>   > 【レビュー】「おかしみ」を味わうL PACK.の茶会
2019/05/16

【レビュー】「おかしみ」を味わうL PACK.の茶会

  • LINEで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
(文: 林 央子 写真:加藤和也)

 フェスティバル/トーキョーのまちなかパフォーマンスシリーズにおいて、2018年秋、L PACK.が落語をベースにした茶会「定吉と金兵衛」を発表した。


 複数のプロジェクトを同時進行させ、地方の芸術祭など日本のさまざまな場所を舞台にした企画を各地で展開しているL PACK.。彼らの多岐にわたる活動のなかでも落語や茶会といった「テーマ」や、約一時間という「上演時間」をもち、定められた「時間と場所」に何度も繰り返し出現させる、「シナリオ」をもとにした「パフォーマンス」に着手すること。それは、日ごろ「行為」を作品とし、プロジェクトごとにフレキシブルに「場」をつくってきた彼らにとって、新しく挑戦的な試みであった。


 そもそも、パフォーマンスとは何か? 観客は対象を眺める立場にあり、自分は絶対に安全な地帯に居ながら、おもしろおかしいなにかを見物する。それが従来の観客と演者の関係性であるなら、L PACK.の茶会は、まずそこの約束事を覆す。観客は観るものであると同時に、自らも観られるものになるのであった。


 L PACK.の茶会は、書道家の新城大地郎が描いた絵文字を軸に展開する。新城が墨で描いた絵文字を、L PACK.の中嶋が捲る。そこで指示された動作を観客が実践するための道具を、L PACK.の小田桐がすり足で運ぶ。舞台の壁に掛けられた紙はワークショップで産まれた書道(「勘違い」をテーマに、いろんな参加者が書いたもの)だが、それらを総称した作品名には「言葉はへだたりをつくり、絵はつながりをつくる」(哲学者オットー・ノイラートの言葉より)とある。このステイトメントは、L PACK.とこのプロジェクトに共働したアーティストたちとの<言葉による指示を与えずに相手に委ねる>といった関わり方から、セリフがなくト書きも少ないシナリオのあり方まで、作品を貫く一貫した「姿勢」とみることができる。


 「落語」は「言葉」を軸にして落語家と観客が想像の世界を共有し「笑い」が展開されていく芸だが、L PACK.の茶会ではこの墨で描かれた絵文字の「行為」を観客が一人ずつ「真似る」ことで、その場が展開されていく。この観客の「行為」が観る対象であり、L PACK.はいつの間にか黒子になっている。反転。


 「茶会」という儀式には、その場に参加した人に<一連の行為を強いる>という強制力がある。そこを利用したL PACK.はまんまと、携帯扇風機やじょうろ、目隠しといった「道具」を順番に与えながら、観客にコーヒー豆の匂いを嗅がせる、という「ここだけの、しきたりの場」を設定した。観客は安心するどころか、畳の部屋で大真面目な顔をしたLPACK.の黒子に指示されて、冗談としか思えない動作を真面目腐った態度で執行することによって、一人ひとりが、場の主人公になっていったのである。


 L PACK.のつくる、場としての作品をいくつか体験して思うのは、彼らの行為には一貫して「うまみ」と「おかしみ」が溢れている、ということだ。その企画のほとんどに喫茶や飲食がからんでいることから、「うまみ」についてはあまり説明はいらないだろう。体験すればわかるから。彼らの提供するものは確実に「うまい(おいしい)」。そして同時に彼らのつくる場は「おかしい」。そのおかしさの行方について長考したくなるほど、いつまでも味わっていたいと思うほど、「おもしろい」のだ。


 その「おもしろさ」は彼らの「真摯さ」とも関わっている気がする。それほどまでに真摯に、いろんな人やものやエネルギーを総動員して、おもしろい場をつくりあげている理由は何なのだろう? ここに、立ち止まって考えてみたくなる。そこにこそ、現代アートという分野に彼らの活動が関わっている理由がはっきりとある気がしている。


