文・谷地田未緒

インスタント・カフェ・シアター(ICT)の作品が初めて日本で上演されることになった。芸術監督のジョー・クカサスは90年代に世田谷パブリックシアター、国際交流基金旧アジアセンターなどとの協同で、『あいだの島』(2001年)、『ホテルグランドアジア』(2005)年、『ブレイクィング』(2008年)、など、数年にわたる大がかりな国際共同制作に幾度も関わっており、日本とマレーシア、ひいては東南アジアの演劇交流を語る上では欠かせない作品を生み出している、演劇関係者や東南アジアのアートシーンに関わりの深い人にとっては馴染み深い俳優であり演出家だ。

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インスタントカフェ・シアターカンパニー『NADIRAH』

11/11 (金) ─ 11/13 (日) にしすがも創造舎

 

ICTは、1989年にジョー・クカサス、アンドリュー・レシ、ジッド・ムラッド、ザヒム・アルバクリの4名によりクアラルンプールで設立されて以来、政治的な皮肉を込めたブラック・コメディや鋭く社会問題に切り込む作品を軸に、大胆不敵なユーモアを貫き多くのファンを獲得する一方で、シェイクスピア、ベケット、デイビッド・マメットなど古典・現代を問わず様々な作品に挑戦している。1995年からはジョー・クカサスがディレクターとなり、いくつもの文化や言語、宗教が入り乱れるマレーシア・クアラルンプールを拠点に、多言語演劇や国際共同制作を実現させた。まぎれもないマレーシアを代表するシアター・カンパニーのひとつである。ジョー・クカサスは演出家としてのみならず、シンガポールやロンドン、サンパウロなど、世界各地を飛びまわり、シェイクスピアから現代劇まで幅広い役をこなす売れっ子俳優でもある(注1) 。また彼女の中には、自分に変わって世の中に物申す、おしゃべりなキャラクターがたくさん住んでいる。

 

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ジョー・クカサス

初めてジョー・クカサスを見たのはマレーシア・クアラルンプールで開催されていたフェミニズムをテーマにしたスタンドアップ・コメディのステージだった。ステージに出てきたジョーは、肩幅いっぱいに広がるちりちりの赤いアフロヘアで、大きな体を見せつけるように胸を張り、強いなまりのある男勝りな話し方で、平凡な結婚に抗うインディペンデントでパワフルなインド系女性の葛藤を、皮肉たっぷりのジョークを交えて語った。「インディアン」というとき、強烈に訛りが出るので、「イーンジアン」と聞こえる。「イーンジアン イズ ニューブラック!」と彼女が吠え、客席が沸く。おなかを抱えて笑ったものの、怖そうな人だったなあと考えながら会場を後にしたことを覚えている。後日、親しく言葉を交わすようになったジョーは、恐ろしい容貌のコメディアンとはうって変わって、知的でチャーミングな女性だった。舞台ではあんなに大柄で迫力があるように見えたのに、背格好まで違って見える。私が見たのは、彼女に乗り移って好き勝手に話しだす「キャラクター」たちの一人、カリー・スパイスだったのだ。
ジョーは他にも、個性的なキャラクターたちに扮して様々な人の立場で言葉を発する。英語教育推進を擁護するキャラクターとして生まれたセクシーガール、ライベナ・ベリー。誤報省大臣、後に記録更新省大臣となったYB(注2)は、誰もが嫌いな政治家で、どんなに汚職を重ねても自分が国に貢献しているという信念は微塵も揺るがない。KLで開催されたTEDトークにジョー・クカサスの代理で出演したのは、遺失物省の役人バダリアさん。元は映画検閲局で何でもかんでも上映禁止にしていたが、今は遺失物省で重大な証拠や記録、歴史的事実や尊厳などを「失くしてしまう」ことが仕事。毎日気の毒なほど真面目に働いているが、なんだか最近失くしすぎなのではないかと心配している。ジャッジ・メンタル・シン判事は、マレーシアでは禁止されている男色を裁くのが大好きで、ただの交通事故でも「本当に事故の原因は男色ではないのか?」と話をすぐにすり替えてしまう(これはもちろん、男性と関係を持った罪で政界を追われている野党党首のアンワール氏の一件を機に生まれたキャラクターである)。そして上述のカリー・スパイス。ジョーの扮するキャラクターたちは、マレーシアに住む人々のステレオタイプを助長しながら、それぞれ偏見たっぷりの視点で彼らの住む社会を見つめ、「おとなしい」ジョー・クカサスの代わりに自由奔放におしゃべりを続ける。こうしたキャラクターたちも、ICTが作品を制作する過程で、立場の違う彼らの声を聞くために生み出されていったのだ。


<映像>マレーシアのインディペンデントメディアKini TVによるロングインタビュー

 

