寄稿:岩城京子

 パレスチナ人弁護士で作家のラジャ・シェハデは、パレスチナ自治区ラマラに即席で作られた未完の仮設小屋で「ナクバ」と「占領」にまつわる芝居を観た1972年当時を、「無邪気な日々」と追憶する。 ガザ地区とウエストバンクをイスラエルが占領した第三次中東戦争から、まだ数年しかたっていない当時。もしかするとパレスチナの人々は、いまよりも紛争に終止符が打たれる未来に希望を抱けていたのかもしれない。あるいは単に、いまほど情報のインフラが整っておらず、監視と検閲に対してそこまでビクつく必要がなかったのかもしれない。私はパレスチナ問題の専門家ではないから詳細はわからない。けれどシェハデが使う「無邪気」という形容詞から察するに、45年前はまだ、ナクバというイスラエル建国の日であり、同時に多くのパレスチナ人が虐殺・追放された「大厄災の日」についての演劇を、ラマラで上演できてしまう無邪気さが存在したのだ。

『パレスチナ、イヤーゼロ』作・演出:イナト・ヴァイツマン

10月27日(金)~10月29日(日) あうるすぽっと 詳細・チケット

 

 1973年生まれの人気テレビ・映画女優で人権活動家のイナト・ヴァイツマンが、20年来の女優業に終わりを告げ、劇作家・演出家としての活動をはじめようと考えたとき、状況は「無邪気さ」からは程遠いものになっていた。イスラエル国家は急速に右傾化。2013年には、イスラエルが「ユダヤ人国家」であることを公に否定したり、あるいはイスラエル独立の日を「大厄災の日」として嘆いたりする団体に罰金を科す「ナクバ法」が立法府クセネトにより制定された。確実に民族排外主義は進んでいる。このような状況下で、なぜあえてヴァイツマンは反体制的な演劇を作ろうと思ったのか。愚問であることを断ったうえで、ヴァイツマンにメール・インタビューで訊ねた。

 「パレスチナの悲劇は、イスラエルによって承認されていません。そのことについて教育もなされていませんし、メディアからは消失しています。シオニストたちの語る物語により、完全に抑圧されているのです。ナクバ法はこの流れを加速させ、パレスチナのあらゆる悲劇を人々の記憶から消し去ろうとしています。しかしこうした時代だからこそ、私はナクバについての演劇を作ろうと決意しました。話しあいが禁じられている事柄こそ、私たちは話しあうべきですから」

 多くの「リベラルな」アーティストがそうであるように、ユダヤ系イスラエル人であるヴァイツマンも「話しあい」という平和的手段にささやかな希望を抱いている。しかし国家が急激に右傾化するなか、彼女のこうした「やわらかな」言動を喜ばしく思わない人々は多い。イスラエル国防軍によるガザ侵攻が激化した2014年頃、ヴァイツマンは「SNSを通じて何千人という人々から誹謗中傷のメッセージを受け取った」。また次第に、個人攻撃はオフラインにまでエスカレートし、彼女は「街中を歩いているときにさえ」攻撃を受けるようになった。

 「私は外出を恐れるようになりました。でもこの体験があまりにもショッキングだったからこそ、自分になにが起こったのかを処理する必要があると私は感じた。そして公共空間から自分がいわば排斥された経験を経て、私は真逆の行動に出ることにしたわけです。つまりすべての体験を、舞台という公共空間にさらけだすことにした。それが私の処女作『Shame』です。この経験によって、私は舞台がどれほどパワフルな装置かを実感しました。演劇は、他のメディアにはできないかたちで、禁忌について話すことを許します」

 処女作での体験に後押しされ、彼女はイスラエルの占領政策を痛烈に批判する『パレスチナ、イヤーゼロ』の執筆にとりかかる。これはジェニンの難民キャンプ、ガザ地区の空爆跡地、100回以上にわたり破壊されつづけたアラーキーブの住宅街など、イスラエル側の「行政的」措置により破壊された住宅被害状況を、一件ずつ丁寧に、調査し、査定し、記録する、パレスチナ人不動産鑑定士(ジョージ・イブラヒム)を主人公におく演劇作品だ。ヴァイツマンは執筆に先駆け「半壊・全壊された家が並ぶ村々を訪れ、そこに住む人々と話しあい、その傷みに耳を傾け、彼らによる不毛ともいえる国家の破壊活動にたいする抵抗を目の当たりにした」。また法的拘束力のある議定書、証言集、条約、公的発行物などを精緻に読み込んだ。そして一元的国家観のなか歴史の藻屑と消えてしまう、個人の声を記録するドキュメンタリー演劇を完成させた。

