今年のF/Tの目玉の1つ、中国特集で紹介するミレニアル世代のアーティストの中でも、特に異彩を放つのがチェン・ティエンジュオである。チベット系仏教の信者だと公言する彼の作風は、仏教的なモチーフと、きゃりーぱみゅぱみゅを思わせる奇抜なファッションや美術、トリップ感のある音楽がミックスされた独自の世界観を特徴とする。そんなチェン氏が、F/Tのプロモーションの一環としてストリーミングチャンネルDOMMUNEに出演。美術ライター/編集者の島貫泰介氏による司会進行のもと、自身のルーツや作品に対する姿勢などを話してくれた。以下は、そのときの発言を再構成したもの。途中からDOMMUNE主宰の宇川直宏氏も加わったトークの様子と共に、F/T17『忉利天(とうりてん)』への期待を高めていただければ幸いだ。

(文:西本 勲 編集:島貫泰介 撮影:西野正将)

 

パーティーのような感覚で作品を「体験」してほしい

今回F/Tで上演される『忉利天(とうりてん)』は、これまでチェン氏が発表してきたパフォーマンスや映像作品を、劇場用に再創造する試み。そこで、彼の過去作の映像をいくつか観ながら、『忉利天』鑑賞に向けてのヒントを探ってみたい。最初に紹介する『自在天』は2時間超の舞台作品。キャストと音楽はチェン氏の複数作に関わり、『忉利天』にも参加する顔ぶれだ。

『自在天』

チェン この『自在天』は最初に北京で発表し、ウィーンとハンブルクの音楽祭、芸術祭にも出展しました。ヒンドゥー教と仏教の要素を盛り込んでいて、ベースになっているのは、ヒンドゥー教の根幹となるテキストをアレンジしたものです。出演者はさまざまな国の役者やミュージシャンたちで構成され、日本からは薩摩琵琶奏者の西原鶴真さんが参加しています。

島貫 『自在天』『忉利天』など、タイトルに「天」とついた一連のシリーズがありますが、これは仏教の用語でしょうか?

チェン ええ、仏教の六欲天という概念から取っています。天国はいくつもの層に分かれていて、その中でも忉利天というのは欲望に捉われた人間の世界に近い。天国に行ったつもりでもすぐ人間界に落とされ、地獄に落ちるかもしれない。そういう輪廻の中で彷徨う私たちのように、完全なようで不完全なものを表現しています。

アジアシリーズ vol.4 中国特集 『忉利天』(とうりてん)
構成・演出・美術:チェン・ティエンジュオ
11/10 (金)、11/11 (土) あうるすぽっと

島貫 つまりチェンさんによる、仏教説話や宗教的世界観の翻訳のようなものだと?

チェン そうですね。僕自身の経験や想像によって、今の時代に仏教とヒンドゥー教を読み解いているとも言えます。

島貫 その一方で、ファッションやデザイン、音楽は今日的でポップな印象があります。

チェン 仏教への信仰は揺るぎないものですが、ヒップホップやエレクトロニックミュージック、ファッションも好きです。つまり僕の作品は、自分の好きなものを1つに融合させたものだと言えますね。パフォーマンスの部分はクラブカルチャーにもつながっていますし、僕自身もパーティーアニマルと言えるくらい、パーティーが大好き。観客の皆さんも、僕の作品を観るときはパーティーに参加しているような感覚で体験してほしいと思っています。

島貫 今の中国に、パーティーカルチャーというのは普通にあるのですか?

チェン まだ一般的とは言えません。上海では2年くらい前からようやく始まったという感じですね。

 

僕のあらゆる経験は衝突の中から生まれた

次に紹介するのは、先ほどの『自在天』に音楽で参加しているアイシャ・デヴィのミュージックビデオ『Mazdâ』。彼の作品に頻出するエキセントリックなモチーフが随所に登場し、中毒性のある世界を作り上げている。

『Mazdâ』

島貫 これはかなり強烈ですね。

チェン まさに先ほど話したように、パーティーに参加しているような感覚で観てもらえるように作りました。僕の作品は、音楽祭やクラブで上演/上映されることが多いので、お客さんもちょっとドラッグ入っちゃったり酔っ払っていたりするんです。でもF/Tはもっとシリアスな場ですよね? 劇場の椅子に座ってちゃんと観るという。そこに生まれる新たな衝突みたいなものを楽しみにしています。

島貫 ある種のアブノーマルな、倒錯趣味のパフォーマンスをする場所やシーンに対する親近感のようなものはあるのですか?

