山海塾公演『卵を立てることからー卵熱』 時の移り  [直江早苗氏]

1992.3.10. (H4) 『そっと触れられた表面』  銀座セゾン劇場

1994.7.8. (H6)  『しじま』             銀座セゾン劇場

1996.6.9. (H8)  『ひよめき』           銀座セゾン劇場

1997.11.22. (H9) 『卵を立てることからー卵熱』 相模大野大ホール

1999.5.15(H11) 『ひびき』            銀座セゾン劇場

2001.5. ? (H13)  『 ?  』

2008.10.12.(H20) 『時のなかの時―とき』   世田谷パブリックシアター

2009.3.8. (H21) 『金柑少年』          東京芸術劇場中ホール

2009.12.5. (H21) 『卵を立てることからー卵熱』 東京芸術劇場中ホール

 以上が、私と山海塾の関係である。趣味としてモダンダンスに関わってきて、「舞踏」の言葉も多少耳にしたが、あまり近づいては危険な世界であるという通念があり、作品に接する機会はわずかしか持たなかった。観た作品数としては決して多くないし、批評できるほどの背景を自分がどれほど持ち合わせているかは疑問である。ただ言えることは、最初の出会いから着実に時が過ぎたことである。大森荘蔵によれば、時は流れるのではない、今の自分が思い起こすことで過去は存在し、現在が刻々と新たに存在しているのである。

 1992年に、四十代なかばで初めて山海塾の舞台を見たときの驚き。十分に価値観も確立した年齢であり、それなりに批評眼も備わっていたはずだが、とにかく舞台に驚かされ、魅了された。空気がちがう。空間がちがう。明りがちがう。その中で舞う、中性化した存在の不可思議さ。天児牛大の作品の意図を理解するよりも、意表をつく舞台装置、白塗りの身体、洗練された衣装、動きの特異性、映像的ともいえる美の表現と変遷、すべてが綯い交ぜとなって創り上げられる絵巻物のような光景に、眼を見張る。ピーンと張りつめた空気を突如破る、予想を覆す動きが緊張をふっとゆるめる。おかしげな表情に心を和まされ、走り、転び、途惑う姿が、おもいがけない笑みを誘う。『しじま』での、壁面を前に踊る壮麗な姿は私をとりこにし、その後日本での公演があるたびにチケットを求め、舞台の演目とともに私も成長した。その流れが途絶えたのは、2001年である。病で公演に行けず、意識が戻ってからそのことに気づいて悔しい思いでチケットを破棄したことを思い出す。半年後に仕事に復帰したものの、劇場に足を運ぶ余裕も気力も体力もなく、月日が過ぎた。

 昨年、九年ぶりに山海塾の舞台に接し、あの興奮を味わう感覚が蘇ってきた。『時のなかの時―とき』の衝立越しに覗き込むあの仕草。手の華が咲きこぼれる、耳飾りの赤い徴。そして、今まで見る機会を逸していた『金柑少年』の舞台。なんと孔雀の賢く、おとなしいことか。天空から逆さ吊りされた姿の静謐さ。今回は初めての経験となった、二度目の『卵を立てることからー卵熱』。十二年の隔たりと、その間の私の経験、もちろん踊り手の成長や変化もあるが、初回より明らかに理解しやすいように思えた。振付家の意図もすなおにこころに、からだに滲みこんでくる。なぜなのか。時代が、社会が、踊り手が、そして私を含め、観客が変化しているからなのか。

