F/T マガジン

インタビュー:ウー・ウェングアン(呉文光)、ウェン・ホイ(文慧)(生活舞踏工作室)

----今回、北京で拝見した新作『メモリー2:飢餓』は『メモリー』の第二章とのことですが、こちらも「記憶、回想」をテーマにしていますね。なぜ「記憶、回想」を強調するのでしょうか。

  とても大切なことだと思っているからです。一人ひとりが記憶、回想することで国民全体の記憶、またはその国の記憶を形成することにもなりますからね。

----『メモリー2:飢餓』と『メモリー』には何か関連性はありますか。

  ねらいも内容も全く違います。『メモリー2:飢餓』は、1959年から1961年に中国で起きた大飢饉時代を描いています。『メモリー』とは違い出演者の多くが80年代生まれの若者で、その時代を体験した当事者ではありません。私は若者にはぜひ積極的に「記憶、回想」して欲しいと思ったんです。ですから、彼らにカメラをもたせ、当時の体験者である自分たちの祖父母や親戚にインタビューをすることで歴史に向き合って欲しいと考えました。

  一方、『メモリー』での出演者である私たち3人は、実際にその時代を体験した当事者でもあります。育った環境など3人それぞれ背景は違いますが、文革での体験を各々が自分たちの言葉で語っています。

  ある書籍の中で「是見証、作見証」という表現がありました。「是見証」とは実際に体験した人「証人」を指し、「作見証」とは事柄を「証明する」ことを意味します。『メモリー2:飢餓』ではインタビューを受けた年配者の方々が「是見証」で、その年配者の方々とインタビュアーである若者たちがともに「作見証」の役割を果たします。

----ということは、『メモリー』での舞台上の3人は「是見証」と「作見証」両者の役割を担っているということになりますね。

  そうですね。いわゆる「証人」というのはかつてその歴史を経験した人のことで、『メモリー』では私たち3人だけでなく映像で流れる私が取材をした元紅衛兵たちのことも指します。彼らの回想を舞台上にとり込むことで「証人」となっているのです。そして、私たち3人はその歴史に介入し証明するのです。

----『メモリー』も『メモリー2:飢餓』もドキュメンタリーフィルムと演劇をクロスさせた形式で発表されています。なぜ、そのふたつの要素を一緒にする手法をとられたのでしょうか。

  ノンフィクションが演劇の中に入り、イマジネーションがドキュメンタリーフィルムの中に入り込む。その両者の作用が最大の魅力だと思っています。なぜ、このような手法をとるのか、それは中国の演劇にはリアルさが欠けていて、ドキュメンタリーフィルムにはイマジネーションが欠けているからです。

----また、おふたりは1994年から「生活舞踏工作室」として創作活動を続けているだけでなく、2005年からは「草場地工作站」を活動の拠点にして若手の育成、国内のインディペンデント作品の普及などにも力を入れています。これまで紆余曲折を経てきたと思うのですが、振り返ってみていかがですか。

  一番の変化は、「生活舞踏工作室」がよりオープンになってきたということでしょうか。活動拠点となる場を設立したことで、より多くの若い制作者や演劇を愛する人たちが参加してくれるようになりました。そして、彼らとともに作品の制作ができるようにもなりました。現実や社会と密接な関係のある作品が増えてきましたね。また、別の意味での変化もありました。「生活舞踏工作室」設立当初から関わってくれていた表現者たちの多くが離れてしまったということです。これには様々な要因があるのですが、主な要因としては、私たち「生活舞踏工作室」の創作方法などが当初とはがらっと変わってしまったということだと思います。

----「草場地工作站」では春の「五月祭(May Festival)」、秋の「交叉芸術祭(Crossing Festival)」と年二回のフェスティバルも開催されています。国内だけでなく海外の関係者との交流も密にされていますよね。

  ただ、私たちはフェスティバルを組織する上ではプロではありません。あくまでも、作り手である個人がフェスティバルを開催しているのです。ですから、何も規模を大きくする必要はないと思っています。私たちが一番関心を持っていることに焦点をあててプログラムを組む。例えば、現実と芸術の関連性についてとか、社会と文化はお互いにどのような役割を担うべきかなど。フェスティバルというよりコミュニケーションの場がつくれたらと思っています。