(構成・文:鈴木理映子 撮影:鈴木 渉)

 

複数の作家が福島に取材し、書き下ろした短・中篇戯曲を集め、一編につき一度限りの上演を行う、マレビトの会のプロジェクト、『福島を上演する』(F/T16〜)。福島第一原発の事故から6年。被災地をめぐるさまざまな言説、表現が生まれ、物語が編まれ続けるなか、小さな、しかし特異とも言える試みを重ねる彼らが今、志向する演劇とは? 前シリーズ『長崎を上演する』はもちろん、マレビトの会の活動を目撃してきた、演劇学者の平田栄一朗と、マレビトの会代表の松田正隆の語らいは、「劇場空間」の捉え方から、主題と演技の距離、現実と演劇の関係へと、大きく思考を拡げ、深めるものとなった。

 

F/T17  マレビトの会『福島を上演する』 Photo:Masanobu Nishino

 

平田 マレビトの会は2014年から『長崎を上演する』というプロジェクトを3年間された後、昨年度から同じく3年間の計画で『福島を上演する』を始められました。この流れを私は目撃者のように追っています。昨年(2016)の『福島を上演する』は、2012年のF/Tの時(『アンティゴネーへの旅の記録とその上演』における第二の上演*1)と同様に、劇場ではない、広い空間の中で上演したのに対し、今回はいわゆる小劇場で、上演戯曲も増やし、日数も増やす形で上演されました。一つの演目は一度きりの上演ですから、それを観られる人は限られましたし、考え方によっては、この方法は、このシリーズの全貌を見えづらくしたようにも思えます。そうしたいわば不親切な試みをしたのはどういうことだったのか。もちろん松田さんは、ずっと以前の『雲母坂』(2001)や『蝶のやうな私の郷愁』(1991)といった作品でも小劇場での上演をされていたんですが、今回の試みは、それとは相当に違うのではないかと思うんです。

松田 前回の会場は、にしすがも創造舎という元体育館で、密閉感のない、ノイジーな、演劇的集中力を削ぐような空間でしたね。それで4日間、1日につき2時間くらいの作品を上演して。途中で休憩を入れたりはしましたが、1回ごとの上演のサイズは今回より大きかったわけです。一つの戯曲を1回しか上演しないというのは変わらないんですが、今回はさらにサイズを細切れにするため、戯曲も増やし、それぞれの上演時間も短くし、7日間かけて上演しました。つまり、1単位(の上演)をより小さいものにすることで、それらをジグソーパズルを構成するピースのひとつとしてではなく、もっと広い宇宙規模の時間、「全体」への接着面としての上演にしていったという感じです。

平田 今回私が観たのは、7日間の上演のうち4日だけですが、統一的、調和的なイメージをあえて避けるような、フラングメントとしての上演を徹底しているなということは感じました。だから福島の特定のイメージではなく、その場所に点在する出来事や人々の思いが断片的に垣間見えるような表現スタイルだったように思います。

松田 始まりと終わりを、仮にでも確定し、パッケージ化することはできなかったんですね。上演の時間の一瞬一瞬の時間が、始めから終わりという一つの線的なものの一部というふうにはならないように、その一瞬が同時に俯瞰でもあり、永遠にもなるというようにできないかと考えていました。それをやるにはこうした上演形態がいいだろうと。もちろんそれは、長崎、広島、福島と、長いスパンをかけて被爆都市を扱った演劇を上演していくプロジェクトのあり方ともつながることだと思っています。

平田 それを、空間的にも小さな、小劇場でというのは、どういう意図からでしたか。

松田 昨年のにしすがも創造舎も、その前のシリーズで使っていた立教大学のロフト1もそうですが、これまでのマレビトの会は、わりと広くて奥行きのある場所で上演をしてきました。でも今回はそれをスクリーンで見せるというか、もう少し抽象的に見せたかった。つまり、劇場の実際のパースペクティブの中に具象的な遠近法を生み出すというよりは、観客と上演の関係によって、理念的、あるいは仮想的な奥行きが見出されるようなことを考えたわけです。観客が実際の舞台と自身の思考とを行き来することから、奥行きや空間の裂け目がどんどん産出される……それを「出来事の演劇」というふうに、私は述べていたわけです。