チェン セレモニー、儀式のようなものを作りたいんです。観ている側も参加者として感情移入し、それが儀式として成り立つことで1つの作品が完成すると思っています。

島貫 さまざまな文化的習慣や宗教的儀礼みたいなものがシャッフルされているのは、80〜90年代のサブカルチャー的なものとも近い印象があり、それを仏教の信仰心と関連付けているところがとても面白いです。

チェン それはごく自然な過程で、自分が成長する中で生まれてくる焦りや不安といったものを、何かに託して解釈したいというのがありました。僕は中国からイギリスに留学しましたが、中国にいるときは全てのものがほぼ信じられなくて、イギリスに行ったら全てのものが信じられるようになった。これって大きな衝突なんですよね。交わらない両極端のものがぶつかり合い、それが広がっていく中では、より慰めとなるようなものが必要で、僕自身が納得できる解釈が必要だった。僕のあらゆる経験は、衝突の中で生まれたと言っても過言ではないと思います。

 

作品を通して、何かを疑ってほしいと思っている

両極端なものの衝突。チェン氏が話したその言葉に、彼の作品を読み解く鍵がありそうだ。ここからは宇川直宏氏が加わり、話題はさらに深いところへ進んでいく。

宇川 僕が初めてチェンさんの作品を観させていただいたのは、去年のアルス・エレクトロニカにDOMMUNEが参加したとき、先ほどのアイシャさんもライブパフォーマンスを行っていて、その後ろでチェンさんの映像が……先ほどの『Mazdâ』が使われていたんです。そこで感じたのは、マシュー・バーニーだったり、デヴィッド・リンチの魔術的な世界観だったり、またはきゃりーぱみゅぱみゅのようなキモかわいい、グロかわいい世界が存在しているということ。あるいは寺山修二の世界観だったり、ホドロフスキーの『ホーリー・マウンテン』だったり、石橋義正さんのキュピキュピだったり。そんなふうに、現代芸術と宗教、ポップカルチャーの意匠が入り乱れた新しい世界観が作られていると思ったんです。

チェン 今名前が挙がった人たちは、多かれ少なかれ僕に影響を与えています。例えば舞踏のエッセンスも僕のダンスの中に融合していて、初期は特にその傾向が強かったです。その後は、舞踏にヒップホップの要素を組み合わせるようになりました。

宇川 それはヤバいですね。あと、パーティーカルチャーやレイブカルチャーからの影響もあると思うのですが、チェンさんがロンドンに住んでいた時期はいつですか?

チェン 2005年に渡英し、2012年に帰ってきました。クラブシーンで言うと、ハウスやテクノ、特にダブステップが始まった頃ですね。

宇川 チェンさんの作品には、そういう快楽主義的な世界と、宗教的、禁欲的な要素が渾然一体になっている。

チェン 僕自身は仏教徒ですが、宗教にはいろいろな制約がありますよね? その一方で、資本主義の中に生きる僕というのは、欲望を持った個体です。つまり、宗教的な教えと自分の欲望的な部分に大きな衝突があって、それがすごく重要だと思う。僕は自分の作品を通して人々に何かを信じてもらいたいわけではなく、何かを疑ってほしいと思って作品を提示しています。作品の中でいろいろなものが入り乱れているのは、まさにその衝突そのものを示しているんです。

 

舞踏を媒介にした高次元なコミュニケーションの可能性

宇川 あと、やはり先ほども名前を挙げたきゃりーぱみゅぱみゅの世界観ともすごく近いものを感じますね。彼女が世界的に有名になった理由の1つは、宗教的なアイコンを現代にアップデートしているところだと思うんです。彼女が発する言葉は、日本語がわからない人にとってはマントラ的に聴こえるんじゃないか。『Mazdâ』に出てきた目玉のモチーフなんかも、きゃりーぱみゅぱみゅの『PONPONPON』をよりドープにしたような世界観に見えます。

チェン きゃりーぱみゅぱみゅはすごく好きです。ポップカルチャーというのは、偶像崇拝を加速するための過程であると思います。彼女がその中で楽しそうにしている様子は、僕がインドに行ったときに見たインドの神様、怒りながら舌を出しているようなものとリンクするんですね。ROCK IN JAPAN FESTIVALも観に行ったことがあるのですが、きゃりーぱみゅぱみゅが出演していて、何万人もの観客がみんな同じようなオタクポーズをとっているんですね。それってまさにセレモニーというか、宗教的な儀式空間だと感じました。

宇川 フェスティバル/トーキョーは演劇とかパフォーマンスが軸にあるイベントですよね? そういう身体的な表現が、今は映像やデジタルテクノロジーと混ざり合って、どんどんボーダーレスになってきている。中国では、そのあたりの現状はどうですか?