 Ⅰ コホー 彼方から

 Ⅱ 風 かすかな呼び声

 Ⅲ カレワラ 立てるか カレワラウ

 Ⅳ 産び 吸いとられた薄光

 Ⅴ 殻 割れることの始まり

 Ⅵ むろ 粒子の面

 Ⅶ コホー 彼方へ
 
 ひとつ言えることは、この作品が今の時代状況に合っているからであろう。文明の行き過ぎた発達、科学技術の進歩の果てしなさ、世界を二分する豊かなものと飢えているものの格差。来るべき社会への不安から今一度原点に還ろうと唱える人々、警鐘を鳴らす人々。天児牛大は1986年のパリでの『卵熱』初演から、つまり二十年以上も前から、来るべき世界への問題提起として、ありのままのこの世の姿をわれわれに提示したのだ。世界の誕生と人類の誕生を重ねることによって、われわれの現前に、ひとの営みとこれまでの歴史、経緯を描きだした。卵は、原初の姿である宇宙を、地球を、生命を表象する。なにかが生まれ、慈しまれて育ち、苦しみとともに暴力的に破壊され、無限に砕け散って、残骸が堆積する。そして嘗ての形跡を残すが、いずれその跡も埋もれて消えていき、風化していく。「地」、「水」,「火」、「風」が踊り手の身体をくぐり抜け、舞台空間に充溢し、客席に流入する。空間を透明に震わせる、鐘の響き。腕に絡まる蛇に似た、角笛のこだまする音。無限の空間に向けて顔じゅうで、からだの奥から叫ぶ生きものたちの呻き。耳を打つ、水の絶えず落下する音。砂が、眼には見えずとも確実に積もっていく、ざらついた感触。赤く染まった指の、魚じみたひらひらする様相。水にからだごと打ちつける、濡れて湿った皮膚感覚。高くかざした卵の殻にぶつかる、水の音。飛沫の絶え間ないきらめきが描く、文様。舞台空間で、ありとあらゆるものが発する音、形象、におい、味わい、そして手触り、肌触り。それぞれのかけらが、微粒子が、形を変え、色を変え、動きを変え、観客のひとりひとりに降り注ぐ。かくして、壮大な宇宙の誕生から消滅までを、そして再生を謳いあげる。

 1985年に大野一雄の『ラ・アルヘンチーナ頌』を観た。七十代になる踊り手とはとても思えず、その姿は性別を超えて、生きとし生けるものの姿として美しく魅力溢れ、若さとは、美とは何かを教えてくれた。今のわれわれに欠けているものは、他者の存在、他者への思いやりである。科学技術が人を個々の殻に閉じ込め、自分の領域を確保することに懸命のあまり、他者の介入を嫌い、自己の保全のみを考えている。巷に溢れる多種多様な文化のなか、好きなときに好きなものを、自分の好みに合ったものだけを取り入れ、排他的になっているとすら言えないか。「美」を受け取る感性は、他者への理解につながる。今回のフェステイバル・トーキョーでの山海塾の公演は、時宜にかなった企画といえる。劇場で、同じ時間と空間を共有すること。このことの意味することを今一度考えてみたい。舞台から受け取るものは異なっても、共通の体験をすることの意味。眼には見えないが、何かしらのつながりが生じる。五感でそれを感じることができる。言葉を超えたエネルギーの交感があるはずだ。この共有という面白味を一度味わうと、何かが変わる。また、おなじ経験がしたくなる。今回の舞台は観客層がいつもとはすこし異なり、新しい層が加わっていた。こころに残る体験をすることで、より世界が広くなり、さらに他の人へも伝わっていく。このことは舞踏、ひいては日本のダンスの観客層の拡大にもつながる。

 山海塾はそもそもパリを拠点として、海外での評価から逆に我が国にもたらされた。日本ではまだ受け入れる素地ができていなかったのであろう。今こそ、これからこそ、大いに公演を重ねてほしい。踊り手のメンバーは少し入れ替わってはいるが、今回はほぼ懐かしい顔ぶれである。踊り手たちのダンサーとしての経歴に、個人としての経歴も加わり、若さだけでは表現することの不可能な、希少価値が加味されている。それが今回の舞台の、すなおともいえる明晰さということにつながるのではないか。文化の流布とは、文化の質を高め、享受する層が広がることを意味する。昨今受験一辺倒で、目的のための勉学が大手を振ってまかり通り、こころとからだを豊かににすることを忘れかけている。伝統芸術である歌舞伎や能の世界でも、歌舞伎教室などの試みをし、海外公演での出し物をみても、時代に合わせてひとびとの要求を満足させることをこころがけ、自分らの趣旨をうまく織り交ぜた舞台をおこなっている。ダンスの世界も同様の試みがもっとなされてよいのではないか。創り手側の意識改革と受け手側の啓発のために、創作と提供する側の調和がもっと図れないか。

 大学での研究は、現在を踏まえて将来に向けての文化の方向づけをし、また過去の文化の発掘と評価をおこなう。この指導的役割のもと、実際に携わる創作するひとびとと、批評するひとびと。それを受け取り、生きるこころの糧とするひとびと。文化を支える官公庁、経済界。これらがうまくかみ合うことで、よりよい文化が発信され、受信される。そのためにも、後進への道標ともなるのが先達のなすべきことではないのか。自分を含め、団塊の世代の何と身勝手だったことか、そろそろ声をあげてもよいのではないか。そんなことも教えてくれた今回の舞台であった。