2011年の震災と原発事故から5年がたった。震災と原発事故直後の混乱と不安のなかから「未来は私たちの手で」をスローガンに手探りで始まったプロジェクトFUKUSHIMA!の活動は、当事者の表現としてどんな可能性を今探っているのだろう。2014年から毎年F/Tのオープニングを飾った『フェスティバルFUKUSHIMA!@池袋西口公園』が、3年目の今年で区切りを迎えるにあたり、映像作家・現代美術家の藤井光氏と、プロジェクトFUKUSHIMA!の代表、山岸清之進氏が、5年前の福島から遡って未来を検証する。

a8iw_9733文・坂口千秋 撮影・岩橋仁子

2011年8月15日のフェスティバルを終えた時、みんなこの1年で終わるわけにはいかないと思ったけど、どういうかたちで続けたらいいのかはわからなかった。

藤井 2011年、僕はプロジェクトFUKUSHIMA!の映像ドキュメンタリーを制作しましたが、その後の活動は追っていませんでした。2014年にF/Tで久々にプロジェクトFUKUSHIMA! の撮影をしたのですが、その数年の間にフェスティバルの形式が野外フェスから盆踊りに変わっていました。その意味から聞いてもいいですか。

山岸 逆に聞いてみたいのですが、盆踊りになってるところを見て藤井さんはどう思われましたか?

藤井 災害によって社会が大きく混乱し、コミュニティもまた破損を受けて離散していく状況下で、それをもう一度再構築しようという試みが、あの2011年8月15日のフェスティバルだったと思いますが、僕はそこに一種祈りのような世界を垣間見ていました。当時の代表である大友良英さんは、ネットワークで同時多発的にみんながつながっていく、というようなポスト近代的な主張もしていたけれど、僕自身は前近代的な印象をずっと持っていました。そして数年後、フェスエティバルが盆踊りという儀礼的文化として日本で継承されてきた〈祭り〉として現れてきた時に、ああ、ここに来たのかと腑に落ちた部分と、果たしてこれでいいのだろうかと、その2つが入り混じった複雑な気持ちになりました。

『フェスティバルFUKUSHIMA!@池袋西口公園』

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山岸 2011年の宣言文では、「がんばろうふくしま」でも「立ち上がれ」でもなく…と、確かにそういう部分を排除していましたね。

藤井 当時は「絆」という大きな力がものすごく働いていた時でしたが、それに対して、プロジェクト発起人である遠藤ミチロウさんも大友良英さんも、すごく自覚的だったと思います。

山岸 ただ、なにかをやらなければ、という意識で急に立ち上がったネットワークだったので、コミュニティになり得るのか、そもそもなろうとしていたのかもわからない。でも、フェスの会場から放射線物質を拡散させないという目的で芝生を覆う6000平米の大風呂敷をつくるプロジェクトが立ち上がって、全国から送られた布を近所の主婦やアート関係者やいろんな人が集まってきて縫い合わせていった、たぶんあそこからコミュニティみたいなものができはじめたと思ったんですね。

藤井  音楽という非物質的なものがつなぐネットワークは、フェスティバルが終われば消えます。でも風呂敷はマテリアルで、さらに場が必要です。その結果、一種の共有財産みたいなものをつくっちゃったんですよね。その時、必然的に文化の継承の問題みたいなものが発生したのかもしれない。

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山岸 そうですね。2011年8月15日のフェスティバルを終えた時、みんなこの1年で終わるわけにはいかないと思ったけど、どういうかたちで続けたらいいのかはわからなかったんです。2012年に今年は何をやろうかといった時に、やはり大風呂敷をどうするかという話は第一にありました。震災の翌年は、さまざまな分断が起きていた時期でしたから、異なる考え方の人が共存できる祭りにしようと、大風呂敷を旗につくりかえて、めいめいが違う旗を手に取り、福島駅前で誰でも参加できるオーケストラFUKUSHIMA!をやりました。同時多発イベントを募って旗を掲げてもらったりもした。でもちょっとコンセプトに寄り過ぎていて、来年もこれをやるのは違うなと思った。そうやって常に福島の状況を見ながらかたちを変えていかざるを得なかったところに出てきたのが、盆踊りでした。
きっかけは、浪江町から避難した人々が二本松市の仮設住宅で開いた2012年の夏祭りです。そこに参加したミチロウさんが、地元じゃない場所で地元の盆踊りをやっている様子に未来を感じて、盆踊りをやろうって言い出した。それに対して大友さんを除くみんながいいね!となったんです。

藤井 大友さんはいやだったんですね。8iw_9817

山岸 通常の盆踊りってひとつの輪を中心にみんなが回りますよね。その同質感に大友さんは違和感があったのでしょう。でも、メンバーの1人で建築家のアサノコウタがつくった複数のやぐらのある会場プランを見て、その多中心的な構造の盆踊りなら面白いしできるかもしれないと。そして歌詞も踊りもオリジナルで作った新しい盆踊り「ええじゃないか音頭」が生まれ、大風呂敷を敷いて生バンドによる僕らの盆踊りが誕生しました。それまでは毎年フェスが終わった途端に、来年はどうしようって悩んでいたのに、2013年に盆踊りをやって初めて、これだったら毎年できるかもしれないって手応えを感じたんです。それからずっと現在まで続いています。

——それを池袋でやろうと思ったのはなぜですか?