チェン 中国の演劇シーンはあまりフォローしていないんです。演劇出身ではない自分がアーティストとして招聘され、劇場でパフォーマンスするという今回のようなケースは特殊かもしれませんね。僕は、演劇とかパフォーミングアートというような括りに意味はないと思います。現代芸術も然りですが、そういう固定された文脈の中で語られるのは面白くない。特に中国の劇場はさまざまな制限がありすぎるので、劇場の外で起こっていることの方がドラマ性があると思います。

宇川 ではもう1本、映像を観ましょう。『PICNIC』という作品です。

『PICNIC』

 

島貫 後半はかなり舞踏っぽいですね。

宇川 冒頭はヒップホップ、ギャングスターっぽい。すごく面白いですね。こういう世界をどんな形でF/Tの演目に落とし込むのか、とても興味があります。

チェン ここに出てくる舞踏家はよく一緒にコラボしている中国人で、僕の映像作品にはすべて彼が出演しています。彼は舞踏のレクチャーを全く受けたことがなく、すべてYouTubeを観てマスターしたそうです。今回の『忉利天』にも出演してくれますが、先ほど話したように、舞踏にヒップホップの要素やヴォーギングをミックスしたものをお見せしようと思っています。

宇川 その舞踏というのは日本発祥のものなのか、それとも中国特有の踊りが活かされているのでしょうか?

チェン もちろん舞踏は日本の発祥ですが、過去にはインドネシアの宮廷舞踊やトルコの旋回舞踊といったエッセンスも過去に取り入れながら、身体を媒介にして伝えられる宗教的な表現とは何だろうと考えています。トランス状態に入れば、もっと高次元なところでコミュニケーションが取れるのではないか。僕は踊りの形式よりも、そういうことに関心があります。

宇川 かなり期待したいですね!


チェン・ティエンジュオ(陈 天灼)

1985年北京生まれ。2009年セントラル・セント・マーチンズを卒業。10年チェルシー・カレッジ・オブ・アート修士課程終了。現在は北京を拠点に、ダンサーやミュージシャン、フランスのアートグループなどとのジャンルを超えた協働作業を続ける。17年にはウィーン芸術週間やドイツの世界演劇祭へも招聘されているなど、世界的なアーティストとして注目されている。

宇川直宏(うかわ・なおひろ)
1968年香川県生まれ。映像作家 / グラフィックデザイナー / VJ / 文筆家 / 京都造形芸術大学教授 / そして「現在美術家」。既成のファインアートと大衆文化の枠組みを抹消し、現在の日本にあって最も自由な表現活動を行っている自称「MEDIA THERAPIST」。2010年3月に突如個人で立ち上げたライブストリーミングスタジオ兼チャンネル「DOMMUNE」は、開局と同時に記録的なビューアー数をたたき出し、国内外で話題を呼び続ける「文化庁メディア芸術祭推薦作品」。

島貫泰介(しまぬき・たいすけ)
美術ライター/編集者。1980年生まれ。『CINRA.NET』、『美術手帖』などで現代美術、演劇などアート&カルチャーの記事執筆・企画編集を行う。


フェスティバル/トーキョー17主催プログラム

アジアシリーズ vol.4 中国特集 『忉利天(とうりてん)』
構成・演出・美術:チェン・ティエンジュオ

古代神×クラブミュージック。熱狂と混沌の中に立ち上がる「いま」

 彫刻や絵画といったファインアートから、グラフィックやファッションのデザインまで、縦横無尽にジャンルを行き来し、東西の多様な文化をミックスアップ、サイケデリックかつポップな作品に昇華するチェン・ティエンジュオ。英国留学を経て、ヨーロッパのレイブ、クラブシーンにも精通する彼が、これまでに発表してきたライブ・パフォーマンスを、劇場作品としてリ・クリエーションする。神々が跋扈する古代の世界と現代のクラブ・カルチャーとが邂逅し、出現させるまたとない空間に身をまかせよ!

日程:11/10 (金) 19:00、11/11 (土) 19:30 会場:あうるすぽっと 詳細・チケット


フェスティバル/トーキョー17 演劇×ダンス×美術×音楽…に出会う、国際舞台芸術祭

名称: フェスティバル/トーキョー17 Festival/Tokyo 2017
会期: 平成29年(2017年)9月30日(土)~11月12日(日)44日間
会場: 東京芸術劇場、あうるすぽっと、PARADISE AIRほか

舞台芸術の魅力を多角的に提示する国内最大級の国際舞台芸術祭。第10回となるF/T17は、「新しい人 広い場所へ」をテーマとし、国内外から集結する同時代の優れた舞台作品の上演を軸に、各作品に関連したトーク、映画上映などのプログラムを展開します。 日本の舞台芸術シーンを牽引する演出家たちによる新作公演や、国境を越えたパートナーシップに基づく共同製作作品の上演、さらに引き続き東日本大震災の経験を経て生みだされた表現にも目を向けていきます。

最新情報は公式HPへ


こちらもお読みください

「なかったものが、急に手に入る」を経験している中国ミレニアル世代
日本と中国のファッション、その現在を探る
移動し続けるアーティストたち、その役割とは。