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FM3『Buddha Boxing』  Photo: Ray Fung

FM3(ジャン・ジエン、ラオ・チャオ)へのインタビュー はこちら→

 文:五十嵐 玄

小春日和に誘われて、窓を開けて掃除をしていると、部屋の片隅で小さな青い紙の箱を見つけた。中華街あたりで売っている土産物が入っているような素気ない箱。なんと“Buddha Machine”ではないか。たしか初代機のはずだ。試しに電源を入れてみると、はじめのうちはプツプツと苦し気なノイズを発するだけだったが、やがて本体に仕込まれているスピーカーが懐かしいドローンの響きを奏で始めた。

■“Buddha Machine”を生んだ<FM3>のパンク+DIYスピリット

中国・北京を拠点に活動する電子音楽ユニット<FM3>。ユニット名よりも彼らが開発した“Buddha Machine”というガジェット機の方が有名かもしれない。2005年初頭に最初のヴァージョンが世に出され、以来約2年ごとのヴァージョン・アップを経て、現在は“Buddha Machine5”が発売中である。熱心なファンのあいだでは、全ヴァージョンをコンプリートで所有するのが流行っているらしい。実は1号機発売の当初は、作者である<FM3>についての情報が少なく、なんとなく中国の二人組が作っているという程度にしか知らなかったのだが、米国出身のヴィラン(Christiaan Virant)と、中国のジャン(Zhang Jian)、この2人が<FM3>の正体である。(スタート時は3人だったから、こんな名らしい。) このガジェットをどう位置付けたらよいのだろう。音源ソフト? 新しい楽器? ゲーム機?

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Buddha Machine

“Buddha Machine”は、およそタバコ箱くらいのプラスチック製の小箱である。本体には電源スイッチを兼ねた回転式ヴォリュームと音源を切り替える小さいスライド・スイッチがあるだけ。(“Buddha Machine2”以降は、ピッチ・コントロール機能が追加された。)“Buddha Machine 1”には予め9種類の異なるドローン・ループ音がプリセットされており、スライド・スイッチの操作で再生される音源を順次切り換えることができる。ピアノやストリングスの響きに近いものもあるが、特定の楽器の音ではなく、模糊としたヴェールを被ったような優しい音ばかりだ。どのループ音源も、窓の外から聞こえる町のざわめきや、鳥の鳴き声と不思議に溶け合って聞こえる。この優しいドローンを基調としたサウンドは、“Buddha Machine”のずっと変わらない特徴である。
本体前面のスピーカーは、まったく非力なものだが、置く場所や、置かれた向きによって微妙な変化が生まれる。iPhoneで音楽を聴くと、置く場所によって聞こえ方が変わるが、その感じを想像してもらえばよいだろう。スピーカーは1つなので、音は当然モノラルだが、置く向きや場所によってステレオ的な音の虚像が生まれるのである。このあたりが、いつまで触っていても飽きない理由のひとつだ。

部屋の掃除をサボっているわけにもいかないので、適当に音源を選んで、しばらく鳴らしっ放しにしておくことにした。 部屋の中で立てる音や、外から入り込む騒音に、“Buddha Machine”から流れる音が重なると、なんとも心地よい響きに変化する。紅茶にレモンを1滴垂らすと複雑な苦みや香りが一層広がるような感じ、と言ったらよいだろうか。小さなブッダマシーンのスピーカーが発する音に耳を傾けても良いし、その音の存在を忘れて意識と無意識の間を行ったり来たりするのがまた心地よい。こうした聴き方の自由さは、アンビエント・ミュージックの特徴でもある。“Buddha Machine”をアンビエント音楽の創始者ブライアン・イーノがまとめ買いしたというのも頷ける話だ。