 ところで、L PACK.がつくる場に縁があるのは「おもしろみ」であって、「笑い」ではない、と思う。このちょっとした違いについて、考えてみたい。「笑い」は、その感覚の喜びを、集団的に共有することを志向する行為だ。「笑い」によって成立することができる「落語」や「お笑い番組」は、多くの観客を笑わせることができるときに、はじめて成り立つ。一方で、「おかしみ」は個人的に感知する味わいであるから、かならずしも大人数による共有を、前提にしない。私にとってXは「おかしみ」がある。それは100人のなかでたった2人、あるいは5人しか味わえない感覚だったとしても、構わないものなのだ。「おかしみ」は「うまみ」同様、数や正しさが追求されない、個人的な味わいの体験だから。


 L PACK.の「定吉と金兵衛」も、原案となった落語『茶の湯』と違って、「笑い」を提供はしない。かわりに彼らが提供するのは「おかしみ」である。


 ある人が、隣の人につられて、墨絵の指示するところを取り違えた行動をしたとしても、その場に同席した人たちは、その行為を堂々と「笑う」ことはできない。というのも、ある人を「笑う」とき、その人自身は「自分は失敗しない場所にいる」ことが保証されていて、安心しているからこそ、笑うことができるはずだから。L PACK.の茶会では、どんな振る舞いが正解で、どんな振る舞いが失敗だったかは、終始明らかにされない。つまり、「誰かの振る舞いを笑う、自分の振る舞いは果たしてどうなのか?」という危うい場所に、誰もが等しく立たされていることになるのだ。


 この場にいながらにして、堂々とほかの人を笑うことができる人は、つねに自らにも「しきたりのなかで、正しくあること」を課さない人。すなわち、とても「自由な人」だ、と言えるかもしれない。


 「コーヒー」「朝ご飯」「おでん」といった身近なもの、飲食という誰でも参加可能な行為を入り口に、行方知れずの場へ持って行くL PACK.と、身近なものを入り口に、行方知らずの場へ持って行かれる観客の共犯関係について、考えてみる。観客はL PACK.の仕掛けた場に対し、「この場はどこに向かっているんだろう?」という問いや、期待を抱きながら参加する。通常、私たちが参加する場、たとえばカフェ、喫茶店、図書館、学校などはそれぞれがはっきりとした目的をもつ場であり、そこで自分が「どう参加するか」を、あえて意識する必要はない。カフェや喫茶店では、ある一定の時間をそこで飲み物とともに過ごす。多くの人は人と話したり、一人であればスマホをみたり、本やノートパソコンに向かったりもする。隣の人を観察したり、会話を交わしたりすることもあるかもしれないが、それ以上に予想外のことがおこることはまれである。


 L PACK.のつくり出す場に参加する。それは上記のような場に行く行為とは異なる体験である。それが生活のなかで儀式性のたかい行為、たとえば「お茶会」であったとしても、より日常にちかい「日用品店での買い物」あったとしても、「コーヒーのある風景」に参加することであったとしても、参加者は必ず、L PACK.により、自分がその場に参加する目的がすこし(あるいは結構?)、ズラされることを、承知の上で臨む。その心構えができているばかりか、楽しみにしている。いったい今度は、なにが、どれだけズラされているのか? L PACK.の茶会は、通常の茶会とどこまで違うのだろうか? そのズレを、一人ひとりが個人的に「味わう」ことに醍醐味がある。「なるほどL PACK.の茶会とは、こういう茶会だったのか」という解釈が、その人のなかに産まれる瞬間。そこには、パフォーマンスという概念への、茶会という概念への書き換えが、少なからず含まれている。彼らが、現代アートの世界に関わっている理由は、そこにある。