 「破壊の記録」を舞台化する本作はしかし、逐語的にデータをつづる、無味乾燥なドキュメンタリー演劇とは一線を画す。どちらかといえばその手触りは、ポエティックでさえある。この叙情性の多くは、イスラエル人とパレスチナ人の双方に人気を誇る、国民的俳優ジョージ・イブラヒムの「虚実ないまぜ」な演技に拠るところが大きい。


 ラマラに劇団アルカサバ・シアターを設立し、8年前には彼の地で演劇学校も設立したイブラヒムは、いまでもほぼ毎日、ときにイスラエル軍の検問所を警戒しながら、自宅のあるエルサレムからラマラに通っている。もちろんラマラで夜を過ごすことも少なくない。しかしこの往復生活を送りつづけた結果、イブラヒムは近年、イスラエル国民保険の受給資格がないことを告げられた。また家族全員の国民年金も差し止めとなった。国民保険機構の探偵が、彼がラマラで寝泊まりしていることをつきとめ、「イスラエルの在留外国人」という判を彼に捺したのだ。全人生を通してエルサレム拠点に活躍していたパレスチナ系国民俳優に対して、国家は突如、「よそ者を支援する金はない」と告げたのだ。70歳を迎えて国家に「ホーム」を略奪されたイブラヒムの人生は、パレスチナ系不動産鑑定士の生き様に否応なく重なる。まただからこそイブラヒムはセリフのひとつひとつには、希望と幻滅、信念と絶望、誠実さと憤怒を併せ呑んだ者のみが紡ぎだせる、生の不条理さの音色が加わる。

 「ジョージに出演依頼したとき、絶対に断られるだろうと思いました。でも私は、ユダヤ人にも好感を持たれている役者を配役する必要があった。そこで運を試すことにした。彼の第一印象は、イスラエル人がこの本を書いたことへの驚きでした。と同時に、彼が言うところによると、依頼した時期も良かったらしい。そうしてジョージは私と一緒に冒険に出ることを承諾してくれました」

 本作はイスラエルのアッコ・フリンジ・フェスティバルで、「ヘブライ語字幕付きのアラビア語」で初演された。この言語階層の意味は、日本語上演では剥奪されるだろう。また初演の二週間前には「作品が国家を中傷し、その象徴を揶揄する煽動的な内容を含む」というかどで、文化・スポーツ大臣ミリ・レゲウから直接抗議を受け、あやうく上演中止に追いやられる事件もあった。ちなみに今年イスラエル屈指の演劇祭Acre Festivalで初演予定であったヴァイツマンの最新作『Prisoners of Occupation』は、フェスティバルの諮問委員会に名を連ねる政治家たちの判断により上演が取り止められた。執拗にイスラエルの占領政策を批判する彼女の作品群は、どうみつもっても反体制的である。そんな彼女の作品が、米国や英国などと並び、パレスチナを国家として承認していない数少ない国である日本で上演される。本稿内でも「パレスチナ自治区」という表現を余儀なくされてしまうこの国の、演劇祭に招聘される。この借景を含めて、観客は本作をどう受け止めるのか。冒頭のシェハデの言葉に戻るなら、ただ「無邪気」に本作を消費してはいけないことは確かだ。

 

岩城京子

演劇研究者。ロンドン大学ゴールドスミス校博士課程修了。ロンドン大学演劇パフォーマンス社会学研究所研究員。早稲田大学演劇博物館招聘研究員。日欧現代演劇を専門とするジャーナリストとしても活動。単著に『東京演劇現在形』。共著に『Fukushima and Arts – Negotiating Nuclear Disaster』(Routledge)、『A History of Japanese Theatre』(ケンブリッジ大学出版)、『<現代演劇>のレッスン』(フィルムアート社)など。近刊予定に『東京演劇現在形』の続編(フィルムアート社)、及び共著『A Routledge Companion to Butoh Performance』(Routledge)。2015年よりScene/Asiaチーフ・ディレクター。2018年よりアジアン・カルチュラル・カウンシルのグラントを得て、ニューヨーク市立大学大学院客員研究員。

