>   > 【レビュー】苦難の歴史の「詩の国」が被爆国へ深い共感 -『30世紀』に寄せて-
2019/03/01

【レビュー】苦難の歴史の「詩の国」が被爆国へ深い共感 -『30世紀』に寄せて-

  • LINEで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
(文:高橋 豊)

F/T18 アジアシリーズ vol.5 『30世紀』レビュー

 遠い南アジアの国で、毎年8月6日の広島の平和記念日に合わせ、原爆の犠牲者を追悼する芝居を17年間も上演し続けている。劇団が来日し、「フェスティバル/トーキョー18」で待望の日本初公演を果たした。

 バングラデシュの劇団ショプノ・ドルがその劇団で、代表作『30世紀』を東京芸術劇場(シアターウエスト)で2日間,上演した。観劇へ行く前、隣接する池袋西口公園に設置された、1952年にベンガル語を守り犠牲になった人を称えるモニュメント「ショヒド・ミナール」のレプリカに手を合わせた。5年前のF/Tで『東京ヘテロトピア』の企画があり、「東京の中のアジア」13カ所を周ったけれど、その中にショヒド・ミナールがあって、同国の苦難の歴史を知ったのだ。

 バングラデシュは、ベンガル語で「ベンガル人の国」を意味する。ベンガル語は、西隣のインド・西ベンガル州でも用いられていて、第二次世界大戦後の47年に分離独立するまでは一つの文化圏を形成していた。ベンガル語を代表する詩人がタゴールで、アジア人として最初のノーベル文学賞を受賞。神に訴えかけるような切々たる思いが、美しく深い響きの詩句にうたいこまれる。ベンガル語はタゴール以外にも優れた詩人を生んだ。

 インドとパキスタンに分離独立後、イスラム教徒の多いベンガル地区は東パキスタンとなったけれど、西に位置するパキスタンとは千キロ以上も隔っていた。西側がウルドゥ語を国語としたため、母語のベンガル語を愛する東側は激しく抗議活動を展開、死者を生む事件にまで拡大したのである。

 国語問題以外でも東西にはさまざまな格差があり、対立が続いて、ベンガル人は71年に独立を宣言。9カ月に及ぶ独立戦争の末、国家としてのバングラデシュが誕生した。

 バングラデシュは面積が日本の40%程度だが、人口は約1億7千万人とかなり多い。かつては世界最貧国の一つとも言われたが、近年、多くの外資系企業が進出、今後の成長が期待される新興国となっている。

 F/Tは4年前から「アジアシリーズ」をスタートさせ、「韓国」特集を皮切りに毎年1カ国に焦点を当て特集してきたが、今回は「トランス(越える)・フィールド(境界)」をテーマにもっと幅広くアジアの文化とその未来を考察することになった。その目玉がバングラデシュの『30世紀』なのである。

 『30世紀』は、インド現代演劇の開拓者、劇作家バドル・ショルカルが66年にベンガル語で発表した戯曲で、日本の広島・長崎の被爆者の証言、核開発や原爆投下の関係者への問い掛けが軸となっている。この原作を脚色・演出したのが劇団代表のジャヒド・リポンである。49歳の彼は原作戯曲にバングラデシュの現代史や現在の世界情勢など生々しい題材を盛り込んで脚色、幅広い観客層に関心を持ってもらえるよう構築している。

 ショブノ・ドルは01年、リポンが首都ダッカで創立した劇団で、語りと歌を交えたベンガル地方の伝統的な演劇手法を用いながら現代的なテーマを扱っている。代表作が『30世紀』で、02年以後17年間、毎年夏、原爆忌にあわせてダッカで上演を続けてきた。国内外の演劇祭に参加、英国のほか、15年にはアジア最大級の演劇祭であるインド国際演劇祭で公演した。「いつか日本でやりたい」というリポンの夢が、今回のF/T招聘によって実現した。

 『30世紀』は、観客席からコーラス隊が「戦争はいらない、もういらない…。戦争やって、いのち奪って、何が残る、破滅の先に」とハミングしながら舞台に登場して始まる。

 観客は30世紀の人々という設定になっていて、舞台では20-21世紀の人間シュモン(「善なる心」の意味)とワサト(「妥協」の意味)の2人が、証言台の証人を次々と審理していく。演出のリポンが扮するシュモンの何と雄弁なこと。バングラデシュの隣国のインドで、パキスタンで核実験が行われており、73年前に広島と長崎が原爆で壊滅したことを改めて記憶に留めておくべきなのだ、として、原爆の威力が最も顕著に現れる都市の選定に当たった米空軍少佐にこう尋ねる。「広島について今どうお考えですか」に、少佐は「あの状況で、あの司令を受けたら、私は同じことをするでしょう」。シュモンは「少佐の自慢げな語り草は、バングラデシュ独立戦争時の敵軍と共通する点がある。世界中で起きている戦争はどれも、人間のふりをしたケダモノ、戦争犯罪者たちの精神の歪みが招いた結果だから」と斬り捨てる。

