虚がしのび込む/「個室都市 東京」 [江口ちかる氏]

「個室都市 東京」は池袋西口公園に屹立していた。いや、とぼけた顔でおわしたのである。
のっぺりとした壁面の仮設プレハブの入口ドアを指し示しているのは、レトロな感のある電球を埋め込んだ矢印つきのスタンドサイン。赤の地に黄をあしらった対照色相配色がなんだか妙な元気さである。公園はざわついていた。風が冷たい。プレハブの窓から熱心にのぞきこんでいる老人がいた。噴水の近くで、待ち合わせをしていたらしい十代の男女数人のグループには「個室都市 東京」は関心の外のようだ。円柱を横倒しにした椅子に腰かける、肉体労働者と思しき人たちにとっても。

パンフレットにはこうある。
<舞台は、東京芸術劇場の隣にある池袋西口公園。24時間、通行人など、多様な人たちのコミュニティが形成されるこの場所に、高山は個室ユニットを連ねたインスタレーションを立ち上げる。>
2009年春、Port B『サンシャイン63』でスリリングな体験をした。5人ひと組で池袋をめぐるツアー・パフォーマンスは、既知の演劇とはまったくちがうものだった。作りの緻密さ、記憶というかたちなきものを辿る試み、案内人として現れた演技者の匿名性も興味深かった。「個室都市 東京」への期待も大きかった。
中に入ると、赤いサロンエプロンをかけた女性スタッフに迎えられる。料金は1時間500円。ツアーとのパック利用金が1500円。他にナイト・パック、という表示が壁に貼られている。受付横にはドリンクバー。出入口のドアの上部には非常口のサインがあり、天井には火災報知機が備えられている。リアルのネットカフェ(DVDカフェというべきか)を写した構造にくすりとくる。違うところは個室スペース手前で待っている人の多いこと。10ある個室に30人待ちという盛況だ。マッサージチェア、マットルーム、たたみなど、個室のバリエーションも写真になってはいるが、とにかく空いた部屋に順番に入る。白い棚には市井の人と思しき顔写真がカバーになったDVDがずらりと並び、右下に「00:04:31」とか「00:04:59」と上映時間が刷られている。1時間500円払って観るものは<高山らが行った、公園とその周辺に関わる人々のインタビュー>であるらしい。はたしておもしろいのかといくばくかの疑問。
待っている間に印象的な出来事があった。店内にペーパーバックレディがおぼつかない足取りで入ってきたのだ。深くかぶったキャスケット帽。この寒空にコットンの服ばかりをぞろりと重ねた、絵にかいたようなペーパーバックレディなのだ。たじろいで道を開ける人。気まずそうな視線を送る人。店内スタッフは咎める様子はない。やがてレディはドリンクバーの温かい飲み物をもって外へ出て行った。おお!こういうリアルも込みなんだと、妙に感心した。しかしこの話にはあとがある。
さて待つこと1時間40分。入店時間とルームナンバーのしるされた黒いバインダーを持ち、かごに何枚かのDVDをピックアップした私は№8の個室へ向かった。№8はマットルーム。ブーツをえっちらこっちら脱いで室内のトレーに。あまり期待していなかったDVDだが、けっこうおもしろく、次々観たくなる。「今欲しいものは何ですか」から始まり「マクドナルドをよく利用しますか」「風俗に勤める人をどう思いますか」「戦争は起きると思いますか」「祖国のために闘えますか」等々のインタビューの質問事項はほぼ同じで、この質問にこう答えた人には次はこの質問というふうなマニュアルもあるようだった。たとえば「日本は豊かだと思いますか」に肯定的なことを述べた人には「ではなぜネットカフェ難民(マック難民)が増えているのでしょう」と聞く。肯定でも否定でもない答えをした人に対して「ではなぜネットカフェ難民が増えているのでしょう」と機械的に問う場面もあったが、矢継ぎ早に質問をぶつける女性の、愛想はいいが情感に欠ける声と併せて、胡散臭さがおもしろかった。
DVDの一枚目。好きな人は妻だという人の、夢は勤務先で成功することという答につまんねえ、と思い、二枚目、「昨日の今頃は何をしていましたか」に「仕事」と答え、それは充実した時間でしたかには「はい」と答え、「愛」を大事にするという女性に、まいりましたと屈折した寂寥感を覚え、次々とDVDを観たのは、自分とよく似た誰かを探していたのかもしれない。
そしていよいよツアーだ。避難訓練だという。もらった地図にはいくつかのポイントが記してある。スタート地点は「個室都市 東京」奥の非常口。外へ出ると暮れなずむ池袋西口公園がひややかに見返してくる。暗い中を「個室都市 東京」の建物をまわりこみ、コンクリートの短い階段を上ると、壁面を持たないドアをくぐり、東京芸術劇場の地下から、メトロへ続く通路のましろい光のなかへ。短い時間で明るさも風景も変わっていく。奥行きの極端にない店舗が並ぶ瀟洒な作りの通路の次は、昔ながらの地下街で人通りも増える。時間を潜り抜けているという錯覚にとらわれながら、行きついたのはさびれた雑居ビル。年季モノの薄桃色の一枚扉の中央には「エレベーター」と手書きされている。
