フェスティバル/トーキョー 特集

『フォト・ロマンス』特別寄稿 「レバノンへの招待」鵜戸聡氏

この三年、縁あって毎年レバノンに出かけているのですが、なんだか行くたびに政局が二転三転している気がします。政情不安というと相当物騒に響きますが、別に治安が悪いわけではないので、観光してまわるのには一応問題ないようです(いえ、いちおう研究報告で来てますが)。たぶんアメリカの大都市とかのほうがそういう意味では危ないでしょう。でもレバノンに行くといったら今年は成田の両替屋さんにまで心配されてしまいました...(そういえば去年もアルジェリアからの帰り、税関の人に関税品じゃなく治安のことを色々聞かれましたが)。

 現在は直行便がないため、首都ベイルートに行くにはパリやドバイ(アラブ首長国連邦)、ドーハ(カタール)などを経由しなければいけないので、片道丸一日かかる旅になって体力的にはちょっと辛いです。レバノン内戦以前はベイルートの方が中東のハブ空港で、日本から南回りでヨーロッパに渡航するときにはここで給油していたというのに残念無念...
 はじめてレバノンに行ったのは2007年11月。はからずも、大統領の任期が切れたのに後任が決まらず、政局迷走して「すわや内戦か!?」といった時期で、さすがに観光客が全然いませんでした。唯一出くわしたのが、バスを連ねて陸路はるばるやってきたイラン人のおばちゃんたち。なにやらシーア派の聖地を回る巡礼ツアーのようですが、シーア派とは何の縁もないハリーサの聖母マリア様の巨像に喜々として群がっています。台座の上まで螺旋階段で登っていくと、とちゅうで黒ずくめのおばちゃんたちに囲まれて写真をとられたり。やはり旅行は人を興奮させるもののようです。
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レバノンの聖母

 そういう僕も初レバノンはそうとう興奮してました。フランスやチュニジアに行ったときとはまた全然ちがう、というか海外旅行でこんなにハイになったのは初めてだと思います。理由はよくわからないのですけれど、とりあえず美味しいご飯はその一因でしょう。「典型的なアラブ料理」とよく言われるレバノン料理ですが、アルジェリアやチュニジアの料理とは全然違うので、むしろ東地中海世界の料理の精髄といった感じです(だからトルコやギリシアの料理と共通性があります)。
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メッゼ各種

 特徴的なのがメッゼという前菜の数々、これをテーブルの上にこれでもかと並べる、いや敷きつめる。これだけでちょっと王様気分です。特徴的なのは素材をペースト状にして練りゴマやレモンを加えたものが多いこと。基本はホンモス(ひよこ豆)のペースト(上にそぼろ肉がのってるバリエーションあり)とか、ババガヌージという焼き茄子のペースト。だいたい上にちょろっとオリーブオイルがかかっていて、パンにつけて食べます。パンはいわゆるピタで、半月形の冷たいものがビニールに入ってでてくることもありますが、やはり焼きたての満月形がたまらない。あつあつの蒸気でぷくーっと膨らんだパンは最高! でも最初の一口は気をつけないと中から蒸気が飛び出してきて口を火傷します。
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肉入りホンモス

 その他にも、葡萄の葉っぱでブルゴル(挽き割り麦)やお肉を包んだもの、団子形にした羊肉のタルタル、ニンニクのきいた真っ白なヨーグルトなどなど。まるまる太ったアーモンドは生のまま皮を剥いて食べます。そうそう、タッブーレというパセリとトマトと玉葱のサラダを忘れちゃいけません。レモン汁がこれでもかとふんだんにかかっています。これにクスクス(粒状パスタ)を混ぜ合わせたものを最近フランスでよく見かけますね(そのままタブレといいます)。オリーブやキュウリのピクルスも美味しいですが、僕のお気に入りは、赤唐辛子を詰めたピーマンのピクルスで、酸っぱ辛さがたまりません。ちょっと面白いのはイカのゲソ。皮を剥いて調理してあるので、ふんわりやわらかな新食感です。
このメッゼの数々、お野菜をたくさんとれるのも長所です。しかもこれに更に付け合わせの野菜がくることもあります。そっちは本当に野菜そのままで、さすがにキャベツは1/8カットとかですが、トマトやキュウリはまるのままです。でも非常に清潔できれいな野菜でして、ここは本当にアラブの国か!?と驚きます(笑)。デザートのフルーツ盛りも同様で、葡萄はともかく林檎や柿もまるのまま供されます。いちどホテルで会議をしたとき、コーヒーブレイクについてきたフルーツ盛りのなかにパイナップルがあったのには唖然としました。さすがにこれはテーブルナイフでさばけない... 
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野菜の付け合せ

