ピチェ・クランチェン

(構成・文:島貫泰介 撮影:アロポジデ 宮澤響 )

 

今年秋に開催される「フェスティバル/トーキョー18」。そのオープニングを飾るのは、昨年に引き続きタイ出身のコレオグラファー、ピチェ・クランチェンの新作だ。

  「猿」と「東京」を題材にした前作『Toky Toki Saru』では、アジア各地に伝わる舞踊法をマスターしたダンサーたちがカラフルでキッチュな衣装をまとい、観客を巻き込んでの野外パフォーマンスを成功させたが、今年も南池袋公園を舞台にした新作を発表する予定だ。だが、ピチェ曰く「詳しい内容は当日まで秘密!」とのこと。『Toky Toki Saru』は東京人の歩行にインスパイアされた内容だった。今回彼は、いったいどんなパフォーマンスを構想しているのだろうか?

 オーディションのために来日中のピチェのもとを訪ねたのは、批評家の佐々木敦。『Toky Toki Saru』に、日本では実現困難な「多様性のユートピア」を見出したと佐々木は語る。アーティストと批評家は、いかなる対話を交わすのだろうか?

「自分を知る」から「他者を知る」へ 

佐々木 まずは、昨年のオープニング作品『Toky Toki Saru』の話から始めましょう。作品を拝見して、非常に素晴らしく、とても豊かな時間を過ごしました。この対談の前に「アジアの多様性」について少しお話をうかがっていたのですが、『Toky Toki Saru』は、それよりももっと小さなフレーム、例えば日本のある場所に集まる人たちのなかに生じるものを扱っていると思うんです。ピチェさんの作品を見るために同じ時間に公園に集まった人たちのなかに、すごく幅広い多様性が表現されていると感じました。

F/T17『Toky Toki Saru(トキトキサル)』コンセプト・演出:ピチェ・クランチェン

本番映像(2017年9月30日)撮影:Takashi Fujikawa (Alloposidae)

 

ピチェ 作品自体は大きな物語を扱っているように見えたかもしれないですが、じつはその場に集まっている多様な人たちが共通のものを持っているというのがテーマだったんです。それはつまり、身体であり心・精神ですね。個々人が持つボディとマインドを、各人を結びつける共通項として考えていたのです。そして最終的に、人々が自己を見つけ直し、自己に還り、「自分自身は何なのか?」という実感的な問いに至ることを目的にしていました。
 そう考えると、新作の移民・移住」というテーマは、その延長線上にありますね。しかし今回は自己を見つめる内省性よりも、他者を見ることにフォーカスしていくでしょう。

佐々木 なるほど。新作は当日までの秘密がたくさんあるそうなので(笑)、まずは『Toky Toki Saru』を手掛かりにしていきましょう。昨年の上演で、私は芝生の上に座って一人で観ていましたが、まわりには本当に家族づれが大勢いて、子どもたちがごく自然に作品に親しんでいたのを印象的に覚えています。
 そこで考えたいのが「観客」の捉え方についてです。「フェスティバル/トーキョー」の1プログラムとして訪れた舞台好きもいれば、普段は演劇やダンスを見ない人、たまたま通りかかった人が混在していたのが『Toky Toki Saru』でした。何しろ無料公演ですし、会場の南池袋公園はリラックスした雰囲気が特徴的な新しい街のスポットでしたから。その意味でも、あの場と観客自体が豊かな多様性を体現していたとも言えるでしょう。
 これまでピチェさんは日本以外の様々な国で公演を重ねています。そこで、異なる文化における多様性をどのように考えているのか、日本における多様性をどのように受け止めたのかをお聞きしたいです。