ゴール地点の三階につくとエレベーターはワープを終えたかのようにガタリと大きく振動して止まった。フロアにおり、右手にあるドアを開けると黒服の男が「初めてのご利用ですか」とあたりを憚るような囁き声で迎えてくれた。店内は暗い。入って右手がカウンター。中央のスペースにブラウン管テレビが並び、インタビューのDVDを流している。カウンターに凭れるように止まり木に尻を乗せた客たちの視線の先は反対側の壁、ガラス張りの空間の中だ。
黒服男の説明によると、ガラスはマジックミラーになっている。不躾に眺めても向こうからは気づかれないのでご安心を、というわけである。客は中にいる人のなかからひとりを選んで個室で「お話」するシステムだという。木枠に嵌められたガラスの表面はところどころたわんで見える。つまりここはデート喫茶とか出会い喫茶と呼ばれている場を模しているのだ。質問の「風俗で働く人をどう思いますか」にリンクした設定。ちなみに内部にはマクドナルドのポスターも貼られている。
虚の世界だとわかっていても軽く動揺してしまうのは何故なんだろう。ガラスのなかは演出された個々の世界。普段なら他者のプライベートな空間は互いに了承して見るもので、一方的に見やることは後ろめたさを伴う。このイケナイ感は今や聞かなくなった単語で言うなら劣情に近いかもしれない。
ガラスのすぐ向こうには金色のキリンや、どうにかこうにかパンダめいたフォルムの、上手とはいいがたい折り紙細工が並んでいた。ブース仕立てに仕切られた空間にテーブルと椅子が並び、ソファもある。ガラス近くのカウンターには雑多なものが置かれている。折り紙の本もあれば、婦警さん風のコスチュームの女の子が広げている紙はマクドナルド商品のお手製チェックリストで、彼女は真面目な顔でレ点をつけている。談笑している若い男と中年の男。ロリータファッションの子もいれば、至極さっぱりとした格好の、ごくごく普通の女の子もいる。禿髪の男性。そして年配の女性はなんと、先だって「個室都市 東京」に現れたペーパーバックレディではないか。たばかられたか。不快ではない。むしろ楽しい。気づけば、マジックミラーのなかにいる人たちがブラウン管のなかでエンドレスにインタビューに答え続けている。即答できなくてインタビュアーを待たしていることに気づき、「これ、時間が決まっているんですか」と聞いてもいる。通りすがりにインタビューを受けたという体は見事だ。ナースのコスプレでインタビューに答えているのは、今日は婦警さん風の女の子。今好きな人はいないとインタビューに答えながら、会いたい人は元カノだいう男は生々しいのだが、同じ男が食えない顔つきでマジックミラーのなかにいる。
ひょっとしたら「個室都市 東京」にあったDVDにはすべて脚本があったのかもしれない。あのペーパーバックレディは本物で、アルバイトをしているのだろうか。ペーパーバックレディを演じて、温かい飲み物を取りに来たのだろうか。騙されるのは嫌ではないけれど、できたら、そうだったのかと知る快感がほしくていろんなことを考えてしまう。
現実のなかへ虚がなだれ込んでいるのを感じる。「個室都市 東京」で起こっていることはリアルの世界も同じだろう。もはや遠心分離器にかけても色分けできないほど、リアルとフィクションはまじりあっている。それが最新のリアルになっている怖さ。自分が誰なのかすら揺らいできそうだ。
それを説明ではなくただ見せる、感じさせる手腕。他のことを感じた人もいるだろう。やっぱりPort Bはおもしろい。観るものを対等に置いていると思う。
そういえばインタビューの最後の問いは「あなたは誰ですか」だった。名前を言う人の比率の高さに驚いた。名前なんてただの記号かもしれないじゃないか。
DVDのなかのインタビュアーと出演者も個室状態の対峙だろう。ひとりDVDをみる個室。そしてマジックミラーの向こうの人と向き合う個室。個室には虚が育ちやすい。ひとがひとりであることは自明だけれど、ひとりであることを守りながら広く世界へつながってく行くことはもちろん可能。個室は幻想も生み、居心地がよいけれど、そこに終始するのは怖い。その怖さも化粧を施してやすやすとリアルになっているのか。
さて選んだ人と個室で向き合う時間が来た。テーブルにインタビューの質問リストの紙が置かれている。「今欲しいものは何ですか」私の答に彼は思いやりを示し、手を取った。ヒーリングをたしなむのだという。おそらく業務外の彼の行為。日に焼けていますね、というとホームレスやっていますから、とおっしゃる。さあ。これはリアルか、フィクションか。彼は額に汗をかくほど、私を元気づけようとしてくれた。やがて「時間です」と天の声がスピーカーから聞こえる。花魁と金のない客との恋を引き裂く声じみてもいて、私も虚を演じてしまったとおもしろくなる。
舞台裏、ひとりで開けたドアの向こうは黒い幕張りの狭い空間だった。階段があり、すぐ突き当たる壁はひとをのみこむほどの大きさの矩形に切り取られていた。池袋西口公園のかけらが見える。外はすぐ歩道。張られたガラスが割れ落ちてしまいそうな恐怖が一瞬。都市の隅のコクーンに収まったような、立ち去り難い安堵が少し。
個室都市 東京。リアルと虚が混在した、もうひとつのリアルの横顔が垣間見えた。