プロフィール

作:サラ・ケイン | 劇作家・演出家

1971年イギリス・エセックス生まれ。ジャーナリストで敬虔なプロテスタントだった両親の影響で、熱心なキリスト教徒として少女時代を過ごすが、後に信仰を拒絶するようになる。92年にブリストル大学演劇科を卒業。バーミンガム大学で修士号を取得。バーミンガム大学在学中の95年1月、ロイヤル・コート・シアターで上演された『爆破されて (Blasted) 』で、劇作家としてデビュー。高級ホテルの一室を舞台にしたこの作品は、そこに宿泊する一組の男女と、外界で突如で起こった紛争と同時に室内に侵入してくる兵士の3人の関係性を通して、極限状態下の人間の有り様や、愛の姿を描いている。作品は後にノーベル賞を受賞する作家ハロルド・ピンターらに賞賛される一方、作品に含まれる男性同士の強姦、人肉食等の過激な暴力描写や性表現は、演劇界のみならずイギリス社会に大きな衝撃を与え、タブロイド紙でスキャンダラスに取り上げられる。ケインは、その後4年間に、4つの戯曲と1本の映画脚本を執筆し、99年にうつ病で自殺した。
デビュー作『爆破されて』だけでなく、その後の『フェイドラの恋』(96年)、『浄化されて』(98年)でも激しい暴力描写は、いわば彼女の作品の特徴として見受けられるが、その次にくる『渇望』(98年)では、それらは影をひそめる。A、B、C、Mという抽象的な記号で登場人物が表され、明確なストーリーはもはや存在しない『渇望』のテキストは、詩的な美しい台詞に満たされており、彼女の遺作となった『4.48サイコシス』では、この作劇法が更に先へと突き進められている。『渇望』を境に、作風には大きな転換が見受けられるものの、彼女の作品は一貫して、何らかの極限状態に身を置き、全ての虚飾を取り去られた、むきだしの人間の姿を描いている。 作家の死と前後して、作品はフランスやドイツをはじめとする世界各地の重要な演出家によって上演されるようになった。デビュー当時は、過激な暴力や性行為の描写がスキャンダラスに取り上げられ、また自殺後には、作家の人物像との関連で捉えられることが多かった彼女の作品だが、没後10年を経た今日では、もう一度彼女の残したテキストそのものから、冷静に作品を理解し、彼女の業績を再評価しようという傾向が高まっている。

作品一覧
戯曲
 『爆破されて (Blasted) 』 95年初演
 『フェイドラの恋 (Phaedra’s Love) 』 96年初演
 『浄化されて (Cleansed) 』 98年初演
 『渇望 (Crave)』 98年初演
 『4時48分 精神病 (4.48 Psychosis) 』 00年初演
短編映画脚本
 『スキン (Skin) 』 95年

演出:飴屋法水 | 演出家・美術家

1961年生まれ。78年、アングラ演劇の中心的存在だった唐十郎主宰の「状況劇場」に参加し、音響を担当。84年「東京グランギニョル」を結成し、カルト的な人気を博す。87年「M.M.M」を立ち上げ、メカニックな装置と肉体の融合による『スキン/SKIN』シリーズでサイバーパンク的な舞台表現を固める。
90年代は舞台から美術活動に移行しながらも、人間の身体に一貫してこだわり続け、輸血、人工授精、感染症、品質改良、化学食品、性差別などをテーマとして扱い、「TECHNOCRAT」という名のコラボレーション・ユニットの一員として作品を制作。95年、ヴェネツィア・ビエンナーレに「パブリック ザーメン」で参加するが、その後美術活動を停止。同年、東京・東中野に「動物堂」を開店し、様々な生物の飼育と販売を開始した。97年に出版された『キミは動物(ケダモノ)と暮らせるか?』(後の文庫化では『キミは珍獣(ケダモノ)と暮らせるか?』とタイトル変更)は、様々な珍獣の特徴や飼育に関する情報を提供しながらも、それだけにはとどまらず、飴屋が数々の動物と生活を共にする中で見えてきた人間や動物についての数々の考察を含んでいる。
2005年には、それまで休止していた美術活動を、「バ  ング  ン ト」展で再開。「消失」をテーマとしたこの展覧会のメインとなる作品は、飴屋自身が閉じ込められた1.8メートル四方の白い箱。最小限の通気のみが許された箱の中の闇にこもる飴屋と、外部の人間のコミュニケーション手段はノックのみ。24日にわたる会期を、飴屋は必要最低限の水や流動食を携え、箱の中で過ごし、他者には見えなくなった自らの存在を作品の本質的構成要素とした。
2007年、静岡県舞台芸術センター主催「SPAC秋のシーズン2007」では、演出家として演劇活動を再開。オーディションで選ばれた静岡県内の現役女子高校生18人を起用した『転校生』(平田オリザ作)で好評を博した。同作は09年3月、静岡、ならびにフェスティバル/トーキョー09春にて再演。
 今年7月から8月にかけては、東京・原宿のリトルモア地下にて、多田淳之介作『3人いる!』を構成・演出する。「12日間、毎日、何かが違っている。」という奇想天外な触れこみの、12日間24回公演にも、期待と注目が寄せられている。

出演:山川冬樹 | ホーメイ歌手・アーティスト

自らの「声」と「身体」をプラットフォームに、音楽、美術、舞台芸術など、様々な分野の境界を超えて活動。身体内部の生命活動や物理現象をテクノロジーによって拡張する。電子聴診器を用いたパフォーマンスでは、心音をベースアンプによって増幅、さらに鼓動の速度や強さを意図的にコントロールしながら、そのパルスを光の明滅として視覚化。自らを「質量なき身体」として空間に放ち、観客を内包した環境との同化を試みる。頭蓋骨の共鳴を骨伝導マイクによって増幅したパフォーマンスは、ソニーウォークマンのコマーシャルで取り上げられ話題を呼んだ。
 活動の範囲は国内にとどまらず国際的に展開。07年、ベネチア・ビエンナーレ・コンテンポラリーダンスフェスティバルから前年に引き続き二回連続で招聘され、同年秋に行った米国ツアーは各地で公演がソールドアウト。09年1月にはパリ・コレクションでパフォーマンスを行う。
 歌い手としては、日本における「ホーメイ(中央アジアに伝わる倍音歌唱法)」の第一人者として知られ、ロシア連邦トゥバ共和国で開催された「ユネスコ主催第4回国際ホーメイフェスティバル」に参加。コンテストでは「アヴァンギャルド賞」を受賞。その独自のスタイルは、現地の人々に「авангардное хоомей(アヴァンガルド・ホーメイ)」と称される。古くから南シベリアに伝わる歌唱「ホーメイ」の伝統と、等身大の現代感覚を併せ持つハイブリッドな姿勢で、様々な音楽家との共演やセッションも多い。
 また音楽活動、パフォーマンス活動と平行して展示形式の作品を制作。「記憶」と「遺された声」をあつかったインスタレーション「the Voice-over」は、2008年釜山ビエンナーレに出品され好評を博す。同作品はヨコハマ国際映像祭(2009年 10/31〜11/29)で発表予定。
 飴屋とは、2008年クリスマス、ラフォーレ・ミュージアム原宿で開催された「HARAJUKU PERFORMANCE +(PLUS)」のために、その場限りのユニットを結成。バンドとも演劇ともつかぬ特異な舞台を繰り広げ、大きな反響を呼んだ。

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