F/T16 マレビトの会『福島を上演する』  会場:にしすがも創造舎   Photo: Masanobu Nishino

平田 マレビトの会は『長崎を上演する』のころから「ドラマ」を基盤に活動されていますね。ただ、それは劇的な意味でのドラマではなく、カタストロフィが起きた場所を取り上げても、それを示唆する内容をできるだけ前景化しない、独特の手法を模索したと思います。『長崎〜』では、ただバス停で待っているとか、市電の中で友人同士が会話しているなどの小さな情景が淡々と繰り広げられるだけで、被爆や大きな不幸という話題があえて伝わらないようになっていました。タイトルに「長崎」がなければ、これがかつての被災地をスケッチした上演であることすら、観客は想像できなかったかもしれません。一方、今回の『福島〜』の作品群はむしろ、戦前の日本の戯曲にあった一幕ものに似ていて、小さく濃密な空間の中で、ドラマの中の人物像はより際立っていたと思いますし、ちょっとした場面の転換や変化をも含んでいたような気がします。福島の地を思い起こさせるせりふもありました。だから今回福島に取材して感じ取った何かを観客に伝える時に、一見伝統的なドラマ形式を想起させつつ、それとは異なる新境地を開こうとしているのかな、と感じられたのも、私には面白いことでした。

松田 確かに、12回ある公演の中では、何かの起点になるような、フラグメントになりすぎない、ある程度の長さも持った戯曲があったと思います。また、自分自身もそれを意識して書いたものもあります。ただ、そこにはちょっと、劇作家の自意識が出すぎたのかもしれないですね。

平田 でもそれは、3.11から6年が経ったという、時間の流れの必然でもあるんじゃないですか。『アンティゴネーへの旅の記録とその上演』の時だって、今と同じように、松田さんや当時の制作チームの人たちは、なんらかの形でここにある出来事を伝えようとしなければいけないと考えていたはずです。ただ、その段階では、カタストロフの体験や余波それ自体が断片化されていたんではないかと思います。それが、6年という月日を経て人々が出来事を回顧していくなかで、そのつど少しずつ物語化されていった面がある。現場にいない人たちの中でも、そこに暮らしている人たちの中でも、小さな物語や出来事の積み重ねはありますから。

松田 無意識のうちにも物語が紡がれるんじゃないかとは感じていましたし、それを肯定的に捉えることもできるのかもしれません。いずれにせよ、いわゆるカタルシスが用意されるような表象の演劇には陥ってないことを祈りますけどね。

平田 カタストロフを扱っているからこそ、皆、その核心を知りたくて、こうした上演に惹きつけられる。でも、観る側も、やる側も、当事者じゃない人たちは、ただ堂々めぐりをするしかないんです。『HIROSHIMA-HAPCHEON』*2がF/T10で上演された時、僕はかなり長い時間、会場をウロウロしていて、明日館の2階から階下の上演を見下ろしたりもしました。興味深いことに、出演者も観客も階下中央に書かれた「爆心地」とされる場所には近づくが、そこは決して踏まないんです。出演者が散らばって各スポットで披露するパフォーマンス自体も観客に紛れるように行われたりして、観客が彼らの周りを巡回していました。たぶん、マレビトの会はこのことを、いろんな形式、構造でやり続けているんじゃないでしょうか。今回も福島をテーマに置きつつも、回転寿司での食事や国道の渋滞、あるいは嫁いでいった妹と兄との会話といった、核心よりも周辺にある断片を展示する上演が行われていたという気がします。

 

F/T10 マレビトの会『HIROSHIMA-HAPCHEON:二つの都市をめぐる展覧会』

松田 だから起点はカタストロフなんですけど、その出し口は遍在しているという。そのことによって大きな物語性を崩壊させるというか。

平田 その出し口のドラマ的な完成度が高すぎると、「面白い」とそこだけが一人歩きしちゃう。でも、松田さんやマレビトの会は、そういう意味での素晴らしい作品を作ろうとしているんじゃなく、実はどこかにあるかもしれない核心の周囲を手探りして、その試行錯誤を提示している。だから観客の側も試行錯誤で観るしかないんです。これはすごく消化不良かもしれないけど、スカッとしたカタルシスを用意することによって、かえって福島のことを考えなくなっちゃう……というような悪しき風潮を避けているというふうにも解釈できます。

*1 ギリシャ劇『アンティゴネー』を上演しようとする架空の劇団のメンバーらの日常を垣間見させる、SNSと街頭劇による「第一の上演」と、それらの体験を経た登場人物たちの身体を「展示」する「第二の上演」によって構成された。

*2 広島と韓国人被爆者が多く住むハプチョンに取材した展示型演劇。自由学園明日館の講堂内に、一人ひとりの俳優とそのパフォーマンスが「展示」される。

マレビトの会『福島を上演する』

作・演出:マレビトの会

©Keiko Sasaoka

過ぎ去っていく数々の「出来事」から、福島の「いま」を垣間見る
複数の作家が福島に取材し書いた戯曲を、いかに現在の「出来事」として劇場に立ち上げるのか。ごくシンプルな空間で、俳優の身体のみを使い、各エピソードにつき一度きりの上演に挑戦した。 詳細は公式HP