 一方、原爆機の別の空軍少佐は、米国に帰国後に精神を病み,国から支給された年金を「殺人の報奨金だ」と手をつけなかった。  被爆した子供たちの作文がいくつも紹介される。コーラス隊が爆風を受けて一瞬に散りじりに吹き飛ぶ校舎を演じた。8歳の男子の作文は「戦争はすべての人の敵だ。戦争を無くし、世界中に平和が訪れるなら天国のお母さんもさぞ喜ぶだろう」と結ばれていた。  広島と長崎で2度も被爆した男性も登場する。エンジニアだった彼は広島の工場でピカドンに遭い、死体だらけの太田川から山を越えて広島の次の駅の輸送列車に乗り込んで、いつの間にか眠り込み、停車した列車から降りると、故郷の長崎。またも被爆。原子爆弾が自分を追いかけてくると、逃げることだけ考えて、57年に放射線誘発癌を発症した。

 54年、ビキニ環礁で米軍の水爆実験によって発生した大量の死の灰を浴びたマグロ漁船「第五福竜丸」の船員の証言も述べられる。1年8カ月の入院治療。故郷・焼津では病院に見舞いに行く母が周囲の人から避けられ、結婚を考えていた女性からは断りの手紙が届いた。放射能被爆の影響で生殖機能が損なわれていることを承知しながら結婚してくれたのは、入院していた病院の看護婦だった。シュモンはこの女性に敬意の念を捧げたいと、観客に起立を要請した(ほとんどが起立)。

 証言台の最後に、大物の科学者が立つ。アルバート・アインシュタイン博士。戦前の39年に米国のルーズベルト大統領に「非常に破壊力のある爆弾を作るのは夢ではない」と手紙を送り、マンハッタン計画をスタートさせた。ナチス・ドイツに留まった科学者がヒトラーに協力するのではないかとの恐れからだが、5年後にアインシュタインはまた大統領に手紙を出す。「ナチス・ドイツも降伏した今、太平洋の無人島で実験を実施すれば、敵国は戦うことを放棄すしかない」。けれど、ルーズベルトは急死、開封されないまま。アインシュタインは広島の写真を見て「こうなると分かっていたら、科学者などでなく、大工になった方が良かった!」と嘆いたと言う。

 ベンガル語による語りの見事さ。「詩の国」ベンガルの舞台の魅力をつくづく感じた。語りと一体化したような音楽、身体を存分に使ったマイム表現など、バングラデシュの伝統に従った舞台は、シンプルだけど、エネルギッシュなメッセージを伝えてくれて、タゴールの詩のような切々たる思いが溢れていた。

 舞台美術も大掛かりな物は一切なく、「ガムチャ」と呼ぶカラフルな手拭が効果的に使われ、新聞紙が未知の情報として舞台に転がる。

 『30世紀』を観ながら、日本はどうしたかと叱責を感じた。唯一の被爆国なのに、国連の「核兵器禁止条約」採決で反対票を投じた。米国の「核の傘」を信じてか?バングラデシュからの平和への願いに響き合って欲しい。

 

 

 

高橋 豊

 
1969年に東京外国語大学フランス語科卒業、毎日新聞社に入社。横浜支局、社会部などを経て学芸部へ。現代演劇、ミュージカルを中心に演劇を取材し、専門編集委員。2010年、卒業したが、客員編集委員として演劇評、コラム「世界をつなぐ劇場」を執筆中。武蔵野美術大学非常勤講師。著書に『幻を追って―仲代達矢の役者半世紀』(毎日新聞社)、『蜷川幸雄伝説』(河出書房親書)など。




アジアシリーズvol.5 ショプノ・ドル『30世紀』

脚色・演出 ジャヒド・リポン
日程 11/3 (Sat) - 11/4 (Sun)
会場 東京芸術劇場 シアターウエスト
  • LINEで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

ピックアップ記事

シンガポールの映像演劇が描く癒しとしてのアニミズム――テアター・エカマトラ『Berak』

(文・金子 遊) 2つ上の姉が高校で演劇部に入ったので、うちには彼女がテレビ

[続きをみる]

「つくる楽しみ」を民主化する ──「するアート」としてのガリ版印刷発信基地

(文・萩原雄太 写真・黑田菜月) リソグラフを使い、参加者がZINEをつくる

[続きをみる]

「追憶」が浮き彫りにする新たな「現在」の生成──村川拓也『ムーンライト』

(文・北小路 隆志 写真・石川 純) これから上演される『ムーンライト』は2

[続きをみる]

現実空間を異化して、現実を抜け出す。――『Rendez-Vous Otsuka South & North』

(文・畠中 実) 演劇やダンス、あるいは音楽の演奏といった芸術表現は、実際に

[続きをみる]