職能を持つ多彩なパフォーマーで構成される「ダンス・パフォーマンス的グループ」。 2005年に活動を開始、日常生活の中の些細な出来事、個人史、小さな願望から着想したダンス作品を発表する。シンプルでくだらないことの中に本質を見出し、親しみやすさと人生のぬかるみを共存させた作品群は、コンテンポラリー・ダンス界でもひときわ異彩を放つ。

白神ももこ

桜美林大学文学部総合文化学科卒業後、「モモンガ・コンプレックス」を結成、全作品の構成・振付・演出を担当。無意味、無駄を積極的に取り込み、ユニークで豊穣な身体、空間を立ち上げる。フェスティバル/トーキョーではF/Tモブ(12)の振付、F/T14『春の祭典』の総合演出・振付を手がけている。近作に、キラリ☆ふじみダンスカフェスペシャルコラボレーション『幻想曲』(コンセプト・ディレクション/20)、モモンガ・コンプレックス『となりの誰か、向こうの何か。』(19)など。富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ芸術監督。

岩渕貞太

振付家/ダンサー
玉川大学で演劇を専攻、平行して、日本舞踊と舞踏も学ぶ。2007年より2015年まで、故・室伏鴻の舞踏公演に出演、今日に及ぶ深い影響を受ける。2005年より、「身体の構造」「空間や音楽と身体の相互作用」に着目した作品を創りはじめる。2010年から、大谷能生や蓮沼執太などの音楽家と共に、身体と音楽の関係性をめぐる共同作業を公演。2012年、横浜ダンスコレクションEX2012にて、『Hetero』(共同振付:関かおり)が若手の振付家のための在日フランス大使館賞受賞。自身のメソッドとして、舞踏や武術をベースに日本人の身体と感性を生かし、生物学・脳科学等からインスパイアされた表現方法論「網状身体」開発。玉川大学非常勤講師。急な坂スタジオレジデントアーティスト。

 

離れているから、生まれる。
“新しい日常”に贈る “ミュージカル的ダンス・パフォーマンス”
モモンガ・コンプレックス『わたしたちは、そろっている。』

振付・演出 白神ももこ
日程 10/24 (Sat) - 10/25 (Sun)
会場 東京芸術劇場シアターイースト / F/T remote(オンライン配信)
  詳細はこちら

 

人と都市から始まる舞台芸術祭 フェスティバル/トーキョー20

名称 フェスティバル/トーキョー20 Festival/Tokyo 2020
会期 令和2年(2020年)10月16日(Fri)~11月15日(Sun)31日間
会場 東京芸術劇場、あうるすぽっと(豊島区立舞台芸術交流センター)、トランパル大塚、豊島区内商店街、オンライン会場 ほか
※内容は変更になる可能性がございます。


概要

フェスティバル/トーキョー(F/T)は、同時代の舞台芸術の魅力を多角的に紹介し、新たな可能性を追究する芸術祭です。
2009年の開始以来、国内外の先鋭的なアーティストによる演劇、ダンス、音楽、美術、映像等のプログラムを東京・池袋エリアを拠点に実施し、337作品、2349公演を上演、72万人を超える観客・参加者が集いました。
「人と都市から始まる舞台芸術祭」として、都市型フェスティバルの可能性とモデルを更新するべく、新たな挑戦を続けています。
本年は新型コロナウイルス感染拡大を受け、オンライン含め物理的距離の確保に配慮した形で開催いたします。



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