<img_5378FM3>は、別に匿名性をまとったユニットというわけではない。ただ、彼らの“Buddha Machine”の音には、押しつけがましい表現主義が存在しないだけだ。
ヴィランは、もともと中国文学を研究していたが、80年代中頃より中国や台湾に在住し、ジャーナリスト、大手の通信社の支局長として十分成功していたらしい。アメリカ中部に育った彼だが、10代の頃にはアメリカの西海岸のアンダーグラウンドなロック・シーンに接していた。あるインタヴューでは、インドのラーガを勉強していたとか、Black Flagに代表されるようなパンク的、DIY的なバンドのライヴに通っていたと語っている。同じコードを延々と繰り返すような、重量系ミニマルとでもいう音楽に接していたことは、<FM3>の音楽に影響していると見て間違いない。やがてジャーナリズムの世界からドロップアウトした彼は、ラップトップ・コンピューターを操つるDJ、ハードコア・バンドのミュージシャンとして、北京を中心に活動するようになる。
一方のジャンは中国人。90年代中国のロック・シーンにおいて、ベーシスト或いはエレクトロニクスのミュージシャンとして無数のバンドに参加していた。90年代初頭の中国では、ギター・アンプさえ手にいれるのが容易ではなかったといい、それが“Buddha Machine”にいたるDIY精神を培ったのかもしれない。当時彼は、ヘヴィなパンク・ロック系の音楽をやっていたようだが、ヴィランは、ミニマルな単調さを貫こうとする彼のプレイの特徴に注目していたという。
2000年代初めにこの2人は<FM3>で合流するが、当初3人だった頃は歌詞やメロディのある、いくぶん古風なヘヴィ・ロックをやっていた。やがてヘヴィ・ロック系のギタリストがバンドを去って2人になると、彼らはそれまでのプレイ・スタイルを変化させる。“Buddha Boxing”と銘打った2年間のライヴ・ツアーの後、それまでいつもステージに積み上がっていたPA機材に別れを告げ、より小さい音へと転換するのである。(“Buddha Boxing”というパフォーマンスのタイトルは、今も使われている。)
ロックには多くのスタイルがあるが、アメリカのドローン系のロックもシカゴ・ハウスもヨーロッパのテクノも、基本的には轟音に支えられた音楽スタイルであった。北京の音楽シーンも発展を遂げ、機材の調達も容易になり、クラブ・シーンも形成され、より大きい会場で演奏できるようになったにも関わらず、なぜ彼らは“Buddha Machine”のような「小さい音」へと転換していったのだろうか。

2002年ローマで開催された「Dissonanze Festival」に出演した際には、まだラップトップ・コンピューターを使ったヘヴィ・ドローンをやっていた。しかし2004年にルーヴル美術館のオーディトリアムでライヴ・パフォーマンスを行った後、半年ほどヨーロッパに留まり、多くの実験的ミュージシャンと交流したことが変化のきっかけのひとつになったのではないだろうか。ヨーロッパでは、実験音楽のミュージシャンや愛好家が、町や国ごとに親密なサークルを形成している。またStaalplaatのようなレヴェルの高い実験音楽専門CDレーベルもあり、リリース活動を通じて世界にネットワークを広げていた。それらは当時の中国には存在しないものであったに違いない。北京に戻った彼らが、自分たちの音楽を共有できるツールとして行き着いたのが、この“Buddha Machine”だったのではないだろうか。

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Photo:Oyama Hitomi

“Buddha Machine”1号機が世に出たのは2005年だが、実はこの時期は人々の音楽消費スタイルに大きな変化が生まれた時期でもある。CDの売上減少には歯止めがかからず、ネット空間を音楽データが飛び交う。そのいっぽうでアナログ・レコードやCDが、DJによって加工されつつ演奏されるスタイルが定着。楽器とも機材ともつかないターンテーブル機器の普及によって、音楽の再生と演奏の境界が消滅していった時期なのである。2007年には音楽再生機能を備えたiPhoneが出現。(“Buddha Machine 2”の発売がこの年である。) 今では、iPhone用の“Buddha Machine”アプリも存在するが、やはり“Buddha Machine”の魅力は、あの安っぽくも愛らしい「箱」にある。そこから出てくる音もチープに聞こえるが、ヘッドフォンで聴いてみれば、どのトラックも実に丁寧に作り込まれていることがわかる。初心者用の安物のキーボードのような、音源の質の悪いデジタル機器は、どれほど多くの音種が組み込まれていても、面白いのは最初のうちだけで、1時間もしないうちに「音」に飽きてしまうものだ。

■ドローン・サウンドの無限生成と「聴き出し」による「表現」の消失

“Buddha Machine”には、8~9トラック(長尺の“Buddha Machine4”は4トラック)の音源が仕込まれている。各トラック、5~40秒程度の音響のループが自動的に再生されるだけの単純な機器だ。もちろんその音を聴いているだけでも楽しいのだが、本領は複数台を同時に鳴らして、音響ループの微妙な重なり合いの変化を楽しむことであろう。彼らが通常ステージで使うのは7台というのが基本形。テーブルにそれらを並べて2人(それ以上でも良いのかもしれないが)で、カードゲームをするように一手ずつ交互に、1台のヴォリューム、トラック、ピッチを変化させて静かにテーブルの上に置いてゆく。ひとつひとつのマシンからは、1つのループ・サウンドが流れ続けるが、他のマシンのループ音と同期することはないため、やがて複数のマシンから再生されるループ音のレイヤーがモアレを形成しながら無限に変化を続けてゆくことになる。シンプルな音のパターンの自動的進行が結果として響きの無限的生成を生むというのは、初期ミニマルのテープ音楽の代表的手法でもある。しかし、“Buddha Machine”には、それ以上のマジックがある。

