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「現在」を語るために。言語の更地から、ふたたび始める

言葉

演出:村川拓也 [ 日本 ]
11月8日(木)~ 11月11日(日) 東京芸術劇場 シアターイースト

本プログラムについて

公募プログラムで脚光を浴びた村川拓也、主催プログラムで新作に挑む

 F/T11公募プログラムで上演した『ツァイトゲーバー』で注目をあつめた村川拓也が、F/T主催プログラムに初登場。障害者介助の現場における、介助者と非介助者の関係を、俳優と観客の身体を用いて表出した前作。障害と舞台芸術のはらむ答えなき問いに、舞台と観客の関係性をもあらわにし、話題をさらった。
 その村川が本作で取り組むのは、「言葉」についての会話劇である。

震災以前、震災以後、演劇を通して探る言葉の行方

 東日本大震災以後、震災に関するドキュメンタリー映画の制作を行ってきた村川は、被災地でさまざまな人のインタビューを行ううちにある疑問・違和感に突き当たる。どんなに話を続けていても、何か全てが伝わってきていないという感覚。それは相手の言葉だけでなく、自分の言葉にさえも欠落を感じるという経験である。欠落は震災以降のものなのか、それとも以前から私たちの中に存在したものなのか。
 言葉によるコミュニケーションの裏側で、脈々と受け継がれてきた沢山の共有事項。それはかつて目の前に当たり前に存在していた、国や都市、家族や友人、そして自らの存在であった。しかし、それら不動であると信じていた物事が、一瞬にして目の前から消え去ったとき、果たして私たちはそれぞれに寄り添っていた「言葉」を、以前と同じように発することができるのだろうか?全く状況の変わってしまった物事や人に、私たちは同じ言葉を投げかけ、対話を続けることができるのだろうか?3.11から日がたつにつれ、この問いは震災と原発事故により影響を受けた私たち一人ひとりに向けられる。現在持ちうる言葉では、目の前の出来事を表現できない実感、言葉のもつ限界に向き合った村川は、演劇を通して私たちの言葉の行方を探し始めるのである。

「対話」の獲得に向けた、会話劇の実験

 村川はこれらの問いについて、「震災によって一旦言葉がリセットされた」という仮説を立てる。はたしてそのような世界の中でどのように言葉を獲得し、どのように対話を始めることができるのか?
 舞台上には被災地を旅してきた俳優たち、俳優の言葉を訳す手話者と要約筆記者がいる。村川は個々が独自に持つ会話の方法を通して、会話とは、言葉とは何かという問いに立ち帰ろうとする。ぎこちなく噛み合わない言葉のやり取りから、観客は出演者と共に、まるで人間が初めて言葉を発見した時のような感覚を共有することになるだろう。「言葉」の限界を超え、今を語るための「対話」の獲得に向けた挑戦が始まる。


創作ノート

民俗学者・宮本常一の文章のおもしろさは、書かれた言葉とそれを読んでいる時の自分の想像との間に、常に距離を保ち続ける事だと思う。代表作の『忘れられた日本人』は当時誰も行かなかった場所、誰も見なかった物や人に焦点をあて、繊細な観察力で書かれた文章であるが、どうしても本当に宮本常一が見たであろう、書かれる前の事柄(風景や人の印象)との差異にばかり気をとられてしまう。もちろん宮本常一が見たであろう事柄、というのは読んでいる自分が勝手に想像しているだけの事だけど、民俗調査というのは現実の調査なわけで、当時の現場への想像力がかき立てられてしまうのは仕方がないことだ。書かれる前の事柄を意識しながら読み進めることは、不安定ではあるがおもしろくて、言葉の広がりを感じることができる。同時に、言葉の限界に気付かされる、とも言える。

震災後、ドキュメンタリー映画の撮影で被災地に立って風景を目の前にした時には、言葉が詰まった。言葉が詰まるというのは言葉が無いということで、言葉が無いという事態は目の前の風景を在ることとして認識できないということなのか、圧倒的に在るという認識なのか分からなかったけれど、なんであるかという判断が一瞬停止した。しばらくしてふつふつと何か(言葉のようなもの)は浮かんではきたが、とりあえずという感じだった。被災者へのインタビューでは、話される内容の半分ぐらいしか理解できず、残りの半分は意味が抜け落ちていくような、言葉の意味の量が狂ってしまっているんじゃないかと思えた。

今回の演劇作品は二人の出演者と共に、更地になった被災地を見に行くことから始まった。旅先では二人とはできるだけ何も話さずに過ごす事に務めた。感傷のために、又は感傷に浸るためにそうしたのではない。ただ目の前のものを見て、言葉が生成される過程とそれを発語する瞬間を大事にしたいと思ったからだ。
帰ってきて、稽古場で話された二人の言葉はみごとにつまらなかった(自分も含めて)。誰も分かりやすい説明ができていないし、本質を突くような言葉は一つも出てこない。でもこれは、震災を問題にしたときに限った出来事ではない。例えば誰かと映画を見に行って、お互いの感想を交わすときにいつも感じていたあの徒労感の事ではないだろうか。印象や事柄を言葉にする時に必然的に生じる言葉の限界は、震災以前から現実にあった事だ。震災によってこのようなことが即効的に明確になり、身につまされただけの話かもしれない。もしくは、ようやく作品化できるチャンスを得たということだけなのかもしれない。なぜなら、実は震災の前年からこの作品の構想はあって、実際に稽古を始めていたからだ。
震災以降、「何がどうなってしまったか」ということはいろいろなところで聞くけれども、「何なのか」ということはほとんど聞く事は無い。この「何なのか」という問いに自分なりの言葉の使い方で答えたい。その答えは震災の総括のためではない。震災を契機にした演劇の言葉のあり方を探るためだ。
この作品は言葉の実験であり、会話劇である。かつて人間がはじめて言葉の使い方を覚えて、会話が発生したときの情景に似ていたらすごい。

村川拓也