過去5年ほどの間にも、マレーシアの社会には様々な動きがあった。2013年の総選挙では足を引っ張りあう中傷合戦が繰り広げられ、クリーンな選挙を求める大規模デモ「ブルセ」が数万人を動員してクアラルンプールの街を黄色く埋め尽くした。野党党首のアンワール氏はとうとう裁判に負けて投獄生活が始まり、首相による巨額の収賄疑惑が国際メディアに報道され、闇金が経由したとされる米国で司法省が捜査に乗り出した。ジョージタウンフェスティバルは年々規模と知名度を増し、東南アジアの一大舞台芸術祭に成長したが、その熱心な支持者であり、数少ない野党政権が支えるペナン州知事が汚職容疑で拘束された。ジョー・クカサス率いるインスタント・カフェ・シアターはこうした様々な汚職、スキャンダル、不正に真っ向から向き合い、時にコミカルに、時にシリアスに、自らのアーティスト生命をかけて表現をし続けている。
首相の収賄疑惑は、本人名義の銀行口座に700億円(2.6ビリオン・リンギット)という巨額の現金が振り込まれていたことをウォール・ストリート・ジャーナルが報じた ことに始まるが、その後本人が「あれはアラブからの政治寄付(donation)であったが、すでに返金した」と発表し、汚職調査委員会も「違法性なし」と結論を出した。本件を取り上げようとした地元メディアは短期間ではあったが発禁処分を受け、マレーシア国内で取材活動を行ったオーストラリアのテレビ局スタッフは一時身柄を拘束された。
ICTはこの年の暮れ、結成26年(2.6 decade)を記念して古くからの友人を集め、「D’state of D’nation」 (「国の現状」を意味するThe state of the nationと、「寄付の現状」を意味するthe state of donationをかけた皮肉たっぷりのタイトルである)という舞台を打った。熱気に包まれた公演当日、幕があくや否や、前述のライベナ・ベリーの歌謡ショーと共に登場した歌手たちが、アナ雪の「Let it go」のメロディで、「Where’d it go?(どこいった?どこいった?700億円はどこへいった?)」と熱唱し、観客席は火がついたような笑いに包まれた。折しも本番当日、首相の緊急発動権限を大幅に強める国家安全保証委員会法が、たった4日間の審議で可決されたというニュースが飛び交った。舞台挨拶に登場したジョーは、「こんな時であるからこそ余計に私たちが声を上げることをやめてはいけないのだ」と語った。2時間にも及ぶ政治コメディのオムニバスは、出演者と観客が一体となって歌うマレーシア国歌で締めくくられた。それは映画館や大学で義務的に流れる国歌とは違い、自分たちでまだ若いマレーシアという国の行く先を決めて行くのだという強い意志の表れだった。

 

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ムアラフ 改心
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『NADIRAH』に話を戻そう。『NADIRAH』はマレーシアを代表する監督である故ヤスミン・アフマドの映画『ムアラフ(改心)』に着想を得て制作され、シンガポールで初演された。2014年ジョー・クカサスの単独演出での公演は、作品として3回目、マレーシアでは初めての公演となった。シンガポールの劇作家アルフィアン・サアット(注3)による本作品は、異なる信仰の間における理解・信頼関係(インターフェイスInterfaith)をテーマに、友人、家族、個人など複数の視点から、揺れ動く気持ちを丁寧に描いた、登場人物が5人だけのシンプルなストレートプレイである。シンガポールの大学でムスリム・ソサエティの副代表を務める優等生の主人公ナディラ、中華系でありイスラムに改宗した母親サヒラ(注4)、自分なりの信心をもち、奔放に振る舞う女友達マズナー、敬虔で実直なムスリムである先輩ファロック、そして母親が心を寄せるようになるクリスチャンの男性ロバートが、入れ替わり立ち代わり、学校や家庭で言葉を交わす。日常を切り取ったようなシーンが続くので、ストーリーの主軸である宗教と家族の関わりだけでなく、複数の民族、宗教、言語が共存するマレーシアやシンガポールの日常的な風景を垣間見ることができる。アルフィアン自身、演劇は「のぞき窓から中を見るように、離れた場所からみるある社会のケーススタディ」であってほしいと話している (注5)。例えばナディラと母親が揃って自宅でお祈りをする様子は、マレーシアやシンガポールのイスラムの一般家庭では日常的な風景であるが、日本に住む私たちには珍しく、他人の家のプライベートな時間を覗き見してしまったような気持ちになる。他にも、どのような場面でトドゥン(ヒジャブ)を被る(あるいは被らない)のかというような、ちょっとした生活の仕草から、未婚の男女が一緒にいてはならないという規律、改宗する際の名前のルール、議論がヒートアップした際ファルクが民族と宗教を混同する様子など、イスラムの慣習やマレーシア・シンガポールの社会の様子がまるで教科書のようにあちこちに散りばめられている。