 こういうものを美味しいお酒を飲みつつ延々とつまんでいるものだから、気をつけないとメインディッシュが来る前にお腹が一杯になります。この前菜攻めはレバノンの特徴らしく、今年食事をご一緒したエジプト人の先生も「レバノンに来るといつもサラダでお腹が一杯になっちゃうのよね」とのおおせでした。メインは肉か魚。お肉ですと、挽き肉を平たい棒状にして焼いたものだとか、日本の焼き肉のように一口大に切ったもの、串に刺したものなど色々あり、肉は牛・羊・鳥をつかいます。こういう料理の名称は、ほかのアラブ諸国やトルコの料理の名前としばしば同じなのですが、おうおうにして違うものを指すので注意が必要です(というか混乱してもはやどれがどれだか...)。そういえば今年はカストラータという去勢羊のお肉を初めて食べましたが、非常にやわらかくて美味しかったです。鮮度がいいのか僕がレバノンで食べた羊が臭かったことはありません。お魚は、スズキのような大きめのものを丸焼きにするか、スルターン・イブラヒームという小魚を唐揚げにしたものが一般的。タヒーナというゆるめの練りゴマがついてくるので、卓上のオリーブオイル、塩こしょうとともに自分で味をつけます。
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魚のグリル

 お酒は国産ビールもありますが、なんといってもワインでしょう。ちょっとこれは驚愕するほど美味い。昔からフランスやイタリアの修道会が入っていたレバノンには、素晴らしいワイン作りの伝統が根付いています。クサラとケフラヤという二大シャトーが有名です。チリ・ワインが安くて美味しいのは事実ですが、レバノン・ワインは安くても極めて洗練された味わいがします。これを知らずしてワイン通をきどる人など今後は鼻で笑ってやらねばなりません。アルジェリアなどもフランス領時代は素晴らしいワインを作ったそうですが、いまでは飲み手も少なくなり品質もがた落ちです。まあ、あの微妙に酸っぱい味わいはあれはあれで後を引きます。昨年、とあるお宅で林檎ジュースのように紙パックに入った赤ワインを御馳走になったのは忘れ難い思い出です。
 しかし東地中海世界の地酒といえばアラークというアニスで香りをつけたリキュールです。トルコではラクといい、ギリシアにも同様のものがあります。南仏ではパスティスといいますね(リカールという銘柄は日本でもよく見かけます)。これは無色透明なのですが、水で割るとまるでカルピスのように白濁します。バーでふとったおじさんたちがこのカルピスを小さなグラスでちびちびやっているのは愉快な光景です。これは地酒ですから、市販のものより田舎で手作りされたものが素晴らしい。ベイルートというのは中東随一のモダンな街なのですが、極めて近代的な文化と奇妙なほど封建的な文化が融合しているところが特徴かもしれません。あの岐阜県サイズの小さな国に地域ごとに様々な宗派が集住しているのですが、そこにあたかも封建領主のようなボスがいて(ザイームというそうです)政治的に大きな影響力を行使しています。都市に住む人々もだいたいは田舎をもっていて、そこの親戚のつくったアラークなどをビンに詰めてもらってくるんですね。一度レバノン人のお宅で「うちの田舎のアラーク」を御馳走になりましたが、市販のものより後味がしっかりとしていて何ともいわれぬ余韻が残ります。お酒が飲めない方はレモネードを注文しましょう。生絞りレモンで大変おいしい。高級店だとミント入りというものもあり、ミントジュレというか緑色のスムージーのようなレモネードが出てきます。
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スルターン・イブラヒーム