 

福島と劇場と。二つの「出来事」、二つの「現場」

平田 『長崎を上演する』シリーズより前の『HIROSHIMA-HAPCHEON』や『PARK CITY』(2009)もそうですが、マレビトの会は、圧倒的な出来事のあった場所に取材しながら作品をつくっています。ただそれは、何か面白いトピックを提供したり、過去の出来事を掘り下げたドキュメンタリー映像を撮ったりする一般的なジャーナリズムの伝達手法とは異なるもので、その場にある何かを受け止めようとするところから始まっているように見えるんです。ドイツ語では、自分が受け身の状況で出来事が起きることを「widerfahren(ヴィーターファーレン)」というんですが、ある場所で何かを探そうとする調査ではなく、ある出来事が自分の意思に反して起きてくることをまず受け止める。そうした受動の体験から作者の想像、創造を形づくり、小さな作品として提案しているんですね。特に『長崎〜』『福島〜』の場合には、複数の作者がいて、それぞれが取材地で体験した何ものかを、松田さんをはじめとする演出チームが受け止めているわけですから、その試みは決して「すごい表現を目指そう」というものじゃないはずです。それよりはむしろパッシブ(受動態)の状態で、取材を通して何かを受け止め、それを戯曲にし、演出に受け渡し、さらにそれを俳優たちが上演を通して観客に受け渡す。このプロセスが非常に重要で、その始まりが、松田さんたちの現地での「皮膚感覚」なのだと思います。これは、長崎や福島に対して、誰もが共通認識として「こういうことが起きた場所だから」と考えたり、そこで何かを表現しようとするのとは、本質的に異なる態度ですし、僕はそういう考え方が個人的にも好きなんです。

マレビトの会『長崎を上演する』(2016)   Photo:Masanobu Nishino

松田 「対話」というより「折衝」という方がしっくりくる、と言えばいいのかな。「対話」というと、福島や長崎とコミュニケーションするということになるけど、それは互いの意思を伝達して共通理解、共有の場をつくりあげることを前提とした、弁証法的な作業ですよね。それよりも、ドゥルーズの概念にもある内と外との「折衝」。それはまさにパッシブに、外部が内部に入ってきたり、内部が外部に感染したりもする「出来事」的な出会いです。それがあって初めて対話が始まるんだと思う。ドゥルーズはこのことを「ゲリラ戦を戦う」という詩的な言葉で表現していますけど、そういう意識は、もしかしたら『アンティゴネー〜』のころからあったのかもしれない。つまり、福島はこういう場所だとか、長崎はこういう原爆が落ちた場所だとか、大きな人類の歴史的なストーリーに抵抗したいというのがわれわれの考えで、それが、対象そのものと対話するというよりも、いったんその場所で、出来事の余波や余韻、痕跡に身をおき、折衝しながら、違う問いや結果を産出していくという創作のプロセスになっているんじゃないかな。

平田 英語でもフランス語でも、コミュニケーションの「コミュ」は「共通」を意味するんですよね。だからそこでは、最初から皆が「同じである」ことが前提となりがちになってしまいます。これに対してこの言葉に相当するドイツ語「Mitteilung(ミットタイルング)」は異なる意味合いを含んでいます。「ミット」は「with/共に」で「タイルング」は部分化するという意味です。つまりコミュニケーションは、出来事を共有すると同時に、それを各人で部分化して受け取るような伝達でもあることが示唆されているんです。この示唆に沿ったコミュニケーションでは、大きな災害が起こった時、すぐに「つながろう」とするのではなく、直接的に関わっていない者たちが、まずは各人で、出来事を断片として受け止めた上で、それでも共有できるものがあるかを模索することが可能になります。これが目指すべきコミュニケーションのあり方なんじゃないかと思います。そういう意味でも、マレビトの会のプロジェクトが、断片化された小さな物語の形式を見せていることは、観客のイマジネーションをより創造/想像的に導いているんじゃないでしょうか。また、松田さんたちの取材は、カタストロフからの距離はもちつつも、確かにその余波を含んでもいたはずです。そして演劇もまた、舞台と観客との間の距離を保ちつつ、その間に起こる出来事を含んでいる。このことには、深いつながりを感じます。ですから、やはり、このシリーズの起点が、現場に行って取材することにあるのは重要です。