ピチェ 南池袋公園の空間はとても重要でした。劇場は特殊な空間ですから、あらかじめどんな人々がやって来るか想像がつきます。でも、公園は家族連れや子どもなど、どんな人の出入りも自由ですから、上演中にステージ上に子どもが登ってくることもありえます。昨年は実際にそうでしたね。そのような多様な観客をどのように扱うべきかはとても大きなチャレンジでしたし、私自身も空間そのものが持つ時間や多様性について多くのことを学びました。『Toky Toki Saru』は、演劇の形式そのものについて問い直す、あるいは観劇の仕方を考え直すきっかけでした。それまで、私には「公演は夜に行うべきだ」という強い考えがありましたが、家族が訪ねやすい昼の時間の面白さやニーズに気づくことができました。
 もうひとつ重要なのがステージです。渋谷など、東京都の各エリアをシンボライズしてデザインしたことで、ダンサーやアクターが会場のいろんなところを動く自由を得られました。この作品を、演劇で当たり前とされている文化を否定するところからスタートしたと私は思っているのですが、それは作品自体よりも観客こそが重要である、という考えにも結実しています。

   

 

 

F/T17『Toky Toki Saru(トキトキサル)』(2017年10月1日) 撮影:Takashi Fujikawa (Alloposidae)

佐々木 私の見た回では、すぐそばにいた3歳くらいの子がすばしっこくステージに上がっていましたよ。最初のうちはお母さんが心配して客席に連れ戻すんですけど、何度も何度ものぼってしまうし、他の子どもたちもステージに上がっているものだから、最後には親も根をあげてしまって、その子は楽しく踊っていました(笑)。おそらくもっとも『Toky Toki Saru』を楽しんだ観客が子どもたちだったのではないでしょうか。いま思い返してみても、あの2時間は一種のユートピア的状況でした。

ピチェ それはもう、子どもたちのおかげですね(笑)。

 

変化し、移動する。アジアのアイデンティティーとは?

佐々木 昨年度のF/Tの対談記事(「市村作知雄×ピチェ・クランチェン対談 新しい人 広い場所へ」)で市村作知雄さんが(現在のアジアの若者たちにとって)「『多民族』『多様性』という言葉自体が、僕らオールド世代特有の言葉なのかもしれない」とおっしゃっていたのが印象的でした。たしかに中国系をはじめ、アジアの人々はいろんなところに移動して、世界中に散らばり、ある多様性を体現しています。しかしそれを知れば知るほど「果たして日本人にそのような多様性を実現できるのだろうか?」という疑問がわいてきます。だからこそ、なおさら『Toky Toki Saru』の空間がユートピアに感じられたわけですが、それを踏まえて、今年の新作ではどのような挑戦をするのでしょうか?

ピチェ 2度目のF/Tに取り組むにあたって、ディレクター陣から投げかけられたのは「アジアをどう考えるか」という問いでした。
 これはとても興味深い質問です。自分自身もアジア人ですが、私たちは移動を繰り返し、いろんなところに滞在しながら発展し、さまざまな変化を得ています。その過程を経ることで、異なる空気感、文化、国家そのものを何百年もかけてかたちづくってきたわけです。こういった変化は世界中のさまざまな場所で起きてきましたが、とりわけアジアは多様な要素を内包しています。例えばインドネシアとラオスを比べてみると、文化だけでなく肌の色まで違います。
 ここからはトップシークレットなのですが……私は、この古代から続く時間を有し、多様に変幻するアジアをある生き物に表象したいと思っているのです。一つひとつの器官はまったく違っているにもかかわらず、総体としては同じ存在としてある。そしてさまざまな変化にも適応して生き延びていく。そのあり方はとてもアジア的です。

佐々木 どんな生き物なのか気になりますね(笑)。

ピチェ 日本にも、ある種の特殊さがありますね。「移民」「移住」「他者をどう見るか」をテーマに設定したとき、私は今回のキャストに「ここではない別の場所から来た人」を起用したいと考えていました。今日、対談前にそのためのオーディションを行なったのですが、応募者の多くが先祖代々日本で暮らしている人たちでした。しかし外に目を向ければ、いろんな国の人々が日本に働きに来ていて、レストランのウェイターにも英語を喋れる人がたくさんいるようになりました。私がはじめて日本に来た10年前と比べると、日本にも大きな変化が起きています。

