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2020/08/20

想像力は移動できる F/Tディレクターインタビュー<後編>

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(文・萩原雄太)

──現体制3年目を迎えるフェスティバル/トーキョー(F/T)の開催を前に、共同ディレクターの長島確と河合千佳に行ったインタビュー。前編では、新型コロナウイルスによるパンデミックが広がる中で、二人が考えていたことを伺うとともに、過去2年にわたってディレクターとして行った活動の軌跡を振り返ってもらった。 後編では「想像力どこへ行く?」をテーマに掲げ、昨年とはうって変わり、劇場を使った作品にフォーカスした今年のF/Tについて話を聞く。これまでにない感染症が猛威を振るう状況を背景に、F/Tはどのような姿を見せるのだろうか?

※このインタビューは5月末に行いました。

想像力は「移動」できる

──今年のF/Tでは『想像力どこへ行く?』をテーマとして掲げています。これは、どのような意図から生み出された言葉なのでしょうか?

長島 「想像力」というキーワードはパンデミック以前から出ていました。しかし、このような状況を迎えてみると、改めて、数ヶ月で世界がこんなふうに変わってしまうなんて全く想像できていなかったことに気付かされます。 今回掲げている「想像力」とは、アーティストだけが持っているものではなく、誰もが持っているもの。人間であれば、誰もがいい想像も悪い想像もしますよね。想像力によって悲観や悪意を生み出すこともできるし、他人のことを思いやったり、まだ存在しない優れたものを生み出すこともできる。身体の移動もままならない中で、そんな想像力が「どこへ行く」のかが、今年のテーマなんです。

河合 ただ、想像力に対しては、注意が必要な面もあります。「アートを通じて想像力を養う」と、よく言われますが、アートから広がる想像力にはポジティブな効用もある一方で、ある風潮を先導してしまったり、よりクローズドな方に進んで行く危険性もある。私たちとしては、このフェスティバルを人間の持つ想像力を狭めない方向へと進む場所にしていきたい一方で、「想像力は素晴らしい」と、安易に価値付けをするつもりもありません。

長島 この言葉が向かうのは「想像力を養いなさい」という、お決まりのゴールではない。これは、あくまでもスタート地点としての言葉に過ぎません。これをどのように解釈していくのかは、アーティストや観客に委ねられているんです。

──今年、F/Tに参加するアーティストとして、日本からは村川拓也さん、白神ももこさんらが発表されています。これらのアーティストをラインナップした背景には、どのような意図があるのでしょうか?

長島 昨年、いろいろな出会いを生み出すために、劇場の外へ出るプログラムに集中して取り組みました。しかし一方で、F/Tは劇場を捨てるつもりはない。劇場でしかできないことはたくさんあるし、そこで行う意味がある作品もいっぱいある。そこで、今年はブラックボックス型の空間を自覚的に使っている村川さんや白神さんに劇場での作品をつくることをお願いしました。

──一方、海外からは、昨年のF/Tでサンプルの松井周さんによる戯曲『ファーム』を演出したキム・ジョンさん、ピナ・バウシュのヴッパタール舞踊団に在籍していた振付家のファビアン・プリオヴィルさん、シンガポールのテアター・エカマトラなどが参加します。

長島 キム・ジョンさんは、オーソドックスな劇場型作品、戯曲上演型の作品をつくる人です。演出家として、劇作家が書いた戯曲を、俳優と一緒に立ち上げていくことに真っ向から取り組んでいる。そのような演劇のスタイルも、フェスティバルとしては大切にしていきたいと考えています。


F/T19 『ファーム』
演出:キム・ジョン 作:松井 周
Photo: Alloposidae


また、ピナ・バウシュのカンパニーでダンサーとして活躍していたファビアン・プリオヴィルさんは、ヨーロッパにおけるダンスの最先端を引き受けてきた人物。ヴッパタール舞踊団から独立して以降、テクノロジーを積極的に使ったり、ノンプロフェッショナルなダンサーと協働する作品を数多く発表してきました。劇場の枠にとらわれない好奇心、あるいはダンサーじゃない人とも組むオープンさがとても魅力的なんです。

