『なぜ彼/女らが行うのは報告ではなくその表象なのか
  ――「晒される」ものとしての俳優達』
  <江口正登氏>

 マレビトの会『HIROSHIMA-HAPCHEON:二つの都市をめぐる展覧会』1(演出:松田正隆)。内容・形式双方におけるこの作品の特徴は、既にこの表題の内に語られている。すなわち、内容としては「HIROSHIMA(ヒロシマ)」と「HAPCHEON(ハプチョン)」という二つの都市、人類史上初の原子爆弾による被害を蒙った街と、それに深い関わりを持ちながら、一般的にはそのことが忘却されているもう一つの街とがその主題であり、形式的には、「展覧会」としての演劇という風変わりな、しかし、本フェスティバルのコンセプトである「演劇を脱ぐ」という言葉にいかにも相応しい試みが本作では採用されていた2


 F/Tのwebサイトには、公演は「展示形式を含み」、「ご予約回の開演時間から最終受付時間までいつでもご入場可能」、最終受付時間は「各回終了の75分前まで」、鑑賞時間の目安は「60分」という記載があり、これらの知識を観客は前もって仕入れることができる3

 会場である自由学園明日館講堂に足を踏み入れると、そのあちこちに俳優達が点在している。美術館における展示物のように、彼/女らは相互に一定の距離を取りつつ配置されているのである。通常の美術館のように一定の順路があるわけではないその空間を、観客はそれぞれ任意に動き回りつつ、個々の展示物=俳優を「鑑賞」することとなる。ただし、俳優達は常時パフォーマンスを行い続けているわけではなく、定められた時間にパフォーマンスを行うこととなっている。それ以外の時間においては、彼/女らはまさに美術作品としてオブジェ化したかのごとく静止しており、それらの佇まいの持つ圧倒的な奇妙さは、観客にきわめて強い印象を与える4。いつ、どの俳優のパフォーマンスが行われるのか把握できるよう、観客には受付時にタイムテーブル表と、展示物たる俳優の立ち位置、顔写真、名前、パフォーマンスの表題を記したガイドマップが渡されている。これを参照すれば、コアとなるパフォーマンスの流れは一応つかめるものの、一度に一つずつしかパフォーマンスが行われないわけではもちろんなく、それらは同時多発的に行われるため、観客は注意の対象をどこに据えるか、最終的には自ら選択せねばならない。

 このように、時間的に線的な進行性を持った通常の演劇上演に代え、空間的な併置構造を備えた展示という形式を採用したことの結果として、統合性の喪失ということがもたらされる。同時多発するパフォーマンスと奇妙に沈黙した俳優=オブジェ達に取り囲まれながら、観客は「すべて」を統合的に把握することの不可能を強く思い知らされるのである。

 個々のパフォーマンスを一つ一つ取り上げることはできないが、注意すべきは、それらが「報告」という形式をとっていることである。ヒロシマでの出来事、あるいはハプチョンの出身者も含めそこに居合わせた人々の生を、それ自体として再現するのではなく、それについての俳優達自身による取材、「フィールドワーク」の成果を報告することがそこでは行われているのである。

 こうした報告という形式は、演劇史的な視点に立つならば、たとえばブレヒトによる「叙事的演劇」を思い起こさせもするが、「被爆」という主題を考えるならば、ここではより直裁に、「表象不可能なもの」をどう記述するかという美学的かつ倫理的な問いの系譜を召還すべきであるだろう。

 表象不可能性を巡る近年の議論の契機の一つは、クロード・ランズマンによるドキュメンタリー映画『ショアー』(85)であった。ランズマンはこの作品で、アウシュヴィッツの表象不可能性という〈条件〉を、更に踏み込んで表象の禁止という〈命法〉と解し、それをきわめて厳格に遵守している。そこでは、出来事それ自体の再現は一切行われず、またアラン・レネの『夜と霧』(55)がそうしたような記録映像の使用をも退け、ただただアウシュヴィッツに関りを持った人々の証言のみで9時間という長大な時間が構成されているのである。

 証言の映画としての『ショアー』と、報告の演劇/展示としての『H-H』。出来事の再現を忌避するという意味では両者は近似しているようにも思われるが、そこにはごく端的かつ決定的な違いがいくつか存在する。まず、『ショアー』に現れる証言者達が、出来事の「当事者」――そこには、「傍観者」という在り方も含まれるのだが――であるのに対して、『H-H』の場合はそうではない。むしろ、当事者性の拭いがたい欠落こそが、しばしば『H-H』の俳優達の出発点となっている(ヒロシマについて無知、あるいはごく一般化された関心しか持っていなかった自分が、いかにしてそれと適切に向き合うことができるか、という問い)。また言うまでもないことだが、『ショアー』は映画であるが、『H-H』は、(幾分イレギュラーな形態ではあるが)上演芸術である。