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インスタントカフェ・シアターカンパニー『NADIRAH』

クアラルンプールでの公演では、舞台を四方に取り囲むように観客席が作られていた。一方向に作られたステージに向かって座り、観客である自分が存在しないことを前提とする会場構成と異なり、誰が、どのジョークで、どこの部分で笑っているのか、あるいは難しい顔をしているのか、互いに実によく見える。劇中、議論を交わすファロックとロバートが、舞台を四方に取り囲む観客の間に入り込み、舞台を挟んで向かい合って座る場面がある。ムスリム同士が会話するその他のシーンと異なり、この部分では真っ向からイスラムとキリスト教の二人が言葉を交わし合う。観客席に座るというちょっとした仕草を通じて、二人の間でプライベートに交わされていた議論が、劇場全体のパブリックな議論となる。会場を埋めていたひとびと−−イスラム、ヒンズー、キリスト教、仏教など様々な宗教を信仰するクアラルンプールの観客−−は、目前で交わされる話の内容に、自身も当事者として耳を傾けたのである。
公演のあとには毎回必ず、アフタートークが開催された。四方を囲む観客が今度は本当に議論に参加し、大学の授業さながらの活発なディスカッションが夜な夜な繰り広げられた。ジョー・クカサスは『NADIRAH』をシンガポールだけでなくクアラルンプールで上演することにこだわっていたが、それは「触れてはいけないと思われているけれど、本当はごく一般に人々の中にあるような問題を扱う作品であるから」だと語っている。来場者たちがここぞとばかりに思いを語り合うアフタートークの様子は、明るくやさしいマレーシアの人々の笑顔の裏にある、複雑な心境を垣間見るようであった。

 

日本版の公演は、シンガポール版ともマレーシア版とも異なるものになるだろう。宗教ばかりでなく、シンガポールやマレーシアの文化や慣習を知らなければ不思議に思える場面もあるかもしれない。しかしアルフィアンが語っているように、本作品自体が異なる文化を知るための「のぞき窓」の役割を果たしてくれることだろう。そして、異なる価値観や信念、衝突や葛藤を乗り越えて、ひとりの人間として互いを理解しようとする本作品が、より多くの人に語りかけるよう、また演劇というメディアを通じて社会に介入することを諦めないICTの気概が、今回の公演を通じて日本にも伝染していくことを願いたい。

 

(注1) 今回は紙面の都合上触れられなかったが、近年作家・劇作家としても作品を発表しており、『ALMoST TRUE SToRIES』(2013年)や、「ラジと悲劇の終わり(Raj and the End of Tragedy)」(2014年)などが上演されている。前者は2つの作品のリーディング公演であるが、『Going to the Dogs』は、筆者がマレーシアで見た多くの作品のうちでも、忘れられない一作である。

(注2) YB(ワイビー)はマレーシアで政治家に使われる呼称・称号Yang Berhormatの略。

(注3) アルフィアン・サアットについては国際交流基金アジアセンターによるインタビューに詳しい。
「ナショナリズム、言語、歴史:シンガポールにおける「書く」ことのポリティクス」

(注4) 一般的な中華系シンガポール人は仏教やキリスト教が多い。一方マレー系マレーシア人はほとんどの場合イスラムである。ナディラの母親は、元夫との結婚を機にイスラムに改宗し、その後離婚している。

(注5) 『NADIRAH』 クアラルンプール公演の当日パンフレットへ寄せたメッセージより。


mio-yachita-280x280谷地田未緒

東京藝術大学 国際芸術創造研究科 助教

2016年より現職。国際文化交流、カルチュラル・ディプロマシー、民間・政府による芸術支援制度、アジアのアートマネジメント教育、東南アジアのコミュニティ・エンゲージド・アート等に関心を寄せている。2009年より国際交流基金に勤務。広報部門でウェブマガジンの立ち上げ等に携わった後、2012年から2016年までクアラルンプール赴任。文化事業部長として事務所運営、助成事業のマネジメントを担当しながら、東南アジア初文楽公演、狂言公演、Nibrollや山田うんらによるコンテンポラリーダンス公演、野村誠や木津茂理による音楽プロジェクトなどをプロデュース。また、東南アジアのコミュニティ・エンゲージド・アート、アジアの舞踏に関する国際会議を共同企画。国際基督教大学卒業。東京藝術大学大学院修士(文化政策)。

 


多民族社会の現実に応答する多様な表現 アジアシリーズ vol.3 マレーシア特集

nadirah-farah-as-maznah-2【公演編】 インスタントカフェ・シアターカンパニー『NADIRAH』
作:アルフィアン・サアット 演出:ジョー・クカサス
11/11 (金) ─ 11/13 (日)
会場 にしすがも創造舎  詳しくは→ 
ポストパフォーマンストーク
・11/12 (土) 15:00の回 ジョー・クカサス×滝口健(シンガポール国立大学英語英文学科演劇学専攻リサーチフェロー)
・11/13 (日) 15:00の回 行定勲(映画監督)×シャリファ・アマニ(『NADIRAH』出演)、司会:夏目深雪(映画・演劇批評家、編集者)

母娘のあいだに起こった「宗教問題」の行方は――?

