寄稿・高塚利恵

『NADIRAH』は、敬虔なムスリムの女子大生の愛と葛藤の物語。マレーシアの映画監督、故ヤスミン・アフマド監督『ムアラフ 改心』にインスパイアされた作品です。『ムアラフ 改心』もまた、敬虔なムスリムの姉妹が主人公の物語でした。姉のロハニを演じたマレーシアの女優、シャリファ・アマニが、今回の舞台でナディラをつとめます。(人名はすべて敬称略。ご了承ください)

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インスタントカフェ・シアターカンパニー『NADIRAH』

11/11 (金) ─ 11/13 (日) にしすがも創造舎

ヤスミン監督は、マレーシアの大手広告会社のディレクターとしてCMでヒットを飛ばす傍ら、生涯に6つの長編作品を残し、2009年、51歳の若さで急逝しました。どの作品にも「人種や宗教を超えた愛、理解と赦し」が描かれ、彼女の「よりローカルなものを作ることで、より国際的になる」との言葉どおり、国境を超えたこの普遍のテーマは、多くの国際映画祭で評価されました。中でも『細い目』『グブラ』『ムクシン』という、オーキッド三部作と呼ばれる作品が有名で、ヒロイン、オーキッドとして人気を博したのが前述のシャリファ・アマニです。彼女は『細い目』のオーディションでヤスミン監督に見出され、ヤスミン作品のミューズと呼ばれました。ヤスミン監督は、人を一瞬で魅了する天性のオーラを持つ聡明な女性だったと言われていますが、シャリファ・アマニもまさにそのタイプの人物です。現在は、映画、テレビなどで活躍する傍ら、マレーシア社会における女性の自立や成長を表現したいと、映画監督として短編作品を制作した実績もあります。日本との親交も深く、日馬共同制作のインディペンデント映画『クアラルンプールの夜明け』(細井尊人監督)に出演、上映時には数回来日しています。2016年の東京国際映画祭と国際交流基金アジアセンターのオムニバス映画企画『アジア三面鏡2016:リフレクションズ』の行定勲監督作品『鳩Pigeon』で、津川雅彦、永瀬正敏ら日本の俳優と共演を果たし、今や、日本では、マレーシア女優として一番最初に名前が挙がる存在です。

 

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『アジア三面鏡2016:リフレクションズ』

 

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『ムアラフ 改心』 sharifah amani

『ムアラフ 改心』では、ヒロインのロハニ、ロハナの姉妹はシャリファ・アマニとシャリファ・アレイシャの実の姉妹が演じました。劇中で妹をベイビーと呼び、何度もキスをして猫可愛がりしている様子は、間違いなく彼女たちの日常の姿です!姉妹のリアルな日常を彷彿させ、感情移入させてくれます。一方、今回の『NADIRAH』では、彼女と、ナディラの母親役のネオ・スウィーリンが、どんな風に親子を演じるのか、とても楽しみです。さらにネオ・スウィーリンと、恋人の中華系医師役のパトリック・テオは、コミカルでシュールなサスペンス映画『青い館(The blue mansion)』(グレン・ゴーイ監督)で共演しています。二人の異宗教観の勘違いをコミカルに描くシーンでは、 アルフィアン・サアットのウィットに富んだ台本と、ジョー・クカサスの軽快な演出が笑いを誘います。

 

 

さらに、ナディラの友人役には、ベテランのファラ・ラニ、ナディラの先輩役には、今、マレーシアで赤丸急上昇中のイエディル・プトラ。2014年の東京国際映画祭「アジアの未来」で上映された『ノヴァ〜 UFOを探して〜』(ニック・アミール・ムスタファ監督)で、イケメン俳優役で出演しています。

 

『NADIRAH』はシンガポールが舞台ですが、マレーシアについてもたびたび触れられます。マレーシアとシンガポールはその歴史から密接な関係があり、人々の往来はもとよりその関係性も複雑に絡み合っています。ナディラはシンガポール在住のムスリムの学生で、母親は中華系シンガポーリアン。ナディラの父がマレーシア人でムスリムだったことから結婚を機にムスリムに改宗しています。ただし今は離婚して、母は8歳だったナディラの親権を得てシンガポールに帰国しました。月日は流れ、ナディラは敬虔なムスリムとして育ち、大学ではムスリム団体の副会長をしています。そんな時、母に新恋人が登場。相手は中華系シンガポーリアンの医師でキリスト教徒。ナディラは、母が医師に付き添い、キリスト教会に行ったと聞かされ困惑します。

