サンシャイン63
特別寄稿 サンシャイン63 構成・演出:高山明 (Port B)

演劇であり美術でもあるPort Bの作品世界

新川貴詩 (美術&演劇評論家)

Port B(ポルト・ビー)の作品は演劇なのか、それとも美術なのか?
 この問いは不毛であり、彼らの活動をカテゴリーで分け隔てることにあまり意義は見出せない。というのも、演劇であり美術でもあるのがPort Bの表現だからである。2002年に演出家の高山明を中心に結成された彼らは、次のように自らを紹介している。
『「演劇とは何か」という問いが根底にあり、「きたるべきもの」としての現代演劇を追求している』(註)。
 この一文には、演劇と呼ばれる表現形式をあらためて検証し、演劇の再定義を図ろうとする彼らの果敢な姿勢がはっきりと現れている。その一方で、彼らの表現は美術の流れの中でも確実に位置づけられる。とりわけ、彼らがここ数年取り組んでいる「ツアー・パフォーマンス」と称する一連の作品はこのことが顕著だ。
 ツアー・パフォーマンスとは、都市まるごとをインスタレーション化し、Port Bが企てたルートに従って観客が街を歩き回る試みである。2006年に巣鴨地蔵通りで発表した『一方通行路~サルタヒコへの旅~』を皮切りに、翌年には実際のはとバスを利用し主に1964年の東京五輪ゆかりの建物を巡る『東京/オリンピック』、そして08年3月には『サンシャイン62』を実施した。その発展的再演にあたるのが、今回のフェスティバル/トーキョーにおける『サンシャイン63』である。そこで本稿では、前作『サンシャイン62』を軸に、美術シーンの潮流を踏まえつつPort Bについて語りたい。
 Port Bによる『サンシャイン62』は、5人1組となった観客が地図を頼りに池袋一帯を巡るツアー・パフォーマンスである。廃校やホテルの一室、老朽化したアパート、巨大書店、小さな喫茶店など、その場からサンシャイン60が眺められる十数カ所の場所を約3時間かけて歩き回り、そして先に進むにつれて、かの超高層ビルが多様な意味を孕んでいることに喚起されるといった内容である。
 こうした試みは、美術でいうサイトスペシフィック・アートに通じる。サイトスペシフィック・アートとは、場所の特性を重んじ、周囲の景観や地域の歴史、風土なども積極的に採り入れた作品のことである。このような作品傾向は50年代頃から現れたが、日本では90年代以降に加速的に展開され、廃工場や空きビル、競馬場、営業中の商店などありとあらゆる場所で、その場に応じた作品が設置される機会が繰り広げられてきた。
 そしてPort Bの『サンシャイン62』は、戦後日本の暗部と驚異的な経済成長を象徴するサンシャイン60という建物のみに焦点があてられているわけではない。訪問先のひとつひとつが丁寧に選ばれ、さらにはその場にふさわしい仕掛けが巧みに設定されている。つまり、十数カ所におけるサイトスペシフィック・アートの集積によって、『サンシャイン62』という大きなサイトスペシフィック・アートとして構成されているのである。このように複合体的な性格を持つ本作は、さまざまな顔つきを備える池袋の街とまさに呼応する。したがって、場所の特色を的確に読み取った上で作品と街とを一体化させた本作は、紛れもなくサイトスペシフィック・アートであると考えられる。
 また、最近では美術と街を結びつけ、街の随所に設置した作品を巡るクルージング型の展覧会が相次ぐ。08年の秋に限っただけでも、「金沢アートプラットホーム2008」や「カフェ・イン・水戸2008」、横浜の「黄金町バザール」、「Akasaka Art Flower 08」など街ぐるみの展覧会が各地で目白押しだった。なお、やはり08年の秋に開催された展覧会「取手アートプロジェクト2008」では、彼らは多くの美術家たちに混じってインスタレーション作品を発表したほどだ。そしてPort Bのツアー・パフォーマンスは、こうした趣向の展覧会と共通点がある。それは、この種のクルージング型展覧会が地図を片手に観客が街を巡る設定であることだけに限らない。先ほど述べたとおり、複数の訪問先の集積がひとつの作品として成り立つという点において、彼らの作品は展覧会的な性格を備えていることも指摘しておきたい。
 さらに『サンシャイン62』は、観客参加型アートの観点からも語ることができる。従来の美術作品はアーティストの手によってつくられ、観客はそれを鑑賞するという一方向的な関係にすぎなかった。だが、やはり90年代以降、アーティストと観客が共同で作品制作に携わるといった双方向的なスタイルが増えていった。本作も同様に、観客は積極的に作品に関わり、主体的な行動も求められる。というのも、本作のツアーの間、5人1組の観客にはそれぞれの役割が与えられ、各自が作業を担うことによって初めて本作は成り立つ仕組みとなっているからだ。
 よって本作は、観客はただの鑑賞者ではなく、個々がつくり手の一人である。そのうえ、観客は出演者とも化す。筆者が池袋を巡ったときのこと──。明るい時間帯に5人の男女でラブホテルから出た矢先に、通りすがりの青年に好奇心に満ちた眼差しで目を向けられてしまった。さしづめわれわれは、特殊な性嗜好の持ち主集団だと思われたに違いない。青年の呆然とした表情は、いまも忘れられない。つまり、本作では観客さえも見られる立場となる。Port Bは、つくり手と受け手の垣根を軽々と越えると同時に、見る/見られるといった関係に揺さぶりをかけるのだ。
このように昨今の美術動向に基づいても、Port Bの作品は十分に語りうる。実際、彼らの活動は演劇界のみならず美術界からも注目され、先述した展覧会の他にも、出品依頼が相次ぐ。これは美術の観点からとらえても、彼らの表現が他の美術家たちに比べ群を抜いているからだろう。
 演劇と美術が交差する点に位置する表現──それがPort Bの作品世界なのである。

(註)Port B公式サイトより引用

新川貴詩 (美術&演劇評論家)

1967年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業、同大学院修士課程(情報通信専攻)修了。美術ジャーナリストとして新聞や雑誌に現代アートを中心に文章を執筆するほか、展覧会企画や学校教員、ワークショップ講師などを務める。編著書に『明和電機会社案内』、『小沢剛世界の歩き方』ほかがある。