松田 ただ、現場っていうのは、地理的な場所だけを指すのかということもありますよね。たとえばパレスチナについて、東京に住んでいる私たちには現場性がないのか。だから、確かに地理的な現場での出来事を受容はするんだけど、上演においてはそれとは別の時間、空間の位相が現れなくてはならない。それが、現実の距離感を崩壊させるような「出来事性」なんだと思っています。

平田 福島に行くと、予測していた不幸とか悲惨というより、一見普通の、まったりした時間が流れていたりしますよね。さっきから出てきている「受け身」の話は、鷲田清一さんの思想に影響を及ぼした哲学者ベルンハルト・ヴァルデンフェルスが言っていることで、そういうふうに想像とは反するようなかたちで受け身的に体験する物事を、彼は「Ereignis エアアイグニス=出来事」と呼びます。それはもちろん上演の中でもあるでしょうし、取材や創作のプロセスの中にも示されている気がします。Aという出来事を受け、咀嚼したからといって、A’ができるとも限らない。その結果出来上がるのは、思いがけずPという戯曲なのかもしれない。そうした「出来事」も、マレビトの会の「現場」なのではないかと思います。

松田 私たちは常に出来事の痕跡を、いろいろな形で受肉しているわけです。それをどのように演劇で表出していくか。福島に行って受肉したものを、戯曲というひとつの時間性を持つ表現に表出する。そのことによってまた、出来事の痕跡が紙に付着する。それが俳優に受け渡されて、彼らは戯曲の言葉、空間や時間から受肉したものを、観客に受け渡していく。この受肉のリレーが行われていくといいなと思っているんです。観客にしても、やはり受け身で上演を受けたのちに、今度は言葉としてそれを世界に表出するわけで。ただ、この受肉が固着したものになってしまうと、さっきも言った同化を基底とした表象の伝達になってしまう。だから、いったん受肉したものを、脱受肉したり、再受肉するというような繰り返しが必要になるんだと思います。 

 「スカ」の演技が「私」を問い直す 

 平田 『長崎を上演する』でも『福島を上演する』でもそうですが、俳優たちは、せりふやその人物の意図をマイムで再現しているように見える。でも、どうもそれが意図的にヘタウマになっていて、空疎というかスカっぽいんですね。でも、そのスカはどこかに開かれている気がするんです。その部分が僕自身がこの5年間このプロジェクト観ていて、気になっていることでもあります。

松田 さっき平田さんが言った「with」のあり方ですよね。受肉した身体は出来事の方に従属している。やっぱり登場人物の心情とか葛藤だけでない、上演空間の変化の度合いを一気に、全体的に見せていきたいですしね。僕たちはよく「地」と「図」っていうんですけど、上演では、時に俳優のパフォーマンスが地になったり、あるいは劇場も地になったり図になったりというようなことを表出させようとしていました。だから、演技としては、儀式的だったり、よりコント的だったかもしれません。ちょっと真似すれば、その人ということになる、というような。要するに登場人物の声と俳優の声が二重唱になるように、もっと言えばそのどちらからも自由な混声が聞こえてくるようにしたいんです。エリック・ロメールの『聖杯伝説』(1978)という映画は、テキストの上演を映画として撮っているものなんですが、中でも面白いのが、主人公を名乗っている人物が「こんにちは」と言えばいいところを、「彼はその時女にこんにちはといった」というふうに言うことです。自由間接話法をそのままやっている。それと同じような意識でせりふを覚え、発話してほしいということはいつも考えています。近代の演劇は、俳優がせりふを受肉する際に、身体自体を変容させてしまった。「と言った」の部分を排除したことを忘れて、せりふを所有してしまう。そういう演劇からはちょっと遠ざかりたいなと思うんです。

平田 たとえばマレビトの会の初期の作品『王女A』(2005)は、救済を待ちわびつつ、それを約束する母なる言語にとらわれたような不思議な人々の世界を描いていました。せりふ自体は直接話法でしたが、その発せられ方は、とりつかれたような人の語り口であり、俳優が自家薬籠中のものとして語るのとは異なるものでした。それも言葉の受肉の表れだったと思います。それが、「誰々がこのように言った」というような、距離を含む間接話法になってきたのは、おそらく『PARK CITY』以後です。ただ、発話のテンションは、以前と比べて下がったように観えますが、せりふの扱いという意味では変わらない部分もあるんじゃないかなと思います。