佐々木 そう思います。

ピチェ この数年で、私たちは移民や難民の問題を真剣に考えるようになりました。その思考のなかでは、しばしば外国人は外からやって来たエイリアンのように扱われます。
 しかし、本当はすべての人がエイリアンなんですよ。自分が住んでいる土地を、無前提に所有していると私たちは考えがちですが、何代も遡れば誰もがどこからか移動してきた移住者なのです。そう考えると、私たちはどんな空間も所有できないはずです。こういった思考を共有するうえで、公園は非常に適しているように思います。誰にも属さず、誰の所有も許さない場所としての公園。逆に言えば、誰もが使えて、誰もが関わることのできる場所でもある。その状況を新作ではうまくあらわしていきたいです。

佐々木 その生き物について、僕もあまり知識を持ち合わせていませんから、なおさら興味深いです。

ピチェ 例えばタイ語では腕に相当する部分を指す言葉が「しっぽ」だったりします。しかし、新作のヒントはこのぐらいにしておきましょう(笑)。
 最後に付け加えておくと「他者」というテーマには、もう一つ「もの」という要素が関わってきます。さまざまな物体を扱い、さまざまなアイデアの様相をお見せすることは、見えているものだけでなく、見えていない部分へと考えを促すことでもあります。そんな視点でも期待していただければ、と思っています。

(構成・文:島貫泰介 撮影:アロポジデ 宮澤響)

 

ピチェ・クランチェン

ダンサー・振付家。タイ古典仮面舞踊劇コーンの名優チャイヨット・クンマネーのもとで16歳より訓練を開始。バンコクのチュラロンコン大学で芸術・応用美術の学士号を取得後、舞台芸術を探究してきた。北米、アジア、ヨーロッパの各地でさまざまな舞台芸術プロジェクトに参加。フランス政府から芸術文化勲章シュバリエ(2012)、アジアン・カルチュラル・カウンシルからジョン・D・ロックフェラー三世賞(14) を受賞。近年では、『Dancing with Death』(16)『Black and White』(15) 『Toky Toki Saru(トキトキサル)』(17)などが日本で上演されている。

佐々木敦 (ささき・あつし)

佐々木敦 批評家。HEADZ主宰。ゲンロン批評再生塾主任講師。早稲田大学非常勤講師。立教大学兼任講師。 著書多数。

http://www.faderbyheadz.com
https://twitter.com/sasakiatsush

 

国際舞台芸術祭フェスティバル/トーキョー18

フェスティバル/トーキョー

名称: フェスティバル/トーキョー18 Festival/Tokyo 2018
会期: 平成30年(2018年)10月13日(土)~11月18日(日)37日間(予定)
会場: 東京芸術劇場、あうるすぽっと、南池袋公園ほか

フェスティバル/トーキョー(以下F/T)は、同時代の舞台作品の魅力を多角的に紹介し、舞台芸術の新たな可能性を追求する国際舞台芸術祭です。10周年、11回目の開催となるF/T18は、2018年10月13日(土)~11月18日(日)(予定)まで、国内外のアーティストが結集。F/Tでしか出会えない国際共同製作プログラムをはじめ、野外で舞台芸術を鑑賞できる作品、若手アーティストと協働する事業、市民参加型イベントなど、多彩なプロジェクトを展開していきます。

タイの伝統芸能と現代性が共存した強靭な身体で、舞台芸術の枠組みを革新し続けるタイ人振付家ピチェ・クランチェンは、昨年の『Toky Toki Saru(トキトキサル)』に引き続き、フェスティバル/トーキョー18オープニングで新作の野外公演を手掛けます。

共催:国際交流基金アジアセンター(予定)

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