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作品解説 巨大なるブッツバッハ村----ある永続のコロニー

 各地の公共劇場が主体となって運営されるドイツ語圏の演劇制度では、80年代に入ると、公共劇場の外部で表現の可能性を追求するフリー・シーンが発達した。これがポストドラマ演劇と呼ばれる新しい演劇表現の土壌のひとつとなった。90年代以降は公共劇場との垣根は低くなり、現在ではフリー・シーンからキャリアをスタートする俳優や演出家も多い。マルターラーが80年代末に活躍の場をフリー・シーンから公共劇場に移したのは、この流れの典型的な例である。
 したがって演出とは言っても、マルターラーの場合は、通常の演出家の発想とはまったく異なっていた。たとえば1988年の『到着バーデン駅』は、劇場ではなく、バーゼル市内にあるバーデン駅構内で行われた。「テアター・ホイテ」誌(97年年鑑)の対談によると、駅構内でユダヤ音楽をライブで演奏し、乳母車を押す女性や本をぶつぶつ読みながら通りすぎる女性などを登場させたという。これは戦前のバーデン駅が、ヒトラー政権のドイツから亡命してきたユダヤ人の終着駅であった事実を下敷きにしている。戦争の記憶を強く喚起するパフォーマンスだった。このとき美術を担当したアンナ・フィーブロックは、以後マルターラーの舞台装置のほぼすべてを担当するようになった。今回の来日公演でテキストを担当しているシュテファニー・カープも、バーゼル時代の仲間だという。このとき以来、マルターラーのおもな仕事は、歌や楽器の演奏もたくみな俳優たち、ドラマトゥルク、美術家とのチーム作業を通して生み出されている。このチームの原型が形成されたのがバーゼルだった。

 彼の代表作について語ろう。それは、1993年にベルリン・フォルクスビューネ劇場で上演された『そのヨ−ロッパ人をやっつけろ!(Murx den Europaer! Murx ihn! Murx ihn! Murx ihn! Murx ihn ab!)-- クリストフ・マルターラーの愛国的な夕べ』という人を食ったような長いタイトルの公演である。Murx(ムルクス)の発音は、どこかカール・マルクスを思わせる。ところがこの舞台は過激なタイトルとは正反対に、ドイツ史の記憶と忘却に緩慢さの美学とでも呼べるユーモラスな表現を与えた静謐な舞台だった。フィーブロックが制作した東ドイツの待合室とおぼしき大きな室内に、11人の男女の俳優が8つのテーブルに分かれて座っている。彼らは昔のドイツの愛国的な歌や社会主義の労働賛歌を歌いながら、ブザーが鳴ると整列して舞台奥の洗面所に入り、しばらくして再び戻ってきて自分の席に座る。なんと2時間の上演時間の間、舞台上ではこの動作が繰り返されるだけ。しかしまったく退屈しない。
 それは、すべては崩壊の過程の途上にあり、この過程を止めるものは何もないかのように舞台が進んだからである。ベルリンの壁が崩壊し、ドイツが愛国心に盛り上がったのは、この公演のわずか3年ほど前。しかし社会の現実は厳しかった。破産した東ドイツを豊かな西ドイツが吸収合併する形で行われた再統一は、社会生活にさまざまな軋轢を生んだ。当時のベルリンでは、東西市民の格差をはじめとして、生活のきしみが露わだった。ところがマルターラーの舞台では、壁に貼り付けられた「時を止めないために」というかつての社会主義の進歩を示す標語でさえ、一文字ずつゆっくりと剥がれ落ちる。緩慢さは極度に誇張され、眠りこけて、椅子から転げ落ちる俳優もいたほどだ。この演出は冴えていた。彼らはゆっくり食事をとり、紅茶を飲み、繰返し歌い、遠くから聞こえてくるワーグナーの歌曲に静かに耳を傾ける。すべては奇妙に滑稽で、ユーモラスで、しかももの哀しい。上手のボイラーから、燃料の燃える音に混じって、東ドイツ国歌がかすかに聞こえてくる。その直後に俳優たちは、戦後、公には全く歌われることがないドイツ国歌の第二節を静かに歌った。ドイツにとって歴史のトラウマとも呼ぶべき終末のイメージ。それを柔らかく既視感に包み、聴覚的な官能で観客の心をとらえる。東ドイツへのレクイエムが歌われる一方で、再統一に沸くドイツ人の愛国心を皮肉る辛口の批評も入っている。ユーモアと社会批判のどちらもおろそかにしない心憎いばかりの舞台だった。
 1995年にハンブルク・シャウシュピールハウスで演出した『ゼロからの出発、あるいは給仕の技法。指導的立場にある人々のための思考トレーニング』も、再統一という大事業に進める政治家たちを徹底的に風刺する痛烈な舞台だった。フィーブロックが制作した放送スタジオ風の大きなセットのなかで、10人ほどの国家の指導的立場にある男性代議士たちが、第二次世界大戦記念式典で行う演説を練習している場面から始まる。ところが厳粛な内容を持つ式辞が、練習を重ねるうちに猥談になってしまう。