河合 テアター・エカマトラは、当初招聘予定だった作品に関しては、リサーチからずっと日本人の俳優と一緒に作品を作ってきました。1943年に公開された日本映画『マライの虎』をモチーフに、その映画を再現するという内容です。形態こそ異なりますが、去年のJK・アニコチェによる『サンド・アイル』のように、アジアの別の拠点で暮らすアーティストの視点から日本を見つめ直す作品でした。ただ、今回はこのような中でカンパニーを招聘することが叶わなかったので、3月に彼らが公演予定だった別の作品を映像化したものや、彼らの活動を日本の観客に紹介する映像を配信します。


──今回、劇場を使う作品を意図的に取り上げている一方で、「劇場」の意味は、パンデミックを通じて大きく変わろうとしています。多数の人々が集まる場所が忌避される今、劇場はどのような役割を持つ場所となるのでしょうか?

河合 劇場については、今後、意味の拡大解釈がどんどんと出てくると思います。例えば、カフェが「お茶を飲む場」から「集う場」に変わったように、劇場も「芸術に触れる場」から、「人々が集って体験する場」「発見を伝える場」といった意味へと拡大していくでしょう。

以前、軍事政権が終わって2〜3年のミャンマーへ足を運んだ時、そこには劇場がなかったんです。軍事政権時代には集会の自由が禁止されており、劇場のように人が集まる場所をつくれなかった。日本で劇場と言えば、エンターテイメントや文化を享受する場ですが、ミャンマーでは劇場は「集会をする場所」という意味を持っていたんです。

──芸術を享受する場だけでなく、劇場は集会の場としての意味も持っているんですね。

河合 ソーシャルディスタンスを保ちながら、これまでのように「芸術に触れる場所」として劇場を捉えることは、収益構造としても難しいでしょう。前編でお話したことに共通しますが、劇場の意味を変え、そこで行われる体験の質を「観る」というレイヤーから変えていかなければ、今後、演劇に関わる人々は苦しむ一方ではないかと考えています。

長島 現在、多くの劇場が閉鎖されている状況ですが、いつかまた劇場にぎっしり人が集まれる日は必ず来る。しかし、そのためには数年単位の時間がかかるかもしれない。そして、再び劇場に普通に集まれるようになったとしても、これまで漫然と当たり前にしていた価値観は変わっていくでしょう。

「やっぱり劇場でなければだめ」という部分が見いだされる一方、「劇場じゃなくてもいい」ということもたくさん発見されていくはず。それを見据え、我々が今までやってきたことの検証をしながら、その上で何ができるのかを実験していくことによって、通常通りに劇場が使えないこの期間を、ポジティブな時間にしていくことが必要だと考えています。


街の人々が持つ「すごい技術」

──今回、劇場作品が数多く上演される一方セノ派による『移動祝祭商店街』やHand Saw Pressによる『とびだせ!ガリ版印刷発信基地』は、昨年に引き続いて実施されます。これらは、どのような形で発展していくのでしょうか?

長島 この2つのプログラムについては、今後もできるだけ継続していきたいと考えています。単純に人気があったというだけでなく、アートの側や劇場の側、フェスティバルの側としても、街から与えてもらえるものがとても多く、手応えを感じることができました。

継続していくことによって、これらプログラムはもっとおもしろくなっていきます。街と一緒にプロジェクトを展開する場合にも、演技やダンスと同じように技術や練習が必要です。街もアーティストも、お互いに手探りをするなかで、いろいろな感触を得て、アイデアが湧いてくるんです。

──どのように関わるのか、どこまで踏み込んでいけるのか、誰を巻き込んでいくのかなど、交渉する技術が高まることによって、お互いの関係が豊かになっていく、というイメージですね。

長島 はい。『移動祝祭商店街』をやったセノ派のメンバーも、これに取り組んだことによって舞台美術の可能性や舞台美術家として街と関わる方法を考えた。それは『移動祝祭商店街』だけではなく、別の現場でのクリエーションにも生かされていきます。 また、街の人たちにとっても、この経験が日常生活の別の場面で思わぬ役に立つといいなと願っています。アーティストと街の人、それぞれの中に積み上げが起こる場所としてこのプロジェクトがあるんです。

