寄稿・越村 勲(東京造形大学教授)

 幼いスルタンが足をバタバタさせる。第一部は、そんな可愛い場面にほっとしたりするものの、基本は戦争と殺戮の連続、まさに『ホラー・ショー・ファイル』(2010)。ただ、その争いは単純な「聖戦」ではない。

 三部作の物語は、大枠としてA・マアルーフの『アラブが見た十字軍』を基にしている。この歴史物語は、アラブの視点に加え、そのアラブがヨーロッパから「遅れた」のは何故かを自問したところに特徴がある。エジプト人映像作家ワエル・シャウキーは、いくつかの時代と都市それぞれを舞台に、その物語を描いていく。

© Wael Shawky; Courtesy the Artist and Lisson Gallery

『十字軍芝居 ― 三部作 ―』監督:ワエル・シャウキー

10月14日(土)~10月16日(月) 池袋HUMAXシネマズ

 あらすじはこう。最初の十字軍は1096年。それが1099年には、エルサレムを占領する。エルサレムへ行く途中、フランクつまりヨーロッパ人はアラブ内部の分裂を利用し、町々ですべての男、女や子供を虐殺する。ある町の軍勢が、数週間彼らに抵抗する。一旦、すべての命を助けるようお互いが合意。だが十字軍は町に入ると、すべてのイスラム人家族を殺害しながら、飢えのため「人食い」をする。あまりの恐怖から多くのアラブ人は、十字軍を自由に通過させる。フランクはエルサレムの市壁で抵抗に遭うが、それも打ち破った。

 第二部『カイロへの道』(2012)は、第一次十字軍の余波を受け、中東の中が複雑な関係になっていく様子を写す。十字軍がエルサレムを占領した後、どのようにダマスカス、アレッポそしてバグダッドに進行したかを描く。また映画はアラブのリーダー内部の関係についても描いていく。軍隊の統制が取れず、彼らも非常な残虐行為を犯した。そのため、彼らは長い間劣勢を覆すことができなかったのだ。

 この部分は時々理解不可能である。あまり知られていない人物、都市、出来事が次々と出てくる。しかし、すべての物事が分からなくても、この一時間の作品は、貪欲、憤慨、裏切りと流血の不思議な世界に観る者を引き込んでいく。殺し合いを続ける王たち、互いに殺人を企てる兄弟たち、色んな国王と次々に結婚する花嫁たち―これは都市を象徴している―の話で、『カイロへの道』は満ち溢れる。十字軍は邪魔するものはすべて破壊する。しかしシャウキーは、アラブを犠牲者としてではなく自らの運命に対して責任がある存在として表現する。

 第三部『聖地カルバラーの秘密』(2015)でシャウキーは、中東が陥った複雑な状況の原因を冷静に視ていく。そのため第三部は、680年のカルバラーの闘争の回想から始まる。この闘争はスンニー派とシーア派の、イスラム教同士の分裂の始まりを意味するのだ。それはイスラムとキリスト教の「聖戦」の内側に「別の対立」があったことを意味する。それから映画は、サラディン率いるイスラム教徒が1187年、十字軍を追い出してエルサレムを掌握する様子を映し出す。サラディンは戦略に長け、流血を嫌った。彼の聖都奪還のための懐柔策は功を奏した。彼は虐殺の代わりにヨーロッパ人に身代金を払わせ、身代金を都合できなかった者も支払いを免除。未亡人と孤児には、帰還ための土産を与えた。キリスト教の寺院を尊重し、キリスト教徒の聖地巡礼を許した。ただ、そのサラディンの権勢にも陰りがやってくる。

 最後にシャウキーは、エルサレム奪還を目指した第四次十字軍の無意味さを示し、イタリアの勝利とルネサンスの到来を予告する。こうして映画は終わる。以上の物語を演じる声優たちのせりふ回し、歌や音楽はオリジナリティーに溢れ、実に素晴らしい。

