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2020/02/13

『NOWHERE OASIS』レポート

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(文:橋本誠

北澤潤は、アートプロジェクトの公共性を巧みに用いて、その土地にない人々の営みや風景、社会関係資本を生み出す装置を社会実装させるアーティストだ。フェスティバル/トーキョー19「からだの速度で」の一環として、今回北澤がプロジェクトを仕掛けたフィールドは池袋駅西口の公園や公開空地などの公共空間。インドネシア・ジョグジャカルタの路上で目にすることのできる屋台「アンクリンガン」を持ち込み、日本で暮らすインドネシアの人びとと共に10日間、これを運営した。



東京・池袋の公共空間に屋台を持ち込む厳しさ

1日目。夕方の通勤客とまちに繰り出す人でごった返す池袋駅西口に2つのアンクリンガンを見つけて、この場にどのような人々が集うことになっていくのか、正直に言うとイメージが持てないでいた。
駅前の路上にある屋台は、その前を行き交う人々にとって異物、障害物でしかない。フェスティバルの一環であることは説明もあるが、何かを見ることができたり、ワークショップ的な体験をすることができるわけでもない。許可の関係だろうが、スタッフにたずねても快適に飲食ができる気配もない(飲食は簡易的に提供される)。 そうなると、通りがかりの人が何か積極的に首を突っ込むには何か物足りない。東京の生活者は、自らに直接的なメリットのないものに対して非常に冷たいのだ。飲食を楽しむなら、池袋には安くて美味しい店がたくさんある。
インドネシアにゆかりのある人たちにとっても、周りから浮いているこの設えでは自分たちが「見世物」にされるだけのような状態になってしまい、腰を落ち着けることができないのではないか。アンクリンガンにひかれても、そこは結局、シート1枚を隔てただけの空間でしかない。結果、北澤潤に興味のある人だけで屋台の席を温める結果になってしまうのではないだろうか…。
東京に限らず、日本の都市における公共空間は、基本的に通り過ぎる場所で目的地ではない。あるいは、企業のキャンペーンイベントなど何らかの目的を持った人が一時的に使用していて、偶然集った「みんなの場所」をつくるには向いていない。管理者側もそれを前提にしている。
公共的なフェスティバルのプログラムであるからこそ、許認可という意味では成立しているのだろうけれども、いい場所をつくるという意味においては、厳しい10日間になるのではないか。かつて、同じ東京でも銀座の路上でコンテンツ性の高い北澤の「FIVE LEGS PROJECT」を体験していた筆者としては、このような印象でその場を去った。



Photo: Alloposidae



どこにもない/いまここにある、オアシス(=NOWHERE OASIS)

今回の仕掛けはシンプルだ。5〜10人ほどが店主を囲むことができ、大きなシート屋根でカマボコ型に覆われたインドネシアの屋台「アンクリンガン」を現地で4つ独自に設えて、東京に持ち込む。屋台にはそれぞれ、日本で生活するインドネシア人の店主とそのサポートを行う人(役者)がつき、池袋マルイ前、西池袋公園、メトロポリンタンプラザビル1F自由通路、元池袋史跡公園などを移動しながら店を営む(東京芸術劇場前広場で情報を提供する)。屋台を覆うシートには現地の路上にあるアンクリンガンの様子がプリントされている。
言わばアンクリンガンのある、東京では非日常的な風景が池袋に登場し、その中では、インドネシアの日常に近い空間を体験することができる。路上で屋台自体をほとんど見ることのできない東京でこれを発見したインドネシア人は、うれしそうに中へ入ってきて、少しの戸惑いこそ感じながら店主や隣人に話しかけ、飲食をオーダーし、あっという間に自分の居場所をそこに見つけて馴染んでいく。これがフェスティバルの一環であること、周囲の雑踏からかなり浮いた特異な空間になっていることはお構いなしだ。
北澤曰く、インドネシアではすぐ脇を車が次々と通り過ぎていくような場所にもアンクリンガンはたくさんあり、むしろシート1枚の隔たりさえあれば皆、当たり前のようにそこで時間を過ごしているという。
2017年にインドネシアに拠点を移し、自らもそのような現地の身体感覚を手に入れながら、東京における公共空間での時間の過ごし方について、自ずと意識することが多くなったという北澤。同じような身体感覚を持っているであろう、東京住まいのインドネシア人にとって、このアンクリンガンをオアシスのように感じてもらいたいー。その思いは「どこにもない/いまここにある、オアシス(=NOWHERE OASIS)」というネーミングに現れている。



