完全避難マニュアル 東京版

作品について

『個室都市 東京』から一年、次なる舞台は山手線

ツアー・パフォーマンスやインスタレーションなど、現実の都市、社会の記憶や風景、メディア等を引用し再構成する手法で、国内外から大きな注目を集めるPort B。F/T09春では『雲。家。』『サンシャイン63』を再創造・同時再演し、続くF/T09秋では、インターネットカフェ、個室ビデオ店、出会いカフェなど既存の風俗産業の形式を引用しつつ、都市における不可視な「個」の存在と、その出会いの形式を演劇作品として提示した『個室都市 東京』を発表し、大きな話題を集めた。

新作『完全避難マニュアル 東京版』は、JR山手線の各駅周辺29ヶ所で展開される予定。各駅周辺の都市空間の中に、任意の「避難所」を設定し、東京の時間を刻む都市の不可視なコミュニティと観客が出会うシステムそのものを構築する。インターネット上から、観客を都市の現実へと接続していく、脱・演劇的な試み。

新たなる出会いを設計する、演劇的アーキテクチャ!?

観客が、ネット上の所定のURLにアクセスすると、その瞬間からまるでゲームが始まるように、作品体験が始まる。観客がウェブサイトから分岐型インタビューに参加すると、自分に最もふさわしい「避難所」の最寄り駅が表示され、本人が望みさえすれば、観客はその「避難所」を実際に訪問することが出来る。そこで出会うのは、日常生活の中ではなかなか接することのないコミュニティに生きる人たち。「誘導アーキテクチャ」として設計されたこのシステムによって、ネット環境さえあれば、どんな場所からでも観客はこの作品に参加できることになる。

観客が訪れる「避難所」での体験の集合は、何らかの形で可視化されることも構想されているという。都市の中に潜む「避難所」とは、私たちがよく見知ったあのファミレスやカラオケボックス、インターネットカフェ、あるいは自殺相談所や占いの館かもしれない......?

都市の現実における、不可視のコミュニティ

タイトルの『完全避難マニュアル 東京版』は、1993年に出版された「完全自殺マニュアル」(鶴見済著)からインスパイアされたもの。ここには、現代社会においていかに私たちは「避難」しながら生き続けることができるか、という切実なメッセージも込められている。その問題意識の多くは、『個室都市 東京』、横浜での最新作『赤い靴クロニクル』から引き継がれている。キーとなるのは近年のPort B作品の題材となってきたホームレスや、在日アジア人、そしてネットカフェ難民やマクドナルド難民、ワーキング・プアといった都市のマイノリティの存在。彼らの目線から改めて都市を読み込み、彼らの、そして私たちの「避難所」を再発見していく過程で、東京のもう一つの姿が浮かび上がる。観客は、都市にひそむ多様なコミュニティや個人と出会うことになるだろう。

演出ノート

『完全避難マニュアル 東京版』ノート

高山 明

特に海外から東京に帰ってきた時など、山手線に乗るとほとんど1分おきに来るかのようなダイアグラムと、それを正確に守って走る山手線に改めて驚嘆させられる。東京29駅を一周するこの電車は、混雑していても必ずどこかの駅で座れるし、夏は涼しく、冬は暖かいので、眠りが足りないときは昼寝の場所に、読書をしたいときは図書室に、あるいは単に暇を潰すための時間に利用していた。おまけに約1時間で一周してくれるので、時間管理という面からも大変便利なのである。次の約束まで2時間あるとしたら、2周すればちょうどぴったりといった具合。僕にとって山手線は「東京の時計」であり、その正確さや便利さこそ「東京の時間」であった。

それが何年か前から狂い始めている。昼寝をしながら時間管理も出来るような「時計」としては機能しなくなってきた。頻繁に止まるので正確な「時間」が見込めないのだ。どこかの駅で起きた「人身」の影響で動かなくなった車内、その場の空気を支配するのは、誰かの死を想像することより、ともすると「東京の時間」が遅れていく(進んでいく?)ことへの焦りや苛立ちだったりする。それが僕を含め、生き残っている者達の現実/時間であることは確かなのだが、自らの生とともに「東京の時計」を止めた人は「東京の時間」をどう感じていたのだろうか、などとつい考えてしまう。「東京の時間」から遅れてしまった人、必死についていこうとした人、それをやめたかった人、とめたいと願っていた人・・・を勝手に思い浮かべる。そして車内に「取り残された」"わたし"や"あなた"の多くもまた、「東京の時間」を守ろうと苛立ち、それに追いつこうと携帯電話で連絡を取りはじめるのだ。こうなるとどっちもどっちという気がしてくる。

他方で、「東京の時間」などには頓着せず、あるいは狂いはじめたところを深めているような人達もいる。『個室都市 東京』(F/T09秋)を作る過程で出会ったホームレスの人達、そして前作『赤い靴クロニクル』に出演してもらったアジア系外国人の人達がそうだった。彼らは、これまで僕が見聞というレベルでも体験したことのないようなコミュニティを作っていた。もちろんそこには様々な問題があり、ぎりぎりのところで生きているというのが実際なのだろうが、それでも肯定したくなる豊かさと強さと明るさが彼らにはあった。自分よりも苦しんでいる人達がいる、自分より悪い状況を生きている人達がいる、とかいうようなネガティブな理由ではなく、彼らとの出会いは強烈だったし、単純に魅力的だったのである。その生き方は日常ではほとんど触れることのできない、隙間のような「時間」を僕に垣間見せてくれた。それは一つではなく、いろいろな「時間」であり、どちらかというと無為で、ほとんど取るに足らないものなのに、だからこそ豊かに感じられた。この様々な「時間」を「避難所」と捉え、そこから東京を見るとどんな風に見えるのか? 普段と違った東京を体験できるのではないか?

