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2019/09/03

「アーティスト・ピット」開催によせて -ハラサオリ インタビュー

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(文:住吉智恵)

 フェスティバル/トーキョー19では、初の試みである研究開発プログラム「アーティスト・ピット」が開催される。身体を扱うあらゆるクリエーターのための、作品のコンセプトやリサーチの言語化と相互批評の力を鍛える5日間のワークショップだ。 近年、アートプロジェクトの普及により参加基準や表現の質が多様化しているなかで、プロのアーティストが創作に必要な言語と技術を自覚的に獲得し、相互批評を通して作品の精度を高めていくためのプログラムとなる。
 プログラム名は、カーレースのピットインに見立て、アーティストが必要な補給・整備・修理を行う場であると同時に、キャリアの途中で必然的に陥る深い穴から自力で這い上がる「鍛錬の場」と、作品を磨く「準備の場」として機能することを願って名付けられた。つまり、“虎の穴”である。
 今回ファシリテーターを務めるのはダンスパフォーマー/美術家のハラサオリ。参加作家の1人としてトレーニングに臨むとともに、ファシリテーターとしては主にベルリン芸術大学ソロパフォーマンス専攻でハラが経験したメソッドをもとに、公募で選抜されたメンバーをアシストする。
 そこでベルリンで活動するハラに、プログラム開設に至った経緯と企画主旨についてスカイプインタビューを行った。

 

 


 

 

──今回、アーティスト・ピットのファシリテーターとしてF/Tに参加することになったのはどのようなきっかけですか。

 

ハラ 2018年のF/Tでディレクターズ・ラウンジに参加したとき、2020年のオリンピック・パラリンピックに向けてアートプロジェクトが増えて、多くのアーティストがそこに投下されているけれど、使い潰されてしまうことが心配だ、という話を長島さんとしたんです。単発のイベント的に物事や感情が動いたとしても、その後の批評の場はほとんどない状況です。また、国内にはダンスや演劇のシーンはあれど、「身体表現」「パフォーマンス」となると、作家も観客も批評家も、途端にその数が減ります。日本には幅広い身体表現のシーンがほぼ存在ません。以前、似たような危機感や不満を共有できそうな30才前後のパフォーマンス作家に私から個人的に声をかけて、自主企画で勉強会をやっていました。それが今回のアーティスト・ピットの基盤になっているのですが、そこでは各々が作品についてプレゼンテーションした後、互いに質疑と批評を交わしました。みんな作りたいものとエネルギーはあるのに、シーンそのものが明確に存在しない中で、自分の立ち位置を定めて創作を追求していくことは困難です。
プロフェッショナルなシーンや教育機関がないのであれば、自分で作るしかありません。そうした私の個人的な展望を、昨年のディレクターラウンジを通してF/Tの皆さんへお伝えできたので、それが今回の研究開発プログラムへと結びつきました。

 

 

──ベルリンを拠点とする現在の創作環境に至るまでの経緯について教えて下さい。

 

ハラ 私は高校生まで部活でモダンダンスをやっていましたが、その環境は芸術活動というより集団意識の教育的な側面の方が強かったように思います。さらに高校卒業後もプロとしてダンスに関わり続けたい、と思っても、当時、舞踊専攻がある大学は体育大学だけで選択肢はとても限られていました。私にとってダンスはスポーツやコンクールで競うためのものではなかったし、芸術大学に舞踊専攻がないことに対しては当時から強い疑問と不満がありました。体育大学への進学だけは考えられなかったので、せめてビジュアル表現の部分からダンスの現場に関わりたいと思い、結局は芸術大学のデザイン科へ進学しました。
そうして美術の世界へ進んだ先で出会ったのが、マリーナ・アブラモビッチやオノ・ヨーコなどの作家に連なる現代美術のパフォーマンスアート分野でした。それらはスポーツ、競争、集団意識とは全く異なる文脈で展開される、肉体の表現です。とはいえ、身近なシーンがなかったので、それらが自分の表現のビジョンと直接結びついたのは2012年にドイツへ渡ってからになります。
東京芸術大学卒業後、ドイツの研究機関とその周辺のコミュニティを訪ねる機会があり、国立ベルリン芸術大学の洗練された空間はもちろん、ビジュアルアートに近いアプローチに衝撃を受け「見つけた!」と思いました。さっそく次年度のソロパフォーマンス専攻を受験したんですが、入試の最終オーディションは数日間にわたって自分を含めた19名の志望者全員のショーイングを観て、批評をすることなんです。自分が終わってもぼうっとしていられない。教育において自身の創作だけではなく相互批評にも重きが置かれていることをそこで体感しました。

 

 

──ベルリン芸術大学で実際に体験したプログラムはどんなものでしたか?