© Wael Shawky; Courtesy the Artist and Lisson Gallery

 シャウキーは、フランクつまりヨーロッパ人にも古アラビア語を話させる。当初シャウキーは、『十字軍芝居』を世界的に広めるため、英語で作るべきだと考えた。しかし彼は「あとになって私はこの考えが確実に間違っていると気づいた。アラビアの歴史を元にしているのだから、全て古典的なアラビア語で語られるべきだ。」と語っている。なるほど、皇帝や教皇といったキャラクターも古アラビア語を話すことによって、両者の境界を曖味にすることができるではないか。また彼は、ヴェネツィアン・グラスを人形に使った。これもイスラム・キリスト教世界の境界を曖昧にすることになる。そもそもヴェネツィアは、物語のなかで重要な役割を果たしている。『聖地カルバラーの秘密』は、1204年にヴェネツィアがコンスタンティノープルを占領したところで話の終わりを迎える。ヴェネツィアは残酷さの源である。そして美の象徴でもある。

 ヴェネツィアン・グラス、そして木や陶器のマリオネットがこの映画の主役。年を追うごとに人形の姿は、シャウキーがニューヨークのメトロポリタン美術館で学んだアフリカの仮面に似て、自然的で動物的になっていく。戦争が続くにつれ、十字軍とアラブ兵たちはだんだんと脆く、透けはじめ、人間らしさが失われるのだ。

© Wael Shawky; Courtesy the Artist and Lisson Gallery

 そもそも人形劇は、シャウキーの故郷エジプトでも盛んであるようだ。

シャウキーは、1971年にアレクサンドリアに生まれた。メッカで幼児期を過した彼の作品には、イスラムの美意識が見てとれる。1994年にアレキサンドリアの芸術学校を卒業した後、美術学修士を取るためフィラデルフィアヘ移った。2011年にエルンスト・シェリング財団のアートアワードを受賞して、最も独創的なビデオ・アーティストに仲間入り。初期の作品『ケーブ』(2005)では、ドイツのスーパーマーケットを、コーランを復唱しながら歩く自分自身を撮影した。人前でアラビア語を話すことが、好奇の的になった頃だ。その後シャウキーは、操り人形を選んだ。その理由として、人形の方が役者よりも、可愛いく繊細だからだと彼は語っている。「観客は操り人形に自己を見出すことができるし、投影することもできる。これがプロの役者ならば、たとえアル・パチーノが演じたとしても、そうはいかない。誰かが演じているものとして見てしまうから。」

 今日の世界は最早特定の力で抑えられない。このことは、逆説的に、歴史の中で個人が果たす役割を大きく見せる。階級や国家という、これまで世界を担ってきた集合が力を失うからだ。そして個人の一部は、運命を自らの手で握ろうとする。人形使いになろうとする。ファウストのように。

 『十字軍芝居』では、人形を動かすワイヤーがはっきり見える。歴史が作られ、人々が操作されていることを思い出させるものとして、ワイヤーは可視化されている。一つの人形が複数の役をやることもある。すべての人形が9本のひもで操られる。目、肩、手、脚に二本づつ、そして骨盤に一本である。主役級にはさらに目に二本、口に二本ひもがつく。

© Wael Shawky; Courtesy the Artist and Lisson Gallery

 三部作にはそれぞれ独自の視覚的特徴がある。『ホラー・ショー・ファイル』における濁った色は、物語が始まる中世のヨーロッパを表現している。『カイロヘの道』は、特に16世紀のボスニア人地図製作者マトラクチュ・ナスーフの鮮やかな色のアラビア細密画からヒントを得ている。『聖地カルバラーの秘密』のピンクの塔は、インスタレーションとしてリヴォリ城に本格的に再現されたものだが、イタリア・パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂にあるマトラクチュとジョットが描いたフレスコ画にインスパイアされたものだ。

最後に歴史と芸術の問題!

 監督のスタッフへの指示は、「十字軍にたいするアラブなりの見方と一致するような、グラフィックや立体のかたちを見つけてくれ」だった。そしてシャウキーは、映画の側が十字軍を「リードする」ことを求めながら、一歩ずつ映像を作っていった。他者の目を意識し、彼自身の歴史観を確かめながら、芸術を形にしていく。要するに、シャウキーの視覚芸術は「手作り(マニュアル)」の側にある。こういう姿勢には、歴史は事実の蓄積よりもむしろ人間の創造の結果であってほしいという感覚があるはずだが、ドイツのアーティストならば、さらに「社会的彫刻」ということばを使うだろう。「生きている者はすべてが社会という生き物の創作者であり、彫刻家または建設者になる」とか言うだろう。しかし、「歴史上も現代も意思決定(特に政治や経済の)はだれかによって作られたり、操られたりしている」という人はもっと多い。

 そしてシャウキーは言う。「芸術は学び、発見するための手段でもある」と。シャウキーの人形のワイヤーはどこか一局につながっているわけではない。そこがあたらしい。

 ま、いろいろという前にまずは『十字軍芝居』の世界に迷い込んでみて!