 最近、2000年代に活躍をはじめたアーティストたちの共通項を考える機会があった。わたしのなかに浮かんだフレーズは「Your life is a battleground.」ということだった。グローバリゼーションによる様々な問題に直面している時代において、暮らしは彼らにとって、最前線の戦場なのだ。生活に身を置き、既存の場を手近にあるもので変えること。その場に今いる自分が、手近にあるものでできることをすること。それが何よりも「批評的」な行為になる。落語や書道や茶会といった伝統的な表現形式と、L PACK.率いる現代アート作家たちのせめぎ合いから産みおとされたパフォーマンス、「定吉と金兵衛」はそんな彼らの主戦場が輪郭をもってあらわれた、「おかしみの場」の60分だった。


 L PACK.は民芸と関わりをもつが、そこにある形を完全な美として愛でようと関わるのではなく、たとえそこにある形が不完全なものであっても、その文脈や余白をふくめて愛でようとする姿勢で関わる。そこにある客観的なまなざし、批評的なスタンスを私たちは「L PACK.のおかしみが存分に効いただし汁」のように、二重三重に味わい、たのしむのだ。今日もまた、ごちそうさまでした。

(文: 林 央子 写真:加藤和也)

 

林央子(はやし・なかこ)
  編集者。1966年生まれ。同時代を生きるアーティストとの 対話から紡ぎ出す個人雑誌『here and there』を企画・編集・執筆する。2002年に同誌を創刊し、現在までに今号を含み13冊制作。資生堂『花椿』編集部に所属(1988〜2001)の後フリーランスに。自身の琴線にふれたアーティストの活動を、新聞、雑誌、webマガジンなど各種媒体への執筆により継続的にレポートする。2011年に刊行した『拡張するファッション』(スペースシャワーネットワーク)は、ファッションを軸に現代的なものづくりや表現の方法を探っている国内外のアーティストたちの仕事を紹介し、多くの反響を呼ぶ。

L PACK.(エルパック)
  小田桐奨と中嶋哲矢によるユニット。共に1984年生まれ、静岡文化芸術大学空間造形学科卒。最小限の道具と現地の素材を臨機応変に組み合わせた「コーヒーのある風景」をきっかけに、まちの要素の一部となることを目指す。各地のプロジェクトやレジデンスプログラム、エキシビションに参加。

 

まちなかパフォーマンスシリーズL PACK.『定吉と金兵衛』

作・出演・出演 L PACK.
日程 茶会
10/31 (Wed) 15:00 / 19:00 11/1 (Thu) 休演日 11/2 (Fri) 15:00 / 19:00 11/3 (Sat) 11:00 / 15:00 / 19:00
会場 豊島区立目白庭園 赤鳥庵
美術 青木一将(ミラクルファクトリー)、加藤芽、狩野哲郎、佐藤慎太郎(乃し梅本舗 佐藤屋)、新城大地郎、Taigen Kawabe( Bo Ningen ) 、田中恭子(RITOGLASS)、田幡畳店、風景をつくっていく野良着 SAGYO
 
  • LINEで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

ピックアップ記事

舞台美術家という名の「コミュニケーションデザイナー」は、 都市を変えられるのか? ─セノ派インタビュー

(インタビュー・文:もてスリム 撮影:鈴木渉) フェスティバル/トーキョー19(以下、F/T)のオープニングプログラムを...

[続きをみる]

「対立多発時代」に非人間的視点から世界に臨む演劇 ―マグダ・シュペフト インタビュー

(インタビュー・文:岩城京子 写真:冨田了平) フェスティバル/トーキョー19で新作を上演予定のポーランドの演出家マグダ...

[続きをみる]

【レビュー】「おかしみ」を味わうL PACK.の茶会

(文: 林 央子 写真:加藤和也) フェスティバル/トーキョーのまちなかパフォーマンスシリーズにおいて、2018年秋、L...

[続きをみる]

『演劇書簡 -文字による長い対話-』 返信への返信:松田正隆

(文・松田正隆) 『演劇書簡 -文字による長い対話-』 返信への返信 私はこの書簡の問いかけを、ある具体的な実感から始め...

[続きをみる]

カテゴリ