 そして、こうした媒体の差異とも関わりながら、決定的に重要なのは、両作品で提示されている行為の性質の差異である。『ショアー』における証言は、それ自体一つの出来事、すなわち、表象ではないものとして提示されている。それは、リハーサルされた演技ではなく、カメラの前で現に行われた出来事なのである。

 対して、『H-H』における報告は、いかにそれが報告者の実体験に基づいたものであろうとも――構造上反復可能であるという意味において――基本的には「演技」として提示されている。つまり、それは一回的な行為としての報告ではなく、あくまでも、「報告の表象」なのである。

 ここで言いたいのは、『ショアー』は出来事の提示であるから良いが、『H-H』は表象だから良くない、ということではない5。『H-H』の形式を要請したものは何か、というのが我々の問いである。

 一方が出来事であり、他方が表象であるというのは、複製芸術と上演芸術という媒体の違いから直接に帰結することではない。確かに、一回性がそれとして認知されるためには、時間的な流動性の中に散逸することのないマテリアルな刻印が必要である、という意味で、上演芸術よりもむしろ複製芸術の方こそが、そうした表現に適しているという逆説は一般に存在する。しかしながら、作品としての完成度を措くとすれば、反復不可能な一回性を上演の内に導入することは、殊更に難しいことではないだろう。実際に『H-H』の作品構造に即して考えても、上演進行の統御を一定程度確保したまま、俳優の報告を字義通りの報告とする、すなわち、観客である我々に実際に語りかけ、何らかのリアクションが起きればそれにさらに応対する、といった仕方で一回性を取り入れることは十分に可能であったと思われる。

 にも関わらず松田がそうしなかったのは、そのようなスタイルを取った瞬間に決定的に損なわれてしまうある種の質が、『H-H』という作品の本質的な部分に備わっていたからではないか。それがつまり、『H-H』は「上演芸術」であると同時に、「展示」でもあるということである。すなわち、俳優は、展示物がそうであるように、観客に対して直接的に関心を向けてはならない。彼/女らの報告は、呼びかけであってはならず、宛先を持ってはいけないのである。

 しかし、それはなぜか。なぜ松田は、生身の俳優を展示物とするという異様なスタイルによって、展示という形式を問いの俎上に載せねばならなかったのか。その答え(の少なくとも一つ)は、当日配布の資料に記載された演出助手である田辺剛の言葉の内に、比較的明瞭に記されている。田辺は、会場内において俳優達の傍らに設置された液晶モニターが、美術館におけるキャプションに相当する機能を担うことを述べつつ、展示物がそれとして措定される際に、キャプション=言葉というものの持つ「強い力」に注意を促している。「ある廃墟が「原爆ドーム」と名付けられ展示物になると、あたかもはじめからそれであったかのような錯覚が生まれる[...]」。

 展示物が、言葉による規定を一方的に受ける存在であるということ。それが本来持っていた複雑な来歴や、持ちえたはずの重層的な意味の連なりが、一つの言葉の中に総括され、見えなくされてしまうこと。名指しという行為が持つこうした一元化の暴力は、その「対象」の来歴を不問にする、原子爆弾という兵器の無差別性とも確かに通じるものがある(展示と被爆とはいずれも「晒される(exposed)」ことの問題であるわけだが、晒されるとはすなわち、一方的かつ強制的に力を行使されることである)。そして、こうした暴力は、ある意味においてヒロシマを記憶しようとする我々の行為の内にも忍び込みうるものである。
 もし我々が、ヒロシマという都市を、「被爆都市」という風にだけしか記憶できないとすれば、あるいは、「被爆都市」というものを、確立された問題として、つまりそこにアプローチするための適切な回路――そこに、ハプチョンという名は恐らく書き込まれていない――が既に整備されたものとしてしか想像できないとすれば、そこにもやはり同様の暴力が働いているのではないのか。『H-H』において松田と、決して予め十分な当事者性を備えているわけではない俳優達が、フィールドワークによって個々に当事者性を構成するという作業を通して提起しようとしていたのはこうした問題であり、であるからこそ彼/女らは展示物と化してそこにあらねばならなかった。すなわち、鑑賞者に対して直接呼びかけることによって、彼/女らの報告が真に行為としてのステータスを獲得する=キャプションによる規定を超えて我々との間に多様な関係を取り結ぶという可能性を敢えて抑圧することによって、『H-H』は、ヒロシマ/ハプチョンと我々との関係の内に作用している一元的な言葉=記憶の暴力を、遂行的に指し示していたのである。