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Photo:Oyama Hitomi

<FM3>の“Buddha Machine”によるライヴ・パフォーマンス(“Buddha Boxing”)は、ステージ上で行われるゲームのようにも見える。だが、このゲームには勝者も敗者もいない。プレイするのに特別な訓練は必要ないし、初心者と達人との違いもない。プレイヤーは、簡単に聴衆と交代することさえできる。(実際に彼らのライヴでは良く行われているらしい。) そもそもプレイヤーは同時にリスナーでもある。「見ている人を見ることはできるが、聞いている人を聞くことはできない」という有名なアフォリスムは蒸発する。再生と演奏の境界がないというのは、構図としてはターンテーブルと同じだが、DJはレア・トラックをディグし続けなければならないし、スクラッチやミックスの訓練だって必要だ。クラブDJは、フロアの客のためにプレイし、客はグルーヴを待っている。役割を交代したり、共有することは不可能だ。

さて、私の部屋には、小さく“Buddha Machine”の音が流れ続けている。じっくりと耳を傾けても良いし、無意識すれすれに周囲の音に埋もれてしまってもよい。我々の耳には、瞼のような蓋やレンズがない代わりに、多くの音の中から小さな音を聴き出すことができる。音の微細なソノリティを聞き分けるこの機能は、川音や草木のそよぎの中でも、獲物が身構えて立てる小さな音を聴き出したり、自分を獲物にしようとする敵の気配を聴き取ったりするための生存の機能の名残なのだ。デジタル音源や電気変換された音は、この機能を麻痺させてしまう。テレビ・ドラマの中の携帯電話の着信音が、自分の胸ポケットの中の着信音と奇妙なほど区別がつかないのも、このことによる。“Buddha Machine”がデジタル機器であるにもかかわらず、この聞き分けの機能を発動させるのは、スピーカーの振動が、筐体や置かれた台を通してアコースティック性を再び獲得するためである。アコースティック・レヴェルに復帰した“Buddha Machine”のレイヤーを、われわれの耳は、自在に焦点を合わせて聞き取ることができるのだ。そしてその機能は、「小さい音」にしか決して発動しないのだ。

<FM3>の“Buddha Boxing”は癒しのサウンド・パーティのようにも見えるが、実は「聴き出し」という聴覚の本能の再生でもある。(ほとんどのアンビエント・ミュージックは、癒しの効能しかもたず、怠惰な聴取を助長するだけに終わってしまう。)彼らの「小さい音」は癒すと同時に、聴覚本能を目覚めさせてくれる。“Buddha Boxing”からの帰り道、街の音はわたしたちの耳にどのように聞こえるだろうか、実に楽しみだ。

 


FM3 『Buddha Boxing』

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中国の伝統楽器とデジタル技術を融合させたアンビエントミュージックで、世界的に注目を集める電子音楽ユニットFM3が来日。中華仏教圏ではおなじみの自動念仏機(唱佛機)をアレンジしたオリジナルのループ再生機「ブッダマシーン」を使ったライブパフォーマンスを行なう。
小さな箱形のブッダマシーンを並べたテーブルに向かい合って座るFM3の二人(ジャン・ジエンとラオ・チャオ)。内蔵されたオリジナル楽曲の切り替えや音量、ピッチの調整に加え、本体を立てたり、倒したり……。ボードゲームを囲むような静かなパフォーマンスが、音と音とが重なり合う豊穣な空間をつくり出す。

詳しくはこちら→

会場:あうるすぽっと ホワイエ

日程:12/2(金) 19:30 12/3(土) 15:00 チケットはこちら→

 

五十嵐 玄 (いがらし げん/音楽ライター)

1961年生まれ。大学卒業後、画廊勤務を経て、美術書店「アール・ヴィヴァン」及び「ナディッフ」にて、現代音楽を中心としたCDの輸入・販売を行う。音楽関係の出版社を経て、現在は音楽ライター。雑誌『ユリイカ』、タワーレコード「intoxicate」、CDライナー等に執筆。音楽配信サービスの選曲なども行っている。

 

 