 

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インスタントカフェ・シアターカンパニー『NADIRAH』

ここで『ムアラフ 改心』のあらすじを、少しおさらいしてみましょう。再婚した父と継母とのそりが合わないロハニは、ある日、父の虐待にも近い折檻を受け、妹のロハナを連れてマレーシアの田舎町イポーにある親戚の空き家へ逃げ込みます。自身はムスリムでありながら、西洋の宗教を勉強したがったり、お酒を振る舞うパブで働いたり、ムスリムとしては、どうでしょう…、という描かれ方ではありますが、仏教やキリスト教にも詳しかったヤスミン監督を彷彿させる設定です。ヤスミンは、物事の本質に目を向けている人でした。ロハニもそんな女性として描かれています。ロハナを学校やテコンドーへ通わせますが、ロハナは注意されると、言葉の代わりに不思議な数字を口ずさむので、いぶかしく感じた女性教師が彼女に体罰を与えます。その数字は、後にクルアーンや聖書などの経典の章句で、その時に応じたメッセージが含まれていることがわかります。このロハナの学校でのトラブルを通じて姉妹の生活に関わるようになったキリスト教徒の教師、ブライアンは、姉妹の信仰心と、不遇な境遇にもかかわらず強く正しく生きる姿に心を突き動かされ、自身の課題となっていた母親との関係と、幼少期のトラウマによって捨てかけていた自分の信仰をも見つめなおします。彼は、姉のロハニに心惹かれ、彼女の宗教であるイスラム教を学ぼうとする描写もあります。愛する人の信じるものに興味を持ち、自分も分かち合いたいと思うのは自然なことのようにも思えます。一方、ここで話を『NADIRAH』に戻すと、ナディラが、敬虔なムスリムの恋人ができてから急に信仰心に目覚めた友人に向かって「好きな人とうまくいかなくなったらスカーフを脱ぐの?改宗は服を着替えるようなものなの?」と問う場面があります。ナディラのこの問いかけは、実際には、もっと大きな存在への問いかけのように思えます。

 

ヤスミンの描く世界は、こうであったらいいなという、ほんの少しのファンタジーが含まれていると言われることがあります。現実世界に、ブライアンのような男性がいるかどうかはわかりません。そして作品の中でもブライアンは改宗するかどうかは描かれていません。『NADIRAH』でも、母と非ムスリムの医師との今後はどうなるのか、ナディラと母の関係はどう変化するのか、あるいはしないのか。ヤスミンの描く異文化間の愛は、大きな存在の赦しが根底にあり、時に悲しく残酷な運命に翻弄されながらも、それ乗りこえ、再生の希望があるものとして描かれているように思います。果たして『NADIRAH』ではどう描かれているでしょうか。

 

高塚利恵

株式会社オッドピクチャーズ代表

日本とマレーシアの合作映画『クアラルンプールの夜明け』(2013)(細井尊人監督/出演:シャリファ・アマニ/桧山あきひろ)の製作をきっかけにマレーシア・ニューウェーブの映画人らとの親交を深める。「マレーシア映画ウィーク」(2015)主催(国際交流基金アジアセンター、オッドピクチャーズ他の共同事業)ほか、女性プロデューサー三人によるグループHati Malaysiaにて、マレーシア文化通信「WAU(ワウ)」の発行など、映像制作の傍ら、マレーシアに関連する活動を行っている。

http://odd-pictures.asia/


多民族社会の現実に応答する多様な表現  フェスティバル/トーキョー アジアシリーズ vol.3 マレーシア特集

nadirah-farah-as-maznah-2【公演編】 インスタントカフェ・シアターカンパニー『NADIRAH』
作:アルフィアン・サアット 演出:ジョー・クカサス
11/11 (金) ─ 11/13 (日)
会場 にしすがも創造舎  詳細・チケット購入は→ 

 

■ポスト・パフォーマンストーク※その公演のチケットをお持ちの方は日時を問わず入場可(ただし終演後)
・11/12 (土) 15:00の回
ゲスト:ジョー・クカサス(『NADIRAH』演出)×滝口健(シンガポール国立大学英語英文学科演劇学専攻リサーチフェロー)

・11/13 (日) 15:00の回
ゲスト:行定勲(映画監督)×シャリファ・アマニ(『NADIRAH』出演)
司会 夏目深雪(映画・演劇批評家、編集者)

母娘のあいだに起こった「宗教問題」の行方は――?