松田 自由間接話法の「自由」は、「私」という人称から自由ってことだと思うんですよね。

平田 それは、現代の社会における世界観と主体の話としても捉えられます。取り組むべき問題ってたいていは「私」や「私たち」の側にもあるけど、みんなそのことよりも、問題の所在を自分(たち)以外の誰かに求めてしまう。この、見えなくなってしまった「私自身」という問題に、フロイトやラカンなどの現代思想の担い手たちは気づき、取り組んできたわけです。ハンス=ティース・レーマンの『ポストドラマ演劇』を訳した立場から言えば、西洋近代ドラマの限界は、私は明確に私であり、他者は明確に他者であり、私と他者は明確に線引きできると考える一義的な主体と他者を基本的な人間観としたことにあります。そのような私が、他者や、他者が引き起こす何かと葛藤し、私は苦しいという状況を社会問題や人間関係の問題として扱うことが、伝統的なドラマの基本でした。でも問題はそれだけでなく、そもそも私自身がときに自己矛盾したり、自分と折り合いをつけることでも葛藤する。演劇は主体の曖昧さを前提にして成り立つ芸術です。ある俳優がハムレットやオフェーリアを演じることで、私が私であるようでないような、ハムレット/オフェーリアであるようでないような、俳優であるようでないような曖昧な自己を観客の前に晒します。見方を変えれば、演劇は、私は私であるという一義的な主体の呪縛から私たちを解放すると同時に、「私自身」や「私たち」と安易に区切る見方を問い直すことができます。

松田 主体、人称を自由に移行する演劇もあるとは思います。ただそれは変化の先が特定されるトランスフォームなんですよね。AからBに、BからCに人称が変化し、その人格も移っていくという。それよりも僕がやりたいのは、デフォルメ。変容先がわからないまま、変化し続け、歪み続けていく。その変化の途上に独特の緊張感を見出せる演劇ができるといいと思う。

平田 今、松田さんが言った「トランスフォーム」の「トランス」という言葉は「Transzendenzトランスツェンデンツ=超越」の意味も持ちます。私というAが自分を超えて非Aになる時、そこで想定されているのは、神に対してどこまで近づき、対話できるかです。でも今は神の存在を自明とする時代じゃないですから。俗的な人間界において「歪み、ずれていく私」にトランスフォームしてしまう方が、現代社会の人間像にマッチした演劇の姿なんだと思います。そもそも西洋人だろうが日本人だろうが、今や誰も完結した不変の「私」なんてものは持っていませんから。そんな「いい加減な私」を演じるのに、役にうまく入り込むような演技法はそぐわないですよね。

松田 ただ、この作品は一見普通のドラマ演劇でもありますから、そのぶん『アンティゴネー〜』の頃よりは、見やすくなった部分もあるでしょうし、逆に理解しづらいところもあるかもしれない。私たちとしては、演技のことはもちろん、最初にも言った「全体」へ開いていくために、上演の単位を小さくして、毎回違うことをしているけれど「同じことを繰り返しても、それはできるんじゃない? その一瞬一瞬は違うように見えるんじゃない?」と言われてしまうと……。

平田 そのような問いを含めた堂々巡りの試行錯誤こそ、マレビトの会のメンバーが福島を見据えて取り組んできたものなんだと思います。同じものを繰り返して「完成」が見えてしまっては、明確な答えのない何かをめぐって模索してきた俳優たちも、明日どうしたらいいかもなどと、かえって不安になるはずです。

松田 もちろん、この形式は来年も続けますけどね。単純に言っても12時間、福島の時間が演劇として流れていて、そこでは16人の俳優が何百人もの人物を創出している。その豊かさは、ほかではできないことだろうと思いますから。 

 

松田正隆(マレビトの会代表)

1962年長崎県生まれ。2003年、演劇の可能性を模索する集団「マレビトの会」を結成。主な作品に『cryptograph』(2007)、『声紋都市—父への手紙』(2009)、写真家笹岡啓子との共同作品『PARK CITY』(2009)、『HIROSHIMA-HAPCHEON:二つの都市をめぐる展覧会』(2010)、『アンティゴネーへの旅の記録とその上演』(2012)、『長崎を上演する』(2013−16) などがある。立教大学映像身体学科教授。

 

平田栄一朗(ひらた・えいいちろう)

演劇学・ドイツ演劇研究。慶應義塾大学文学部教授。主な著訳書『ドラマトゥルク』(三元社)、『在と不在のパラドックス――日欧の現代演劇論』(三元社)、『Theater in Japan』(共編著、Theater der Zeit社)、『ニーチェ 三部作』(翻訳、論創社)、『バルコニーの情景』(翻訳、論創社)、『パフォーマンスの美学』(共訳、論創社)、『ポストドラマ演劇』(共訳、同学社)。