 


フェスティバル/トーキョー17主催プログラム

『パレスチナ、イヤーゼロ』作・演出:イナト・ヴァイツマン

破壊されているのは何か。一面の瓦礫が語りだす、パレスチナの現在地

イスラエルで活躍する女優で人権活動家でもあるイナト・ヴァイツマンの作・演出、『羅生門|藪の中』(F/T14)でも来日したパレスチナの劇団、アルカサバ・シアターの主宰ジョージ・イブラヒムの主演で、昨年初演された話題作が、早くも東京に上陸する。続きは…

あらすじ 不動産鑑定士が、破壊・損傷されたパレスチナ人住居の被害調査に乗り出す。エルサレムからジェニン、アラーキーブ、ガザの家々を訪れ、被害のありさまを報告書に纏め上げる。取り壊しの理由やその方法は場所によってそれぞれ異なる。下、上、横からと建物はあらゆる方向から壊わされていく。砕け落ち、封鎖され、爆撃の爪痕や亀裂が残る建物。被害調査報告を纏める過程で鑑定士はパレスチナの現実に遭遇する。彼は、被害状況を記録する中で現代の「考古学者」となり、パレスチナの歴史を書き綴る。

会場 あうるすぽっと 詳細・チケット

 

 

イナト・ヴァイツマン

女優、劇作家、演出家、人権活動家 1973年ハイファ生まれ。アメリカやイギリスなどで演技を学んだ後、テルアビブ大学で映像や政治学も専攻。映画、TV、演劇の主演俳優として名を馳せる一方、過去には政治・社会に関わるコラムニストとしても活動した。近年は演出・劇作家として、イスラエルの占領政策を批判するラディカルな作品を制作する。主な作・演出作品に『Shame』(2015)、『The 112 house: A Lesson in Political Construction』(17)。

 

ジョージ・イブラヒム 俳優、アルカサバ・シアター&シネマテーク創設者、ディレクター 1945年生まれ。俳優としてのキャリアを積み、ヘブライ大学で演劇を学んだ後、劇作家、演出家としても活躍。代表作に『Ramzi Abu Al Majd』(95・カルタゴ国際演劇祭ベスト俳優賞)、『Immigrant』(99・カルタゴ国際演劇祭ベスト演出家賞及びベスト衣裳賞)など。本作でもアッコ演劇祭ベストパフォーマー賞を受賞している。『アライブ・フロム・パレスチナ‐占領下の物語‐』(2004・11)、『壁-占領下の物語Ⅱ』(05)のほか、演出家・坂田ゆかりら日本のアーティストと共同制作した『羅生門|藪の中』(F/T14)でも来日している。

 

 


フェスティバル/トーキョー17 演劇×ダンス×美術×音楽…に出会う、国際舞台芸術祭

名称: フェスティバル/トーキョー17 Festival/Tokyo 2017
会期: 平成29年(2017年)9月30日(土)~11月12日(日)44日間
会場: 東京芸術劇場、あうるすぽっと、PARADISE AIRほか

舞台芸術の魅力を多角的に提示する国内最大級の国際舞台芸術祭。第10回となるF/T17は、「新しい人 広い場所へ」をテーマとし、国内外から集結する同時代の優れた舞台作品の上演を軸に、各作品に関連したトーク、映画上映などのプログラムを展開します。 日本の舞台芸術シーンを牽引する演出家たちによる新作公演や、国境を越えたパートナーシップに基づく共同製作作品の上演、さらに引き続き東日本大震災の経験を経て生みだされた表現にも目を向けていきます。

最新情報は公式HPへ


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■一人のパレスチナ人俳優がイスラエルのステージに舞い戻った理由わけとは(PDF)

平田オリザ×松田正隆  演劇の全体(ユニバース)と総体(アンサンブル)