『倦怠礼讃』
  <鈴木麻里氏>

(こちらの作品は締切後提出でしたので、審査対象外、掲載のみとさせていただいております)

 かねてよりの住処が差押えられ、時に美しい声色で嘆きつつも無為のまま退去を強いられる一群れの人々にチェホフ『桜の園』を彷佛とした私の連想は、無理からぬものかと思う。する事のない間延びした時間、無闇に話される言葉、出し抜けの身振り、倦怠感、危機的な状況に見合わない歓楽が、ひたすら舞台の上を流れていった。
 寒空の街灯のもと口ずさまれた讃美歌の荘厳に涙を禁じ得なかったと、知人は言った。私はむしろ、この場面を笑った。

 「現在の現実に身を嵌め込まなければならぬときに、依然として過去の想像上の境地に身を適応させようとしつづけているような、そんな感覚と理性との非弾力性」(ベルクソン『笑い』1938年2月、岩波書店)
 ベルクソンが『笑い』で述べた、"おかしみ"の正体たる非弾力性としての"こわばり"を、私はブッツバッハ村の面々に見い出す。ブッツバッハ村の住人たちがおかれた状況は終始一貫、歌っている場合ではなかった。長年住み続けて来た居場所が、売却されていく。立退きを迫られる危機的状況の中で、彼らは終始、気まぐれに歌っていた。 彼らの振るまいはコミカルである。一見
すると深刻な状況へ柔軟に対応しているかの様に感じる。

 "おかしみ"は実際の所、彼らの頑迷さに宿っている。住処を失うとは、"おおごと"である。この劇的な出来事に接してなお柔和でい続けることの不自然さを、"こわばり"と呼ばないでいられようか。

 歌っている場合ではない、抜き差しならない状況を歌って過ごすという彼らの"こわばり"の極致として、讃美歌を捕える。職にあぶれ、住まいを追い出されてしまった彼らに対し、神は無為であった。奇蹟は起きなかった。彼らは無為の神を讃えると同時に、自らの無為を讃美している。祈ることすらしなかった。

 磯田光一著「『悲劇』の条件」(『文芸読本 シェイクスピア』1977年5月、河出書房新社)によれば、主人公は「仮象」を真実と取り違えた為に運命に異変が生じ、やがて「仮象」が「仮象」であることが明らかになり、最後に「真実」が開示されるのだと言う。私達が悲劇の主人公に心を動かされるのは、「仮象」を生きてしまった"取り返しのつかなさ"を彼があえて引受けているためだとする。
 ブッツバッハ村の仮象とは何だろうか。「従来通りの場所で今後も暮らしていけるという、無根拠な確信」と仮定する。

 「発酵組織研究所」と名付けられた舞台装置は、建物の内部かつ外部といった趣を見せている。三方を囲む壁面の内部に床や壁紙や家具が備えられていながら、ガレージや街灯やバルコニーもまた内部に向かって生えている。
 立ち退きした住人は街灯の明かりに照らされて讃美歌を歌うが、それはあくまで「発酵組織研究所」の内部にしつらえられた街灯の元である。彼らの転居先はガレージであるが、これもまた「発酵組織研究所」の内部に存する。
 観客の目には、彼らが明白に「追い出された」という印象がない。むしろ、追い出されたにも関わらぬ行動の代わり映えなさが強調されるばかりである。
 住処を移しても変化しない、彼らの営みというものがある。相変わらずの取り留めない言葉や身振り、のんきな歌、まれに狂騒。

 こうも考えられる。立退きという一大事件は、事物に対する彼らの"こわばり"の強度を証明するためのイベントに過ぎなかった。彼らは何処か楽しそうにすら見える大仰な嘆きや不平こそ見せたものの、立退きを回避するべく実際的な抵抗に打って出ることをしなかった。転居した先でさえ、相変わらずの鷹揚さでダンスパーティを催している。