一方、『とびだせ!ガリ版印刷発信基地』に関しても、ガリ版印刷(リソグラフ)で誰もが自分の小さなメディアを作ることができる場を提供することによって、それまでF/Tとしては全く接点のなかったような方々に大勢参加してもらえました。 これらのプログラムを行うことで、地元でいろいろな活動をしている人たちと知り合うことができ始めています。長い時間をかけて、卓抜なアイデアを織り交ぜながら、ボトムアップで街の整備を実現してきた方たちや、商売の傍らで黙々とミニコミ誌を続けてきたような方。そんな街の人の持つ「すごい技術」をもっと教わっていきたいですね。

河合 街の人が優れた技術を発揮する一方、プロの技術も見てほしいですね。スマホが普及して、誰もが写真を撮ったり、映像を取ることができるようになると、改めてプロのスゴさを実感するように、誰もが参加できるプラットフォームで「自分でも楽しめた」という体験を提供すると同時に、プロの技術を見せることで「やっぱりプロはすごい」とも感じてほしい。

長島 「アーティストのすごい技術」と「街の人のすごい技術」。それぞれの「すごい」が噴出することによって、双方に刺激が生まれてくるとおもしろいですよね。


F/T19『移動祝祭商店街』
パフォーマンスデザイン:セノ派(舞台美術家コレクティブ)
Photo: Alloposidae


東京にたくさんの「出る杭」をつくる

──最後に、コロナ禍を経て、今後F/Tが考えていくポイントはどこにあると思いますか?

長島 前編の冒頭でお話したように、我々にインストールされている新自由主義的な考え方について、今後どのように接していけばいいのかを考えています。

市場原理と自己責任論、そのなかで自分の「価値」を上げつづけるゲームみたいなものが生き方の規範になっており、アートも無関係ではありません。競争心含め、アートの創意工夫にはとても魅力があるけれど、「アートがわかる私は偉い」「わからないお前はダメだ」といった優劣のツールのようになってしまうととても嫌なんです。しかし、そのような思考回路はとても根深くはびこっています。

「政治や経済と別のドアを開ける」というF/Tの昔からのミッションを別の言葉で言えば、アートは市場原理以外の原理、経済合理性とは別の合理性を見つけられるはずです。現状の中でお金がちゃんと回ることは重要ですが、そもそも「経済」とは何か? 新自由主義的な世界観が限界を迎えているいま、市場原理とか「自分の資本価値を上げつづけるゲーム」とは別の時間や空間を作るためにこそアートに何ができるのかを、より考えていく必要がある。コロナ禍の状況になって、市場原理と自己責任論だけではどうにもならない大切な部分が社会の中にあることが明らかになったのは希望だと思います。今後、どのような状況を迎えるのかは誰にもわかりませんが、こうしたことを丁寧に考えていきたいと思っています。

河合 おそらく、コロナを経て「東京じゃなくてもいい」と思う人は一定数出てくるでしょう。遠隔で打ち合わせもでき、直接対面する機会が減れば、東京に住む必要は薄れていく。日本国内の別の場所に住んだり、国を超えて移住していく人も増えるかもしれない。

そんな中で、東京が持っている魅力を考えると、それは「さまざまな人がいること」ではないかと思います。F/Tのお客さんは20~40代が中心なのですが、東京における20~40代には、外国籍の方の割合がとても多いんです。「日本人」や「演劇好き」といった特定の層だけに目を向けるのではなく、F/Tでは、違うところから来た人と一緒に何かをすることを前提としたプログラムを展開していきたい。

今、東京には、みんなが枠の中から出ないようにする不自由な空気があります。しかし、F/Tを通じて、そんな枠から自由になるヒントを提示し、「出る杭」のような人々が大勢いることを発信する。それによって、東京だけでなく、日本全体をいろいろな人の存在が許容される社会に変えていけるのではないでしょうか。

(文・萩原雄太)




長島 確(ながしま・かく)