Photo: Alloposidae



10日目

10日目の元池袋史跡公園(池袋駅メトロポリタン口すぐ)。インドネシア人と思われる人々を中心に、屋台に入りきらない人々で公園の小さな空間があふれていた。雰囲気はさながらインドネシア・フェスティバルで、それはもはや、一見の日本人は中に入り込むことがはばかられるくらいのにぎわいを見せていた。いったい何が起きたというのだろうか。
会場で手に入れることのできるハンドアウトには、本番2週間前に北澤が書いたテキストがおさめられており、「Facebookにインドネシア語で投稿したNOWHERE OASISの情報が、大量にシェアされていた。」とある。アンクリンガンが目にとまってこれを知った人も中にはいるのだろうが、多くの人々がインターネット上の口コミであったり、それを知る知人に誘われて足を運ぶようになった。インドネシア関係のメディアでも紹介され、さらに口コミが広がったり、リピートする方も出てきたため、最終日にはさらに人が集うことになった、といったところだろうか。
東京、あるいは国内の各所から池袋の一角の屋台に集い、インドネシアでは日常的だった空間で時間を過ごす。しかしそのような体験を求めてこの場所にわざわざ運んでいるということ自体は、今を日本に生きる彼らにとっては非日常的な行為である。潜在的に求めていたささやかな喜びと、思いがけない興奮を共に楽しむ人々が公園に溢れていた。 YouTuberだと名乗る女性も来ていて、集まる人々に次々と声をかけていた。私もなぜここに来たのかと問われ、銀座では同じ北澤のカキリマ(小型の屋台)を見たことがあること、東京ではこのようなものをあまり見ることができない、とコメントすると一応納得をしたようだった。



インドネシアでカキリマやアンクリンガンを体験したことのない私は、彼らと同じようには、日々の東京の路上の息苦しさや、その中で出会ったこの場の有難さを共有することはできない。しかしこのような場の使い方が、もしかしたら過去の東京にはあったかもしれない、ということも含めて考えさせられる風景として、強烈な印象を残す一夜だった。
公共空間は、そこにあるルールは確かに与えられているのかもしれないが、それが最適解ではないと考えている人々がこれだけ存在しているし、場を豊かにする機会やルールは自分たちの手で獲得していくことができるのかもしれないー。それぞれに日本での生活を送りながらも、この場で出会った人々とそのルーツを共有しながら誰よりも楽しそうにYouTubeのカメラに映る北澤本人の姿を見て、そのように感じることができた。



Photo: Alloposidae


Photo: Alloposidae

橋本誠

1981年東京生まれ。アートプロデューサー。2009〜2012年、東京文化発信プロジェクト室(現・アーツカウンシル東京)のプログラムオフィサーとして「墨東まち見世」、岸井大輔「東京の条件」、長島確「アトレウス家」シリーズなどに関わる。2014年に一般社団法人ノマドプロダクションを立ち上げ、現代社会と芸術文化をつなぐ多彩なプロジェクトの企画・運営・ツール制作・メディア運営などを手がけている。http://nomadpro.jp/

『NOWHERE OASIS』

コンセプト・ディレクション 北澤 潤
日程 11/1 (Fri) – 11/10 (Sun)
会場 東京芸術劇場 劇場前広場ほか
詳細はこちら
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