 寺山修司に『さらば箱舟』という映画がある。村で唯一の時計を持つ「本家」に時間を支配されてきた「100年村」の住人達は、電話線が引かれて「街」と化した隣村へ一斉に移住をする。
 100年後のある時、近代的な街で商店を営んだりサラリーマンに身をやつしたりしている村人たちが写真屋のもと、丘の上に集まってくる。記念撮影に写ったのは、100年前の村人たちと寸分違わない姿だった。

 なるほどブッツバッハ村は巨大である。村人達が移り住んだ先、全ての土地はブッツバッハ村となる。この地球、全宇宙、行けども行けどもブッツバッハ村なのである。

 冗談はさておき、彼らの"こわばり"の所以について考える。
 生物学者の今西錦司によれば、植物に目が無いのは彼らが下等な故では無く、彼らの生活がそれを必要としないからだと言う(今西錦司『生物の世界』1972年1月、講談社)。植物はウロウロと歩き回らずに、生えた地面から養分を得る。動物に葉をムシャムシャ食べられてしまう場面もあろうが、根を引っこ抜いて逃げられもしないのに捕食者の顔が見えてしまうのは、却って無駄なストレスの元である。どのみち食われてしまうのであれば、苦痛を増大させる為だけの目は、必要ない。

 つまり、そういうことなのかも知れない。
 彼らが自らの無為に気が付かないのは彼らが下等な故ではなく、彼らの生活がそれを必要としないからである。抵当に入った住処を取り返す術もないのに自らの無為に気付いてしまうのは、却って無駄なストレスの元である。どのみち奪われてしまうのであれば、苦痛を増大させる為だけの気付きは、必要ない。

 舞台終盤、ブッツバッハ村の人々はファッションショーを模したかの様な場面を延々と演じ始める。一人ずつ舞台奥から登場してはアクティングエリアの手前端で立ち止まり、ちょっとしたコミカルなアクションを見せては元来た道を退場していく。
 同じ俳優達が繰返し登場する中で、彼らの服装は徐々にみすぼらしく野暮ったくなっていく。極端にずり上げたジャージのズボンにシャツをインしている者、上着のファスナーが閉まらないので前がはだけない様ズボンのゴムで何とか押さえている者。

 ファッションショーを画一的で窮屈な牢獄たらしめているのは、トップモデル達の人間離れした程スレンダーな体型や独特なウォーキングがスタンダードとして了解されていることよりも、一直線上を通って登場し、立ち止まり、また一直線を逆行して退場するという定められた行動パターンそのものではないかという指摘を想起した(茂木健一郎『芸術脳』2007年8月、新潮社)。

 例えば村民達のファッションショーは、立退きから遅ればせの就職活動の様に見えた。
 数多の会社へいつまでエントリーし続ければ報われるのかは分からないが、ひたすら面接を受け続ける。彼らが自らの生活状況を打破するべく世の中に働きかける方法は、限定されている。就職への一本道を行きつ戻りつすることしか許されない。
 彼らの表情は、不満気である。嫌がる所を無理矢理にお遊戯会へ引っ張り出された、子どもの様な顔をしている。
 ブッツバッハ村の仮象としての「従来通りの場所で今後も暮らしていけるという、無根拠な確信」は、見事に打ち砕かれた。元いた住居から、人々は追い出された。退去は現実となり、生きる為には嫌応でも職を探さねばならない。

 自らが「仮象」を真実と取り違えたなどと、事ここに至っても彼らは知覚しない。相変わらず状況に不満顔を見せながら鷹揚に歌う、市井の人々である。
 彼らの前には荘厳な死の代わりに、間延びした生が横たわっている。

 かくして「現在の現実に身を嵌め込まなければならぬときに、依然として過去の想像上の境地に身を適応させようとしつづけているような、そんな感覚と理性との非弾力性」は保たれ、コロニーは永続する。
 その村は巨大であり、古今東西人類の大多数はそこを住処としている。
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