「現実」と「リアル」―『個室都市 東京』― [三橋俊平氏]

 池袋西口公園に建てられたプレハブ、これが『個室都市 東京』の舞台である。一般的なドア一枚分の入口の横には赤と黄色のロゴマークをあしらった立て看板、このロゴマークがとても印象的である。光が射してくる外界への脱出、といったイメージを喚起する緑と白の避難誘導のマークとは対照的に、外界からの避難先としてのイメージを与える。外界からの避難先、それこそがマンガ喫茶、個室ビデオなど「個室」に投影されるイメージなのかもしれない。そしてこのイメージこそがこの作品の大きな軸のようにも思える。

(1)ビデオ・インスタレーションを含む個室ビデオ店について
 私が池袋西口公園内にある個室ユニット、その中で鑑賞出来るビデオ映像にて感じたことは、距離が生まれることによる安心感というものである。
 まず始めにビデオ映像。個室ビデオ店を模した店内には約350種類にも及ぶ、インタビューを受けた一人一人の顔がジャケットとなっているDVDが並べられ、それらの中から数本を選び個室にて鑑賞するというのがこのインスタレーションの軸である。DVDから流れてくるのは池袋西口公園を通りすがったり、そこで生活をしていたりと老若男女様々な人のインタビュー映像。質問の内容は「マクドナルドにはよく行きますか?」というものから「日本のために戦争で戦えますか?」など多岐にわたる。その質問に対して、作られていないその人自身の言葉で十人十色の答えが返ってくる。しかしその言葉はモニターを介して伝わってくるものであり、嘘偽りのない現実のことが話されているにもかかわらず、直接に向き合っていないことで現実ではなく、現実味を持ったもの、「リアル」なものであるという距離が生まれる。いわば発信する側と受信する側の明確な一方通行性があり、どこまでいっても一方的に鑑賞している自分は実際に関わることはないだろうという、当事者になり得ないという「安心感」がある。だからこそ鑑賞が出来るのかもしれない。
 そして次に個室ユニットという空間。この個室ユニットは池袋西口公園内に仮設で建てられたものであるが、中に入ってしまえばそんなことは気にならないくらいに再現された空間である。私は個室ビデオ店自体にはいったことがないが、同様の、個室空間を持った施設としてマンガ喫茶をよく利用する。その個室空間を持った施設としての再現度は高かったと思う。そのため池袋西口公園という土地の中にいながら個室ビデオ店の中にいるという、無意識下で空間としての隔たりが生まれる。そのことでインタビュー映像に出てくる人々が同じ空間にいたにもかかわらず、違う空間にいるような感覚があり、そのことが距離感を生む。その距離感が現実にも関わらず、「リアル」なもの、現実味を帯びたものであり、現実ではないという「安心感」に至る。
 またこの個室空間、外界にありながらにして個人としての空間を(程度はあるにせよ)保証されているという安心感もある。だから終電を逃しても安心して朝まで時間を潰していられるし、寝泊まりする場所としても重宝される。そして壁1枚隔てた向こう側には「隣人」がいる。その「隣人」は確かにそこに存在するが、こちらには興味を向けることはないし、危害を向けることは無い。(もちろんそれは個室空間においての節度が保たれている場合においてではあるが)自分に危害を加えることも、興味を持つこともない、物質的にも壁1枚という一定の距離が絶対的に保たれていながら、確かに存在する「隣人」に対して私は「安心感」を覚えた。それは気配というか、物質の存在感による「安心感」といえるもので、万人に共通のものなのかは正直わからないが、個人の空間を占有した状態で「隣人」とも空間を共有している個室空間独特の「安心感」といえるだろう。しかしこれらの「安心感」は普段個室空間を利用する際には別段意識されるものではなく、インスタレーションとして個室空間が提示されて初めて発見された感覚であり、新鮮なものであった。
 これらの「安心感」はただのドキュメンタリーであったら体験し得ない感覚であり、それを体験させてくれることがインスタレーションとして非常に良かったと思える点である。普段の現実生活の中では意識されなかったものが「リアル」を通すことによって掘り起こされてくる、その仕掛けこそが作品を作品にしているのだと思う。