民族間、宗教間に生まれる摩擦、緊張を、軽やかな笑いを交えて描く演出家、ジョー・クカサス。彼女が芸術監督を務めるインスタントカフェ・シアターカンパニーが、シンガポールの新鋭作家、アルフィアン・サアットの家庭劇で初来日する。結婚を機にイスラム教に改宗した母と、ムスリムの学生団体の副代表をつとめる娘。ヤスミン・アフマドの映画『ムアラフ 改心』に触発され執筆された本作は、恋愛、結婚といった身近な題材を通じ、多文化共生の葛藤を浮かび上がらせる。

あらすじ
ナディラは、マレーシア国籍のマレー人の父、シンガポール国籍の中華系(イスラム教に改宗)を母に持つ、女子大生。大学のムスリム団体の副代表をしている。彼女は、異なる宗教を持つ学生が互いをどのように尊重できるかを議論する集まりを企画している。ある日、ナディラの母は、ムスリムでない男性と再婚をすると言い出す。家庭内でも同じ問題を抱えた時、ナディラは大学の中で様々な宗教の間にどのように調和を生み出すのか。母と娘は、異なる神を讃えることができるのか?愛と信念、どちらが勝つのか。

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cinra.netインタビュー消費される作品はつまらない。行定勲が世界に飛び出す理由 

 


 

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コンセプト:BONDINGS クリエイティブチーム
作:スリ・リウ 講師・演出:ウォン・オイミン
11/4 (金) ─ 11/6 (日)

会場 森下スタジオ 詳しくは→ 

スポーツが象徴する「壁」、まぜこぜの言葉から見える「絆」

マレーシア唯一の国立芸術大学ASWARAで教鞭を執る演出家ウォン・オイミンが、学生たちと共に送る多文化多言語作品。若手劇作家スリ・リウが、サッカー、バドミントンなどのスポーツを題材に描くのは、民族をめぐる社会的分断やステレオタイプのイメージ、家族の絆の物語。マレーシアの文化や社会についてのレクチャー、意見交換を行なう時間も設け、集まった人びととのより多面的で深い相互理解を目指す。


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【公演編】 リー・レンシン『B.E.D.(Episode 5)』

構成・演出・振付:リー・レンシン
公演日:11/12 (土), 11/13 (日)

会場:江東区某所、受付場所: SAKuRA GALLERY 詳しくは→

マットレスと身体、空間が織りなす都市の横顔

実験精神にあふれた振付家、ダンサーとして注目されるリー・レンシン。その代表作で、「安心」「快適」を象徴するマットレスを用い、パブリックとプライベート、定住と移動といった「空間」をめぐる思索を展開するシリーズの最新作が初演される。会場内の複数の場所に置かれるマットレスとダンサー、立ち会う観客。ダンサーたちとの共同作業はもちろん、東京滞在の経験も経て、生み出された「場」に宿るものとは――。

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vol.8 マレーシア特集『B.E.D.(Episode 5)』リー・レンシン インタビューインタビュー・文 岩城京子


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講師・コンセプト:ムン・カオ

11/8 (火) ─ 11/12 (土)
会場 森下スタジオ 詳しくは→ 

カードゲームで体験するマレーシア政治のオモテとウラ
『POLITIKO』は、参加者自身が政党となって、民族や居住地、政治的立場の異なる支持者を奪い合うカードゲーム。今回は、クリエイターのムン・カオのトークと、約90分(予定)のプレイタイムを通じ、多民族国家マレーシアならではの複雑な社会背景を立体的に伝える。「政党再編」などの戦略、「ガソリン補助金」「水道の無料化」といった政策、時には「セックススキャンダル」「メディアコントロール」といったブラックな手札も駆使して、勝利を目指そう?!