民族間、宗教間に生まれる摩擦、緊張を、軽やかな笑いを交えて描く演出家、ジョー・クカサス。彼女が芸術監督を務めるインスタントカフェ・シアターカンパニーが、シンガポールの新鋭作家、アルフィアン・サアットの家庭劇で初来日する。結婚を機にイスラム教に改宗した母と、ムスリムの学生団体の副代表をつとめる娘。ヤスミン・アフマドの映画『ムアラフ 改心』に触発され執筆された本作は、恋愛、結婚といった身近な題材を通じ、多文化共生の葛藤を浮かび上がらせる

■ジョー・クカサス( 劇作家、演出家、俳優)

jo-kukathas-by-faizal-mustafaマレーシアの多様な民族、宗教、文化から起こる緊張関係を、政治的な風刺コメディとして描くことを特徴としている。クカサスの演出作品は、古典から現代演劇まで多岐に渡る。これまで、中華系移民の世界をシャイロック、マレー人イスラム教徒の世界をアントーニオとして描いた『ベニスの商人』(2000)や、インド伝統舞踊カンパニーと共同して制作された野外劇『真夏の夜の夢』(2012)などを発表している。俳優としてはマレーシアとシンガポールの両国で高く評価されており、多数の賞を受賞。公演や演劇ワークショップも行っており、マレーシアをはじめ台湾、日本、シンガポール、ブラジル、ニューヨーク、香港など世界各地で開催している。
アルフィアン・サアットの戯曲を演出したものはこれまでに3作品ある。2011年に上演され、シンガポールの総選挙を描いた『Cooling Off Day』。オーストラリアのフェスティバルにも招聘された『Parah』(2011)では、民族と友情を描いた。そして民族、宗教、家族をテーマに創作された『NADIRAH』(2009)は、シンガポールとマレーシア、そして今秋東京で上演される。

■アルフィアン・サアット 詩人、作家、劇作家
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コンセプト:BONDINGS クリエイティブチーム
作:スリ・リウ 講師・演出:ウォン・オイミン
11/4 (金) ─ 11/6 (日)

会場 森下スタジオ 詳しくは→ 

スポーツが象徴する「壁」、まぜこぜの言葉から見える「絆」

マレーシア唯一の国立芸術大学ASWARAで教鞭を執る演出家ウォン・オイミンが、学生たちと共に送る多文化多言語作品。若手劇作家スリ・リウが、サッカー、バドミントンなどのスポーツを題材に描くのは、民族をめぐる社会的分断やステレオタイプのイメージ、家族の絆の物語。マレーシアの文化や社会についてのレクチャー、意見交換を行なう時間も設け、集まった人びととのより多面的で深い相互理解を目指す。


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【公演編】 リー・レンシン『B.E.D.(Episode 5)』

構成・演出・振付:リー・レンシン
公演日:11/12 (土), 11/13 (日)

会場:江東区某所、受付場所: SAKuRA GALLERY 詳しくは→

 

マットレスと身体、空間が織りなす都市の横顔

実験精神にあふれた振付家、ダンサーとして注目されるリー・レンシン。その代表作で、「安心」「快適」を象徴するマットレスを用い、パブリックとプライベート、定住と移動といった「空間」をめぐる思索を展開するシリーズの最新作が初演される。会場内の複数の場所に置かれるマットレスとダンサー、立ち会う観客。ダンサーたちとの共同作業はもちろん、東京滞在の経験も経て、生み出された「場」に宿るものとは――。

 


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講師・コンセプト:ムン・カオ

11/8 (火) ─ 11/12 (土)
会場 森下スタジオ 詳しくは→ 

カードゲームで体験するマレーシア政治のオモテとウラ
『POLITIKO』は、参加者自身が政党となって、民族や居住地、政治的立場の異なる支持者を奪い合うカードゲーム。今回は、クリエイターのムン・カオのトークと、約90分(予定)のプレイタイムを通じ、多民族国家マレーシアならではの複雑な社会背景を立体的に伝える。「政党再編」などの戦略、「ガソリン補助金」「水道の無料化」といった政策、時には「セックススキャンダル」「メディアコントロール」といったブラックな手札も駆使して、勝利を目指そう?!