『避難民を演じる体験―『完全避難マニュアル 東京版』評』
  <広沢梓氏>

 『完全避難マニュアル 東京版』では山手線の各駅を起点に、「避難所」として設置された場所あるいは人物を訪ねる。参加者は専用のウェブサイトにアクセスし、いくつかの質問に答えると「あなたの避難所」としてひとつの避難所のページに案内される。そこには風変わりな地図が示されており、それを頼りに実際に街を歩く。ウェブサイトからの情報によると、避難所の中には、一部の避難所で手に入れることができるパスを集めなければ立ち入ることができないものがある。そしてある避難所は別の避難所に何らかの形で関連しており、そのつながりを「トンネル」と呼ぶ。これら謎に満ちたルールにより、参加者はゲームの主人公になったような気分で、東京の街を見つめた。


 山手線内の28駅それぞれに設けられた避難所には「この避難所をもっと知る」というリンクが貼ってあり、その先のページは避難所によって異なっている。それらはTumbler、2ちゃんねる、USTREAM、twitterと多くのアーキテクチャ(濱野智史)に接続されている。しかしその中に複数の駅がひとつのBBSと繋がっているということが見られる。それらは「東京におけるいくつかの宗教についての考察」、「東京におけるいくつかの予言についての考察」、「東京におけるいくつかのコミュニティにまつわる考察」というタイトルがつけられており、そのBBSと繋がっている避難所はそれぞれ宗教、予言、コミュニティをテーマに選択されていることが分かる。

 本稿ではまずこれらの避難所について上記の3つのテーマごとに見ていく。そしてこれらの避難所から指摘できる、この作品における避難とは何なのか探っていく。またここで特徴的なのは「避難民」の存在であるが、このように呼ばれる参加者が一般的な演劇の観客とは大きく異なっていることは明らかだろう。F/T10ではいくつかの参加型演劇とも言うべき作品を見ることができたが、個々の作品は様々な観客の在り方を示し、また観客論としての演劇の可能性を提起した。以下では避難民についても言及し、「演劇を脱ぐ」試みの一環としての『完全避難マニュアル 東京版』を考察することを目指す。

 予言のBBSと繋がっている避難所は4つある。目白では喫茶店でそこにいた人に夢の話をし(後から分かったのだが、彼は臨床心理士だった)、品川のマクドナルドではタイ人の女性に手相占いを、新橋の喫茶店で星占いを、神田ではタロット占いをしてもらった。
 避難所のひとつである「ベローチェさん」についてもここで触れておこう。先に述べた28の駅名がついた避難所の他に、奇妙なハンドルネームがついた3つの避難所も存在する。この避難所に行くためには池袋で連絡先の電話番号を受け取ることから始まる。参加者は各々そこに電話をかけ直接やり取りをして、ある人物に会いに行く。そうやって筆者が出会ったベローチェさんはヒーラーであり、その不思議な力で癒しをもたらしてくれるという。また彼には霊感や前世を見る力も備わっているそうだ。この避難所は予言のBBSにリンクしていないが、予言にまつわる避難所として分類することが可能であろう。
 現実の世界と裏表の関係にあり、互いに大きく影響しあっているという夢の世界、私の左手に刻まれた過去と右手に刻まれた現在と未来、初めて呼吸をしたときの星の位置関係やタロットカードによって語られる私にまつわる物語、前世での経験。これらは突拍子もなくて信じがたいもののように初めは思われた。しかし、ここでの避難は今現在の自分とは別の自分の可能性に触れることである。それは決して現実逃避ではなく、ありうる他の自分の姿を見つめ、今現在の自分を見つめることだ。
 コミュニティのBBSにつながる避難所は原宿、田端、日暮里、鴬谷である。筆者が訪問できたのは田端のみで、そこはとあるシェアハウスだった。原宿はホームレス生活のテント村の野外カフェで、物々交換によってお茶を出してくれるらしい。日暮里はあるコレクティブハウス、鴬谷はあるゲストハウスだったそうだ。これらはすべて人々が協力し合って共同生活を営んでいる場所である。ここで避けられるべき難とは都市において孤立することである。
 また原宿の避難所において出てきたホームレスというキーワードだが、先のベローチェさんはネットカフェで寝泊りをしている、ネットカフェ難民である。会うことは叶わなかったものの、ベローチェさんと同じタイプの避難所ドカコさんも路上生活をしている。その他にもいくつかの避難所に共通して指摘できるこの言葉は、都市の時間の周辺の存在として、ある意味都市生活からの避難のお手本を示してくれるような存在として聞こえてくる。しかし実際には彼らもそこで生活をしているという意味で、決して彼らは都市から逃避する存在ではないことは強調しておきたい。
 宗教のBBSにつながる避難所は大塚、西日暮里、上野、御徒町である。筆者が経験した大塚の避難所はモスクであり、そこで中を案内してもらった際に聞いた言葉が印象に残っている。ムスリムは一日5回お祈りをし、可能であればその度にモスクに出かけるのだと言う。それは信仰心に基づいた行動であるに違いないが、と同時に地域のコミュニティとしても機能しており、たとえばいつも顔を合わせる人をしばらく見ていないとなると、病気でもしているのではないかとその異変に気づくことができる。コミュニティを成立させるものとしての宗教があった。また女性のみ入室を許されている部屋では小さい子供たちが駆け回る中、若い母親たちがクルアーン(コーランとして知られているがアラビア語に忠実に発音するとこれが正しいそうだ)を読むためのアラビア語の勉強会を行っていた。彼女たちにとって宗教とは文化であり生活であるのだ。ここでの避難は別の文化の、生活の仕方の可能性を探ることである。
 話をしてくれた女性にはとても親切にしてもらった。しかしそこで時間を過ごすにつれ、彼女たちにとって筆者はどこまでいってもよそ者なのだという思いが強くなった。祈りの姿を興味本位で見つめる者の存在は、彼女たちにとって正直なところ邪魔であったに違いない。イスラム教を理解しようと努めることはできても、彼らと同じコミュニティに入ること、つまり改宗することは難しい。では、筆者が人と助け合い生活することのできるコミュニティとはどこなのだろうか。