このプロジェクトでは山手線全29駅近辺に一箇所ずつ「避難所」を設け、観客は参加者となってそこを訪問する。多くの"わたし"や"あなた"が生きようとしている「東京の時間」と、それぞれの場/コミュニティに流れる様々な「時間」を出会わせることができればと考えている。その出会いから何が生まれるかは分からない。今回は敢えてシステムだけを作り、あとは参加者に自由に使ってもらう道を選んだ。参加者はそうした場/コミュニティを訪ねたり、そこで新しい人間関係を作ったり、更には複数の場/コミュニティを移動することでそれぞれを繋いでいったりするかも知れない。こうしたネットワーク自体が新たな場/コミュニティとなり、東京にいろいろな「時間/避難所」が生まれてくればいいなと思う。

『完全避難マニュアル 東京版』に関わるにあたって

――〈他者〉と出会うためのアーキテクチャを設計すること

濱野智史

今回、高山明氏の『完全避難マニュアル 東京版』に、情報環境の構築面で協力させて頂くことになった。そこで筆者が狙いとしたいのは、ひとことでいえば、〈他者〉と接触するための「誘導アーキテクチャ」をいかに設計するかにある。

それはどういうことか。誰もが知るように、いまやインターネットは私たちの生活のすみずみに浸透し、あらゆるコミュニケーションを支えるようになった。いまや人々は検索エンジンであらゆる情報を望みどおり得ることができるし、掲示板やブログやTwitterを通じてあらゆる「趣味の共同体」にアクセスすることができるようになった。

しかし、そこにはありていにいって〈他者〉がいない。ウェブは莫大な人々の欲望を栄養分として、またたく間に成長し、無数の根を伸ばしていく。ウェブ上のあちこちで、人々は似たもの同士で身を寄せ合い、互いの自意識をぐるぐると反射/再帰(reflect)させるだけのコミュニケーションを繰り広げている。畢竟そこはどこまでいっても〈自分〉しかいない、「合わせ鏡の迷宮」のような場所である。いまや私たちは、「自意識の球体」(小林秀雄)ならぬ「自意識の網目(ウェブ)」に絡め取られているのだ。

それでは、ウェブという広大な閉鎖空間から脱出するにはどうすればいいか? ひとまずは、簡単な解決法があるように思われる。それはバーチャルなウェブ空間からリアルの都市空間へと至ること、そして都市に潜在する他者たちと出会い、対話すること、これである。いま寺山修司であれば、これを「ウェブを捨てよ、町へ出よう」というのかもしれない。

だがもちろん、そうはいっても事は簡単ではない。現代社会は、ただパソコンやケータイを捨てて町へ出れば他者と出会えるというほど、お手軽なしくみにはなっていない。むしろ私たちは、人々を網目状に絡めとっているウェブ上のコミュニケーション・システムをたくみに組み合わせることで、いつのまにか人々が「見えざる他者」に接触してしまうような、ある種の「避難誘導路」のしかけをつくる必要があると考えている。すなわち、ウェブを捨てるのではなく、ウェブを通じていかに町へ出るのか。そのためのナビゲーション・アーキテクチャを設計すること。これが筆者の狙いである。

とはいえ、それはいささか〈逆説的〉な試みだと思われるかもしれない。なぜなら、システムに誘導されて初めて出会うような他者など、そもそも本質的に他者とはいえないはずだからだ。カントのあの有名な言葉、「他者を手段としてのみならず目的として扱え」をもじるのならば、「何らかの手段を通じて出会うような他者はそもそも他者ならず」というわけだ。

しかし、筆者が挑戦したいのは、まさにこの逆説なのである。すなわち、「他者を目的として扱うための手段を設計せよ」。これが今回筆者に課せられた命法なのだ。その逆説に立ち向かうことこそが、再帰的なコミュニケーションとアーキテクチャによる規制管理に満ちた現代社会における、新しい〈倫理〉を見出すための道なのだと筆者は考えている。

濱野智史(アドバイザリー・アーキテクト)
1980年生まれ。株式会社日本技芸リサーチャー。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了、国際大学グローバル・コミュニケーション・センター研究員を経て現職。専門は情報社会論・メディア論。特にウェブサービスのアーキテクチャ分析やネットユーザーの実態調査を手がける。2008年に『アーキテクチャの生態系』(NTT出版)を出版。同書で第25回テレコム社会科学賞・奨励賞を受賞。