(2)ツアー・パフォーマンスについて
 現実とは距離を持った「リアル」による「安心感」に包まれたインスタレーションとは一転して、ツアー・パフォーマンスは「現実」に引き込まれる。
 内容としては個室ビデオ店からの避難訓練。渡された地図に従って目的地に向かうというもの。目標時間は10分。避難経路は西口公園のステージ上の特設ドアをくぐり、東京芸術劇場小ホール前、地下鉄池袋駅構内Echikaの中を抜け、地上への階段を上り、ある建物へ向かうというもの。今になって考えてみると、外界への避難経路として一度外界に出ているにも関わらず、また地下に潜っていくというのは外界からの避難経路というイメージが重ねられていたからなのであろうか。
 個室ビデオ店内、緑の避難誘導のマークを持った扉から外へ出ると、そこは池袋西口公園。先程まで個室ユニットで鑑賞していた映像の現場である。個室ユニット内で保たれていた様々な距離から生まれる「安心感」は一気に去り、個室ユニットに入る前には感じなかった不安にも似た感覚に襲われる。まるで誰かに見られているような。すれ違う人の中にさっき映像で見た人がいるのではないかという恐怖にも似た高揚感、誰かと目が合うと自分がその人に知られているような感覚(当然知り合いでもなんでもない人なのだが、何故かそのような感覚があった)何か起きるのではないかとちょっとした期待と不安にさらされながら、チェックポイントの黄色と赤のマークを辿り歩いていく。手元の地図とあたりをキョロキョロ見回す姿は、端から見たら道に迷った人のようで滑稽だったのかもしれない。しかしその道に迷った人は避難経路をたどり、避難場所へたどり着こうとしているというのは、この作品の視点から見ると面白い感じがする。必死で探し出した避難場所は個室ビデオ店。そこには様々なものからの距離があり、「安心感」がある。ひょっとしたらそんな日雇い派遣労働者たちもいるのかもしれない。
 そんな想像とは違い、たどりつく先はマクドナルド横のなんとも雰囲気のある雑居ビル。エレベーターで3階に上がれとの指示があるのだが、そのエレベーターもなんとも雰囲気があり、この先どうなるのかという期待と不安が高まる。大きな揺れとともに3階に到着すると、黄色と赤のロゴマーク。店内に入っていくと、薄暗い空間とその先にはガラス越しに仕切られた空間。マジックミラー越しに見えるマクドナルドの店内でくつろぐ人の中から1人を選んで会話が出来るという出会いカフェである。インタビュー映像の中でされていた「風俗店で働く人をどう思いますか?」という質問が脳裏をよぎり、一方的に鑑賞していた「リアル」に巻き込まれたような感覚になる。マジックミラー越しの人の中から一人を選び、個室に案内される。個室内にて着席するや質問が始まる。先程のインタビュー映像で池袋西口公園の人々がされていた質問である。完全に「リアル」に巻き込まれている、と感じる。それは悪い意味ではなく。と同時に先程まで期待とともに高まっていた不安が解消され「安心感」が生まれた。自分とは距離のあった「リアル」と今目の前で起きている「現実」とが繋がったからなのかもしれない。
 インタビュー映像と同様、いくつかの質問に答えたあとは雑談。しかし初対面にも関わらず、雑談が弾んだのは不思議なものであった。もちろん出会いカフェの方々の力もあるかと思うが、その前に経験したことの反動としての高揚感が会話を弾ませたのかもしれない。
 時間がきたことを告げるアナウンスが個室に流れ、個室を出た窓辺の空間に案内される。そこからは西口公園のステージ上の、先程通った特設ドアが見える。今日の出会いの記念に、ということでその特設ドアに明かりが灯る。この『個室都市 東京』という作品を通して、唯一といえるかもしれない演出されたもの。しかし「リアル」が続く中にその演出されたものが提示されることに不快感はなく、むしろ感動を覚えた。それは「リアル」というものと「現実」の境界線が取り払われ、ひとつの「体験」となったからなのかもしれない。


 一方向的な距離のある「リアル」→「リアル」が「現実」に迫る→「リアル」に巻き込まれる→「リアル」と「現実」との境界線が取り払われる、という過程を経て、ひとつの「体験」をするという『個室都市 東京』。まさにインスタレーションであり、「リアル」というある種の虚構性と「現実」とを兼ね備えた優れた作品だと私は思う。