 以上が、『H-H』の上演形式についての一つの解釈の仕方でありうると私は考えるが、しかし、実はこの中に縫合しきれていない論点が存在することを補足しなければならない。これまで述べてきたように、本作におけるパフォーマンスは、俳優自身の取材に基づく報告(の表象)であるわけだが、実はそこには例外がある。会場入口側の奥まった空間、ここで行われていた、西山真来という俳優による「ハプチョン原爆被害者福祉記念会/キム・イルチョの証言」というパフォーマンスである6。ここでは、広島で被爆したハプチョンの女性の言葉が、それ自体は取材によって得たものであるにせよ、それそのものとして西山によって再現されるのである。つまり、ここでだけ、「報告の表象」ですらなく、ごく一般的な意味での、すなわち、イリュージョニズム的なものとしての「表象」が行われているのである7。なぜか。考えられるのは、それがハプチョンの女性という、「日本人」の立場からするならば通常以上に「遠い」存在であるからこそ、あえて表象というかたちでその言葉をそっくりこの場所に到来させねばならなかったのではないか、ということである。報告という形式を介すことによって、他者を我有化してしまうのではなく、表象、すなわち演技=擬態によって、それそのものをこの場所に導き入れることが、ここでは企図されていたのではないか8

 最後に、上演空間の構造についても一つ補足しておこう。私は、空間的な併置構造を備えた展示という形式を取ったこの作品においては、全体を統合的に見渡すことが不可能であると述べた。しかしながら、実はこの上演空間には、擬似-統合的な把握を可能にする視点が存在している。会場の講堂には、二階部分が存在しており、ここに登れば吹き抜けとなった一階部分の眺望を得ることができるのである。その俯瞰的な眺望に加え、ここには「展示についての説明と音のキャプション」を示すモニターまでが設置されており、まさに、作品についての統合的な理解を得るために用意された場所のようにも思われる。しかし、この場所にもまた死角は存在する。この二階部分の真下に存在する一階の空間である。二階の、擬似-統合的な視点に立つ我々は、自らの下に踏み敷かれているものを見ることができない。西山によるハプチョンの女性の擬態は、この場所で行われた。
(4,986字)

註:
1. 以下、『H-H』と略記する。
2. 本論の議論とは直接関わらないが、「演劇と展示」という問題設定のアクチュアリティを示すものの一つとして、劇場制作者として近年の演劇環境の現況について行き届いた把握をなした上で、展示ということが現在の演劇にとって一つの鍵となるものである、という見方を提示した次の論考があることを紹介しておく。野村政之「演劇と展示」『エクス・ポ』テン/ゼロ号。
3. 私が公演に足を運んだ10月26日のマチネの回は14時から17時が上演時間となっており、上記の記述に従うならば最終受付時間は15時45分ということになるわけだが、実際に私が受付を済ませて会場へと足を踏み入れたのはちょうど15時半ごろで、かなり遅めの時間ではあった。
4. 本稿では言及できないが、こうした俳優の在り方は、美術批評家/美術史家のマイケル・フリードによって提起された「演劇性」と「没入」という対概念、またこれを演劇あるいは美術の具体的な作品の分析にどう適用するかということについて再考するための、きわめて興味深い事例を提供してくれているように思われる。
5. アウシュヴィッツの表象という問題が、この上もなく厳粛な取り扱いを要求するものであることを十分に銘記しつつ、むしろ『ショアー』以降、表象の禁止という〈命法〉を原理的に徹底化するランズマンに対し、表象不可能性という概念の絶対性を問い直そうとする議論が、様々に提起されていることも指摘しておこう。ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『イメージ、それでもなお』(平凡社)、ジャック・ランシエール『イメージの運命』(平凡社)。
6. マップによると、他にも、駒田大輔による三つのパフォーマンスがこの場所で行われていたようなのだが、私はこれらをしっかりと観ていない。いくぶんメランコリックな様子で雑誌をめくっていた駒田の姿は記憶しているが、それが三つの内のどれに該当するのかも分からない。
7. 駒田の雑誌を読むパフォーマンスもそうした類のものだったのかもしれない。
8. 細見和之が、アドルノにおけるミメーシスの概念(への賭け)を、「既知のものへと同一化することなく、未知のものを未知のものとして経験し表現する能力である」と理解することを提案していたことをここで私は想起している。細見和之『アドルノ』(講談社)。