 そういう私は、三部の最後でヴェネツィアに襲われるクロアティアを研究している。

 

越村勲

東京造形大学教授。富山県生まれ、ザグレブ大学・一橋大学大学院修了(社会学博士)。専攻はクロアティアなど境界地域の社会や文化の歴史。大学では世界のアニメーションについても共同講義。広島アニメーションフェスティバルでは第11回大会より同デイリーブルティン編集長。またクロアティアの歴史に関するアニメーションをプロデュースしている。

 


フェスティバル/トーキョー17主催プログラム

『十字軍芝居 ― 三部作 ―』監督:ワエル・シャウキー

© Wael Shawky; Courtesy the Artist and Lisson Gallery

手製の操り人形が再現する、十字軍遠征の血の歴史

アラブ世界の現実を、神話や空想を交えた芸術作品に昇華するワエル・シャウキー。エジプト出身の彼が、十字軍遠征の軌跡を「聖戦」とは異なる視点から描いたアミン・マアルーフの著書『アラブが見た十字軍』にインスパイアされ、製作した映像三部作(第一部『ホラー・ショー・ファイル』/第二部『カイロへの道』/第三部『聖地カルバラーの秘密』) を日本で初めて完全上映する。木や粘土、ヴェネツィアン・グラスでつくられた操り人形たちが、実際の戦跡を再現したセットで、古典アラビア語を用いて演じる歴史的事件の顛末。彼らの見せる表情、流す血の思わぬ生々しさが、私たちの歴史観に風穴を開ける−。

日程:10月14日(土)~10月16日(月)

会場 池袋HUMAXシネマズ 詳細・

       

チケット

 

© Wael Shawky; Courtesy the Artist and Lisson Gallery

ワエル・シャウキー

アーティスト・映画監督。1971年エジプト生まれ。アレクサンドリア大学で美術を学んだ後、ペンシルバニア大学でMFAを取得。アラブ世界を主軸とした丹念なリサーチの成果を、映画、パフォーマンスなど、さまざまな形式で作品化し、国家や宗教、芸術的なアイデンティティを問い直す。なかでも『十字軍芝居』では、中世におけるイスラム教とキリスト教との激しい衝突の歴史を、真実とフィクション、霊的教義と純粋な探究心とを織り交ぜ、融合させつつ、再現した。その作品は世界演劇祭(2010)やMoMA PS1(2015)、ヨコハマ・トリエンナーレ2017など、世界各地の芸術祭や美術展で取り上げられている。

 


フェスティバル/トーキョー17 演劇×ダンス×美術×音楽…に出会う、国際舞台芸術祭

名称: フェスティバル/トーキョー17 Festival/Tokyo 2017
会期: 平成29年(2017年)9月30日(土)~11月12日(日)44日間
会場: 東京芸術劇場、あうるすぽっと、PARADISE AIRほか

舞台芸術の魅力を多角的に提示する国内最大級の国際舞台芸術祭。第10回となるF/T17は、「新しい人 広い場所へ」をテーマとし、国内外から集結する同時代の優れた舞台作品の上演を軸に、各作品に関連したトーク、映画上映などのプログラムを展開します。 日本の舞台芸術シーンを牽引する演出家たちによる新作公演や、国境を越えたパートナーシップに基づく共同製作作品の上演、さらに引き続き東日本大震災の経験を経て生みだされた表現にも目を向けていきます。

最新情報は公式HPへ


こちらもお読み下さい

中野成樹×福田毅 男ふたり、ぶらり街歩き in 松戸

ディレクター・メッセージ: フェスティバル/トーキョー17開催に向けて 「新しい人 広い場所へ」