立教大学文学部フランス文学科卒。同大学院在学中、ベケットの後期散文作品を研究・翻訳するかたわら、字幕オペレーター、上演台本の翻訳者として演劇に関わるようになる。その後、日本におけるドラマトゥルクの草分けとして、さまざまな演出家や振付家の作品に参加。近年は演劇の発想やノウハウを劇場外に持ち出すことに興味をもち、アートプロジェクトにも積極的に関わる。参加した主な劇場作品に『アトミック・サバイバー』(阿部初美演出、TIF2007)、『4.48 サイコシス』(飴屋法水演出、F/T09秋)、『フィガロの結婚』(菅尾友演出、日生オペラ2012)、『効率学のススメ』(ジョン・マグラー演出、新国立劇場)、『DOUBLE TOMORROW』(ファビアン・プリオヴィル演出、演劇集団円)、『マザー・マザー・マザー』(中野成樹+フランケンズ、CIRCULATION KYOTO)ほか。主な劇場外での作品・プロジェクトに「アトレウス家」シリーズ、『長島確のつくりかた研究所』(ともに東京アートポイント計画)、「ザ・ワールド」(大橋可也&ダンサーズ)、『←(やじるし)』(さいたまトリエンナーレ2016)、『まちと劇場の技技(わざわざ)交換所』(穂の国とよはし芸術劇場PLAT)など。18年度より、F/Tディレクター。東京芸術祭2018より「プランニングチーム」メンバー。東京藝術大学音楽環境創造科非常勤講師。



河合 千佳(かわい・ちか)

武蔵野美術大学卒造形学部基礎デザイン学科。劇団制作として、新作公演、国内ツアー、海外共同製作を担当。企画製作会社勤務、フリーランスを経て、2007年にNPO法人アートネットワーク・ジャパン(ANJ)入社、川崎市アートセンター準備室に配属。「芸術を創造し、発信する劇場」のコンセプトのもと、新作クリエーション、海外招聘、若手アーティスト支援プログラムの設計を担当。また同時に、開館から5年にわたり、劇場の制度設計や管理運営業務にも携わる。2012年、フェスティバル/トーキョー実行委員会事務局に配属。日本を含むアジアの若手アーティストを対象とした公募プログラムや、海外共同製作作品を担当。また公演制作に加え、事務局運営担当として、行政および協力企業とのパートナーシップ構築、ファンドレイズ業務にも従事。15年度より副ディレクター。18年度より、F/T共同ディレクター。東京芸術祭2018より「プランニングチーム」メンバー。日本大学芸術学部演劇学科非常勤講師。



萩原雄太(はぎわら・ゆうた)

1983年生まれ。演出家、かもめマシーン主宰。早稲田大学在学中より演劇活動を開始。愛知県文化振興事業団「第13回AAF戯曲賞」、「利賀演劇人コンクール2016」、浅草キッド『本業』読書感想文コンクール受賞。手塚夏子『私的解剖実験6 虚像からの旅立ち』にはパフォーマーとして出演。2018年、ベルリンで開催された「Theatertreffen International Forum」に参加。2019年度・2020年度セゾン文化財団ジュニアフェロー。




人と都市から始まる舞台芸術祭 フェスティバル/トーキョー20

名称 フェスティバル/トーキョー20 Festival/Tokyo 2019
会期 令和2年(2020年)10月16日(Fri)~11月15日(Sun)31日間
会場 東京芸術劇場、あうるすぽっと(豊島区立舞台芸術交流センター)、トランパル大塚、豊島区内商店街、オンライン会場 ほか
※内容は変更になる可能性がございます。


概要

フェスティバル/トーキョー(F/T)は、同時代の舞台芸術の魅力を多角的に紹介し、新たな可能性を追究する芸術祭です。
2009年の開始以来、国内外の先鋭的なアーティストによる演劇、ダンス、音楽、美術、映像等のプログラムを東京・池袋エリアを拠点に実施し、337作品、2349公演を上演、72万人を超える観客・参加者が集いました。
「人と都市から始まる舞台芸術祭」として、都市型フェスティバルの可能性とモデルを更新するべく、新たな挑戦を続けています。
本年は新型コロナウイルス感染拡大を受け、オンライン含め物理的距離の確保に配慮した形で開催いたします。



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