 ついつい食べ物の話が長引きました。観光の話もいたしましょう。最近はやりの世界遺産ツアーなら、バアルベックのローマ神殿は欠かせません。地中海諸国にはローマの遺跡は多数のこされていますが、ここの規模はほんとうにすごいものです。巨大な柱に細やかな彫刻が施されていて圧倒されます。『ローマ人の物語』とかをご愛読の方は、イタリア行ったぐらいで満足してはいけません。ぜひレバノンまでお越し下さい。古代のロマンがお好きならフェニキアの港町ビブロス(アラブ名ジュベイル)に行きましょう。エジプトのパピルスをギリシアに輸出する港であり、バイブルの語源ともいわれます。高校世界史で「シドン・ティルス・ビブロス」と覚えさせられたフェニキアの地名はすべてレバノンにあります。また、ベイルート近郊のナフル・エル=カルブ(犬の河)にはアッシリア時代のレリーフがうっすら残っています。ここはこの地の要害で、歴史上の征服者がみな記念の磨崖碑を刻んでいます。近代に入ってもナポレオン三世の軍隊や両世界大戦時の記念碑がありますし、じつは最近の政治家のものもあります。
 中世史に興味があれば、各地に残る十字軍時代の城塞などを見て回るのもよいでしょう。歴史小説のファンにはレバノンのフランス語作家アミン・マアルーフの『アラブが見た十字軍』(ちくま学芸文庫)がお勧めです。数千年の歴史が幾重にも折り重なったこの地は、ふとした折りに、なにげなく古の地層が顔を出して驚かせてくれます。
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ビブロス遺跡

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ナポレオン三世の石碑

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ビブロス遺跡の十字軍時代の城墓

 アラブ建築に興味のあるかたはシューフ山地のベイト・エッディーンがいいでしょうか。中世領主の館を改築した博物館があり、美しいモザイク壁画や優雅な幾何学模様の装飾にくわえ、幾室も連なった迷宮のようなハンマーム(蒸し風呂)が見学できます。あるいは南のシドン(サイダ)の古い邸宅も興味深いものです。この町の石鹸博物館も見ものですよ。お土産におしゃれなオリーブ石鹸も売っています。
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ベイト・エッディーン

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ベイト・エッディーンの一部屋

さあ、レバノンのという国にどんなイメージを描かれましたか? 周辺のアラブ諸国の人たちにとって、この国はちょっと特別のようです。海で泳げ、山でスキーができる美しい国。それもある。でもそれより、モダンでオシャレな街ベイルートというイメージがあって、そこに遊びに行くことはちょっとしたステイタスなのだとか。たしかに、かつては中東のパリと呼ばれ、いまもフランス語や英語が流通するこの街は、ちょっとスノビッシュな表現をすれば「文化の香り」がします。じっさい文教都市でもあり、中東最古の大学であるアメリカン大学やフランス系のサン・ジョゼフ大学をはじめ沢山の大学があって、米仏に留学する学生も非常に多いのです。さらにアラビア語の読者にとって特別な意味を持つのは、ベイルートがエジプトのカイロと並んでアラビア語書籍の出版センターとなっていることでしょう。じつは、アラブ近代文学はここレバノンから始まります。19世紀のなかばからベイルート(そしてカイロ)を中心に展開される西洋近代文学の受容と新しい文学の創出は、ナフダ(ルネサンス)と呼ばれる文芸運動に発展します。ここでそれを詳述するわけにはいきませんが、アラブ演劇の祖とされるマールーン・ナッカーシュがレバノン人だということは言っておきましょう。アラビア語やフランス語で書かれたレバノン文学の豊かな世界は、先述のマアルーフの歴史小説とジュブラーン・ハリール・ジュブラーンの詩集を除けば日本ではほとんど紹介されていません。しかし、いま、例えばラビア・ムルエのようなアヴァンギャルドなアーティストが出現するということは、この地が育んできた偉大な伝統と無縁でないことはお分かり頂けるのではないでしょうか。
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ベイルートからの眺め


テキスト・写真:鵜戸聡