FM3インタビュー      ── ジャン・ジエン、ラオ・チャオ

インタビュー・文:小山ひとみ

 ──お二人は、個々に音楽家としても活躍されていますよね。FM3は二人にとって、どのような存在なのでしょうか。

ジャン 私にとってのFM3というのは、私の音楽人生において最も重要な活動だと思っています。FM3の17年という歴史は、私たちのこれまでの成果を表しているのではなく、呼吸することの重要さを教えてくれたと言えます。

ラオ FM3は私にとって、己を超える道具のようなものですね。

──FM3が活動を開始し、今年で17年経ちますが、その間にもさまざまな変化があったと思います。

ラオ そうですね。まず、私たち二人も、「若者」から「中年の男性」になりましたし、FM3の音楽も年齢に合わせて、どんどん成熟していると思います。中国の音楽マーケットで言えば、「子供」からとても勢いのある「青年」になったと言えます。FM3結成時は、北京には20くらいしかバンドやグループがいなかったのに、今では北京だけでも数百はいるんじゃないかな。

──ブッダマシーンは、購入した人が自由に遊ぶことができますね。ブッダマシーンを使ってライブをする重要性をどう考えていますか。

ジャン 私たちはずっとライブを大切にしてきましたし、自分たちの音楽を演奏することが好きなんです。世界で一番静かな音楽なんじゃないかな。今回のライブで、観客のみなさんは、私たちFM3の音楽とブッダマシーンがどのように循環し合うのかを目にすることになるでしょう。リラックスしたFM3の二人が楽しんで作った真剣な音楽です。イマジネーションというのは、自由です。観客の目の前で、私たちのイマジネーションを形にしたいと思っています。

ラオ 「ライブとはすなわち交流である」と思っています。

──FM3はこれまで、私が知る限りでも、お寺や美術館のホワイトキューブやオフィスなど、ライブハウス以外の場所でライブをしてきましたね。ライブの場所に対しては、どれくらい許容範囲があるのでしょうか。

ジャン 今のところ、ライブができない場所には出会ったことがないですね。ライブハウス以外では、教会、お寺、道場、プール、温泉、サーカス場、農場、病院、特別支援学校、動いている電車の中、駅構内、SMクラブなどでライブを行ったことがあります。耳があって、音楽があって、ブッダマシーンに電池が入っていて、FM3がいて、ブッダマシーンをオンにすればライブになります。光、煙、色、一つの文字、一つの料理、それらに対しても、ライブの可能性を見出せるのです。

ラオ 楽器があって、空間があって、観客がいればライブはできますよ。

──フェスティバル/トーキョーは、パフォーミングアーツのフェスティバルですが、今回、公演オファーを受けたのはなぜですか。依頼を受ける上での条件はありますか。

ジャン 断る理由がないですよね。フェスティバル/トーキョーのことは、よく知らなかったのですが、でも、舞台を愛する音楽家やアーティストなら参加したいと思うんじゃないでしょうか。本当は、私たちは今年一年を冬眠年にしようと思っていたのですが、最終的には年末は日本に捧げることにしました。以前、私もラオ・チャオも個々に日本に来たことはあったのですが、今回はFM3にとって初来日、初ライブになります。今後は、大規模な日本ツアーを計画しています。条件のことは気にしていません。FM3がブッダマシーンを楽しんでくれている人たちによく言っている「音を小さくすればするほど、心地よくなる」、この一言のように、制限があればあるほど、特別なものにできますし、思いがけないことが起これば起こるほど、記憶に残りますよね。

 


 

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Photo: Ray Fung

FM3 電子音楽ユニット

ロックミュージシャンのクリスチャン・ヴィラン(通称ラオ・チャオ)と、キーボーディストのジャン・ジエンによる音楽デュオ。中国における電子音楽のパイオニアとして知られている。中国の伝統楽器と現代のデジタル技術を融合した瞑想音楽を創作。クリスチャン・ヴィランは、80年代に伝統音楽を学ぶためアメリカから中国に渡り、1999年からはFM3として北京を拠点に活動している。2000年代初頭からヨーロッパで活躍していたが、世界的に知られたのは、ループ再生機「ブッダマシーン」。ニューヨークタイムスは、「2005年のベストミュージックリリースの一つ」と紹介。ワシントンポストでは、「至福の音楽」と評された。ブッダマシーンの開発だけでなく、映画やテレビ番組、マルチメディアアート展での音楽製作など、世界中で幅広く活動している。USマガジングルーヴでは、「中国で最も重要で実験的な活動」、UKマガジンでは、「瞑想的」「心地よい」「魅力的な親しみやすさ」と評されている。

FM3 『Buddha Boxing』公演情報はこちら→