 

ハラ 大学の施設は24時間、学生に開放されていて、周辺の住民の理解にも支えられています。同期生7名は30代前半が中心で、ビジュアルアート、ドラァグ、伝統舞踊、解剖学などなどさまざまな分野をバックグラウンドとしてソロパフォーマンス活動を展開している作家たち。この小さく濃密なチームにおいては、1回でも休むと「全員にとって、あなた1人分の批評が失われる」、それは損害であると見なされます。
 アーティスト同士の相互批評の場が設けられることで、他者の話を聞くこと、後に引きずらない議論、高度な空気の読み方といった、ヨーロッパ社会特有の個人攻撃とは線引きされた議論のスキルを学びました。とばはいえ、そうした議論のプロセスは当時最年少の25才だった自分にとってはあまりにも密なものでした。文化的なギャップだけではなく、経験やキャリアとして早すぎたのではないかと思い1年休学、そして2年次の修了制作から復学しました。
 年度の初めに作品のテーマを決めると、次にメンター(アドバイザー)を自分で外部から招聘します。芸術分野に限らず、心理学者、家族やホームレスでも、自分の作品やリサーチにとっての重要度優先で選ぶことができ、彼らのフィーも大学が基本予算とは別に用意します。
 その後は定期的なミーティングのなかで、作品プランやリサーチのプロセスを言語化・共有し、最終的には論文とショーイングを発表して、修了となります。このショーイングの際に提出するのが「Negotiated Criteria」という評価基準シートで、評価の観点と基準を自分自身で決めて教授陣へ提示します。自身の取り組みが、歴史上(縦軸)と現在のシーン上(横軸)でどこに位置しているのか自覚的でなければ、これは書けません。
 ヨーロッパの大学の研究は、大学の集合知を利用して、シーンを守っていく責任を持つ、という意識が強い。ときには地球の縮図のようなカオスな現場でしたが、立ち位置を自覚して主張する自主性がなければ通用しないところでした。

 

 

──日本で活動しているときに感じている問題点や危機感についても教えて下さい。

 

ハラ 誰に作品を見せるべきか、という集客目的が不確かですよね。
 これは日本の文化経済事情と切り離せない部分ですが、やる方は決して安くはないチケットをたくさん売らなけれないけないし、観る方は「当たり外れ」や「コスパ」に少なからず影響を受けているのを感じます。対価に見合う分は楽しみたい、というエンタテインメント的な満足感が評価基準になっている部分が確実にあります。
 私は、ライブ形態の作品であっても、その場限りの熱量や達成感だけではなく、どれだけ長期的な価値を作れるかということを批評家や観客と共有したいと思っています。

 別の問題点としては、日本では舞台に立つ、あるいは人前に出るという行為が神格化されやすい傾向があり、それが文脈や批評の構築を妨げているように思います。特に作家本人が作品を言葉で語ることへの抵抗感は、やる側にも観る側にも感じることがあります。これはゾーニングの問題でもあるので、そのような「語らない」魅力を、ある部分では私も強く信じています。しかし同時に、現代を生きるアーティストとして、歴史、社会、自己へ向き合い、言語化し、公の場で語り合うための教育や機会は必要だと思っています。
 そもそも国内には身体表現を専門的に扱う研究室や、日本語で読める資料が他の分野と比べて圧倒的に少ないという状況があるので、まずは作り手が自らその土壌を作るしかありません。

 

 

──ハラさんがプログラムを組み立てたワークショップでは「コンセプトとリサーチ」をテーマにしていますね。

 

ハラ はい。これは私が学生として、作家として感じてきた身体表現のシーンの問題を部分的にでも解消するためのプログラムにしたいと思っています。そのために自分がベルリンで出会った教育システムを参考にしながら、F/Tの皆さんと昨年から協議を重ねてきました。
 具体的な内容としては、創作プロセスに必要な方法論、コンセプトの立て方やリサーチの方法を考え、精査し、それを他者と共有する場を設けます。全5回のうち、第1回から第4回までを通して、プレゼンの時間と他の参加者からのフィードバックに時間を設け、1人1人の作品について丁寧に議論を重ねていきます。最終回では、オーディエンスを迎えたなかで、改めてプレゼンとフィードバックの時間を設けます。 自分だけでなく他者の作品に対して、責任と客観性を持って言語化し、磨き上げる時間を目指します。身体表現だけでなく、その先にある新しいシーンを視野に、すぐに使える言葉という武器を増やすための方法論とスキルを身につけるプログラムです。

 

 

──アーティスト・ピットに参加する作家に期待することはなんでしょうか?