 いくつも避難所を訪ねて感じたことは、避難民は「お客様として」非常に快く迎えてくれたということである。場所によってはよそ者だからと言って危害を加えられないとも限らないと覚悟していたのだが、実際にそのようなことは皆無だった。その理由は端的に言えば、この作品が演劇であるから、に尽きると思われる。リサーチを重ねて選択されたルートを行く避難民は、演劇という仮構に守られた存在であった。(そしてその避難民という護符には常に「東京都主催」があった。)くしくも会期中に起こった北朝鮮の砲撃により発生した韓国の「避難民」の存在はこのことを深く印象づけた。
 しかしそれは同時に、演劇であることにより可能になった身振りである、とも言いかえられよう。参加者は避難民として、山手線内を行き来するゲームの主人公にでもなったような気分で見知らぬ場所や人を訪ねたが、その際、「避難しにきました」という言葉を持っているということに背中を押されることとなっただろう。この言葉をきいた避難所の人々はこわばった表情を急に緩め、中へと入れてくれた。このとき参加者は、自分であって自分でない、避難民としての時間を過ごす。ここでの体験は演劇によって枠取られており、それは本来の意味では疑似体験にすぎない。しかし、それは何も体験していないということとは異なる。避難民は実際様々な人と出会っている。

 この作品で参加者は避難民を演じる。そして先程からこの作品を演劇だと言っているが、これについても考える必要がある。筆者は巣鴨の喫茶店でこのような経験をした。店員に話しかけた客の男性は巣鴨の避難所の地図を手にして道を尋ねているようだ。そうして店を駆け足で出ていく男性を何気なく見ていた筆者は、これは演劇であると思った。そしてピーター・ブルックの『なにもない空間』の、あの有名な冒頭の一節が頭をよぎった。

 ひとりの人間がこのなにもない空間を歩いて横切る、もうひとりの人間がそれを見つめる―演劇行為が成り立つためには、これだけで足りるはずだ。

 この瞬間初めて筆者は自分が観客になったと感じた。このとき地図を持った男性はパフォーマーである。彼は見られていることにおそらく気付いていないが、ここではパフォーマーとそれを見る存在としての観客が存在しており、その瞬間は演劇であったと言うことができるだろう。しかし、このような状況はこの作品においては特殊である。実際には誰にも見られることなく、地図を片手に山手線の周辺を行き来する者が多くいた。このとき避難民はある動作を遂行する者として、皆パフォーマーであると言える。果たしてこのような作品を演劇ということは可能か。

 避難民とは用意された地図上に、ルール上に、構造に身を置き、その一目見ただけでは分からないシステムを理解しようと努めた者である。熱心な避難民ほど多くの避難所を訪ね、自らをそのゲームのような世界に内在化する努力を怠らなかった。そして避難民の中には謎の多い作品における経験を共有するものとして内輪意識、連帯感が生まれた。Twitter上の公式アカウントが提供したハッシュタグ#hinanの検索結果も避難民を過熱させる要因になった。避難所の中にもこの感覚を生む仕掛けがいくつかあった。それは鴬谷のバーや神田の立ち飲み屋、そして恵比寿のホームパーティである。特に恵比寿は3枚のパスがないと招待状を受け取ることができず、また週に1回のみの開催というところから、特に避難民意識の強い人々が集まった避難所だと言えるだろう。このような状況は端から見れば入りづらいもののように思われ、新規の参加を妨げるものとしてはたらいたという面は否定できない。
 しかし実際避難民として行動した者は、この作品内に収まろうとすればするほどに、そこに確固とした枠がないことに気付いただろう。それは多くの避難所会期前も存在し続けていた、既に多くの人にとっての避難所であったということに象徴されている。原宿の野外カフェも日暮里の座禅道場も、会期が終わった今も訪問することが可能だ。避難とは孤立を避け、出会った誰かとともに営む生活の可能性を探り、そのような時間を積み重ねて形作られるであろう別の自分自身の可能性に出会うことである。避難を経験して知った可能性の存在は、また新たな可能性を生む。それをもたらしてくれる避難所とは、身の周りのいたるところに偏在する場所であり時間であり人である。よって避難経路も無限に存在する。そうしてこの作品は、地図を持って出かけるという構造から無限に拡散していく。

 ただし、この地図を片手に街を歩くと言ったイベントは筆者が経験したものだけでもいくつかある。しかしそれらすべてが演劇としているわけではない。こうしてまた「これは演劇か?」という問いが浮上してくる。そう考えたときにやはり先のブルックに立ち返りたい。あの一節は言いかえれば、演劇とは俳優と役者が同時に存在しなければ成立しないということである。しかしこれをそのまま本作品に適応することができないことは明らかであろう。劇場を取り払って都市を舞台にしたとき、そして演じるものと見るものの役割が溶解して皆がパフォーマーになってしまったとき、残るのは人と人であり、その間に生まれるコミュニケーションしかない。避難に参加して多くの人と出会った。人と人との出会いを創造することに演劇性を見出すこともできるのではないか。

 『完全避難マニュアル 東京版』が演劇であるか否か。それは今のところどちらかに断定することはできないし、その必要はないように思われる。参加者は避難民を演じ、そして避難経路は終わらない。この作品は演劇とは何かを未だ問い続けている。
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