オセロー
特別寄稿 オセロー 演出:イ・ユンテク【韓国】 

‘Re-orienting’ Shakespeare

エグリントンみか

欧米から文化を輸入してきたアジアに生きる演劇実践者たちは、自国の伝統芸能をふまえて現代演劇を生み出し、国際的な場に打って出ようとするとき、内/外、西洋/東洋、オクシデンタリズム/オリエンタリズムといった二項対立にいまだ縛られがちである。明治維新前後から西洋古典の粋であるシェイクスピア戯曲を輸入し、国家の文化レベルを欧米列強並に高めようとした日本人も、その「沙翁演劇」を日帝の植民地政策の影響により和訳を通して導入した韓国人も、当然ながら例外ではない。こうした二項対立は、国際演劇祭に集う観客の視点や、異文化が舞台上で出会うインターカルチュラル・シアターを説く批評家の言説にも見受けられ、ともすると洋の東西の間にある差異や、その差異を超えるシェイクスピアの文化的権威や普遍性ばかりが強調されてしまう。

今回の日韓共同作品『オセロー』は、日本と韓国の間、ひいてはアジアの中におけるダイナミックな文化交流を見つめ直し、対西洋を軸とした二項対立的な思考を内破する可能性を秘めている。欧米人が他者に求めがちなエキゾティズム、オリエンタリズムに自らを重ねてシェイクスピアの翻訳を上演するのではなく、異人種間結婚の破綻を描いた家庭悲劇を現代の日本と韓国のハイブリッドな文脈に引き寄せ、演劇・芸能形式を用いて再構築することによって、シェイクスピアを取巻くパラダイムを対西洋から東アジアの中へと転換し――英語の掛詞で表現するならRe-orienting Shakespeare――深化させている。

平川祏弘の謡曲戯曲を宮城聡が2005年に演出した『ク・ナウカで夢幻能なオセロー』では、シテのデズデモーナがその「人生の危機的な瞬間である」殺害の場を、ワキの僧侶と観客の前で再現してみせた。伝統的な能形式と動きと台詞を分けるク・ナウカの手法の両方を刷新しながら、殺害者と被害者、夫と妻、黒と白、東と西、伝統芸能と現代演劇といった二項対立を昇華していた。イ・ヨンテクが演出する今回の『オセロー』では、民間招魂儀礼クッを取り入れ、ワキである盲目の巫女ムーダンを語り部に据えている。殺された妻によって書き直された異邦人将軍の物語は、女シャーマンにさらに語り直されることによって、サムライ的、軍国主義的な男性性を、より庶民的な、あるいは打ち捨てられた女の視点から際立たせている。  

シェイクスピア演劇、能、クッという異なる演劇様式を重ね合わせるこの日韓共同作品『オセロー』は、セルフ・オリエンタリズムにも、自国のオリジナリティを声高に主張するナショナリズムにも陥ることなく、英日韓の歴史と文化の交錯点を東側から照らし出そうとする。インターカルチュラリズムの次なる地平を、アジアの中から探る演劇的実験となろう。

エグリントンみか(英国・英語演劇、批評、翻訳)

1972年生まれ。東京大学大学院博士過程満期終了。ロンドンを拠点にアジアにおけるシェイクスピアの受容について研究しつつ、批評、翻訳を行っている。http://www.londontheatreblog.co.uk/