 

ハラ 正直なところ、この国内の、荒野のような環境で身体表現を続けていきたいと思っている参加者がいる時点でうれしいです。いまここに、どんな身体表現のアーティストがいるのか知りたいし、出会いたい。

 しかし、これは集団創作の場ではありません。基本的に作家と言う存在は、私が言うまでもなく、1人で生きていくものです。腹をくくり、自分の居場所をこじ開けて声をあげる。アーティスト・ピットは、その戦いの準備をするための場所です。

 そして、私自身もまた若手作家であり、教育者や啓蒙者ではありません。それでもこうした機会を作っているのは、自分を含む身体表現系の若手作家がそれぞれの活動を根気よく続けていく力をつければ、結果として国内にも(私の)足場ができていくはず、という目論見があるからです。
 参加者の皆さんも、このプログラムを自分の未来の踏み台にしてください。皆さんとは、インディペンデントであることを前提に、長期的に共闘していく関係を作れたらと思います。

 

 


 

 

 インタビューを終えて、改めて振り返るのは、日本には長いあいだ批評と議論の文化が根付いてこなかったということだ。大学をはじめとする教育の現場、制作の現場、メディアの現場、いずれも批評的視点に立った制度やプラットフォームはほとんど存在しない。ロジカルな言葉による批評の場が醸成されてこなかったことは、日本における芸術文化の成熟、そしてアーティストや制作者の育成にとって大きな課題といえるだろう。
 さらに現在、アートをめぐる言葉は、SNSや情報サイトなどを媒介に拡散され、伝聞風評を含む玉石混淆の情報がカオス化している。断片的かつ情動的なコメントがランダムに現れては押し流されていく状況は、作家や制作者にとってネガティブに影響するだけでなく、鑑賞者にとっても混乱や曲解、煽動をもたらす。
 本プログラムは、その状況に着手するためのトライアルとして立ち上げられ、成果を積み上げていくことを目指す。初代ファシリテーターを務めるハラサオリ自身が培ってきた「個を背負って、他者に対峙する」態度はその1つの指針となるはずだ。 まずはF/T19「アーティスト・ピット」という“虎の穴”で、これまでなかったほど濃密かつ怜悧な切磋琢磨が繰り広げられることに期待したい。

 

ハラサオリ

ダンサー・美術家。2012年よりベルリンを拠点として作家活動を開始、以来「アフォーダンス」をテーマとして、サイトスペシフィックな空間における即物的身体の在り方を探求している。近年ではダンサーであった実父との生別/死別を扱ったドキュメンタリー作品「Da Dad Dada(ダダッドダダ)」を日本とドイツの二カ国で発表。またその静物的佇まいと動物的躍動感を兼ね備えた身体を活かし、ライブ、MV、TV番組などへも多数出演。2017年度ポーラ美術振興財団派遣海外研修員。東京芸術大学デザイン科、ベルリン芸術大学舞踊科修了。

住吉智恵

アートプロデューサー、ライター。東京生まれ。慶応義塾大学文学部美学美術史学専攻卒業。1990年代より美術ジャーナリストとして活動。オルタナティブスペースTRAUMARIS主宰を経て現在各所で現代美術とパフォーミングアーツの企画を手がける。2011〜2016年、横浜ダンスコレクション/コンペ2審査員。子育て世代のアーティストとオーディエンスを応援するプラットフォーム「ダンス保育園!!実行委員会」代表。日英バイリンガルのカルチャーレビューサイト「RealTokyo」ディレクター。http://www.realtokyo.co.jp

インタビュー・文:住吉智恵 

アーティスト・ピット

ファシリテーター ハラサオリ
ゲストコーチ 大谷能生(11/25、11/26に参加)
日程 第1回 11/18(Mon)11:00~18:00
第2回 11/19(Tue) 11:00~18:00
第3回 11/25(Mon)11:00~18:00
第4回 11/26(Tue) 11:00~18:00
第5回 11/29(Fri)13:00~17:00
会場 くすのき荘(東京都豊島区上池袋4-20-1)


人と都市から始まる舞台芸術祭 フェスティバル/トーキョー19

名称 フェスティバル/トーキョー19 Festival/Tokyo 2019
会期 令和元年(2019年)10月5日(土)~11月10日(日)37日間
会場 東京芸術劇場、あうるすぽっと、シアターグリーンほか


概要

フェスティバル/トーキョー(以下F/T)は、2009年の開始以来、東京・日本を代表する国際舞台芸術祭として、新しい価値を発信し、多様な人々の交流の場を生み出してきました。12回目となるF/T19では国内外のアーティストが結集し、F/Tでしか出会えない国際共同製作プログラムをはじめ、劇場やまちなかでの上演、若手アーティストと協働する事業、市民参加型の作品など、多彩なプロジェクトを展開していきます。

 オープニング・プログラムでは新たな取り組みとして豊島区内の複数の商店街を起点とするパレードを実施予定の他、ポーランドの若手演出家マグダ・シュペフトによる新作を上演いたします。

 2014年から開始した「アジアシリーズ」は、「トランスフィールド from アジア」として現在進行形のアジアの舞台芸術やアートを一カ国に限定せず紹介します。2年間にわたるプロジェクトのドキュントメント『Changes(チェンジズ)』はシーズン2を上映予定です。

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