山岸 そこは前田圭蔵さんの存在ですね。前田さんは2013年のあいちトリエンナーレのパフォーマンス部門にフェスティバルFUKUSHIMA! を呼んでくれて、その打ち上げ会場で、池袋でもやります、と宣言しちゃったんですよね。

山岸清之進 藤井光 前田圭三
左より 山岸清之進氏 藤井光氏 前田圭蔵氏

前田 そうでしたね。2011年の原発事故の直後にアクションを起こしたプロジェクトFUKUSHIMA!の活動はずっと注視してました。当時から、僕は東京芸術劇場の仕事をしていて、フェスティバルFUKUSHIMA!をF/Tと共催で池袋の西口公園でやれないかと持ちかけたのがきっかけです。

山岸 あいちで初めて僕らは福島の外で盆踊りを行い、それから札幌などいくつかの街に呼ばれるようになりました。池袋西口公園もそのひとつです。

前田 池袋は東北・福島行きの深夜バスの発着所がある場所なんです。2011年にF/Tは非常に大きく震災を取り上げていますが、そのこととプロジェクトFUKUSHIMA! はすごく結びついています。ダイレクトに福島とつながっているこの場所で、福島を常にリマインドする必要を感じていました。いろんな考えの人がいていいんだけど、常にノックしたい、それもカルチュラルなやり方で。それができるプロジェクトFUKUSHIMA!といっしょにやりたいと思ったんです。そこに盆踊りがついてきただけで、だから盆踊りをやりたくて呼んだわけではないんですね。

 

さまざまな人が当事者性を獲得しながら参加できる盆踊りができた一方で、福島の問題はつねに更新されてより複雑化している。

藤井 オーケストラFUKUSHIMA!など、音楽をベースにしたワークショップも行ってますよね。通常フェスティバルでは「行く」という参加の概念がありますが、オーケストラFUKUSHIMA! では、観客の参加の概念が少し変容します。それが盆踊りになるとさらに一変しますね。

山岸 音楽フェスでは、演者と観客という対抗は必ずあって、それはオーケストラFUKUSHIMA!がいくら誰でも参加できるといっても、演奏すること自体の敷居の高さはありました。ところが盆踊りになったとたんに、オーケストラを見ていた人も参加できるようになった。よく大友さんが言ってるのですが、盆踊りの最中は誰もステージを見ていない。踊り手がフェスの主役になったんです。

藤井 2011年のフェスでは、DOMMUNE FUKUSHIMA! というインターネット配信の生中継によって、視聴者としての観客を同時多発的に拡散させていくしかけがありました。ところが盆踊りにおいては、場所と空間を共有する参加者とその二次ソースを見る視聴者の体験は相当違うものです。

山岸 それはそうですね。ステージでのパフォーマンスを、ネットを介して見ることと観客として見るのはある程度近い体験になるかもしれないけれど、盆踊りをネットで配信するというのは果たしてどうなのか。それで今年からDOMMUNEで盆踊りの中継はやめましたが、それでも同じ日に福島から発信することは必要だと思って、通常のDOMMUNEのフォーマットに則って同日夜のトークとライブという別コンテンツを配信しました。

藤井 参加する人がイベントの主体になるという話で僕が気になったのは、盆踊りの歌詞です。ミチロウさんが歌うラップのなかで、「シャッター街」という言葉で地方の衰退を取り上げていますよね。それは震災以前に福島がすでに抱えていた問題であり、日本全体の問題でもある。そうやって福島の問題を普遍化しようとする作業が、盆踊りを始めた2013年から2014の間に起こっています。同時に福島の外でも盆踊りをするようになりましたが、福島でやることと非被災地でやることの違いはどんなところにありますか。

山岸 僕個人の問題意識としては、被災地としての「福島」と外との境界はってどこなのか? っていうことがあるんです。原発があるのは福島だけじゃないし、原発が誘致される理由も福島に限らないから、多くの場所が未来の「福島」になる可能性を秘めている。シャッター街は象徴的だけど、これって普遍化した問題で、福島に住んでる人だけで考えることじゃないと思っていました。「ええじゃないか音頭」の中でもいろんな地名がラップで出てくるけど、あまり「ふくしま」って言ってないんですよね。

藤井 福島における原発事故の問題は、高度成長期を含めて日本の近代化の歴史の中に位置づけられる。その発展の過程で生じる矛盾を感性的に捉えていくようなしかけによって、さまざまな人が当事者性を獲得しながら参加できる盆踊りができた一方で、福島の問題はつねに更新されてより複雑化している。そんな中で、今日現在進行形で起こっている問題にプロジェクトFUKUSHIMA!は応答できるのか、2016年の意味と意義を聞かせてもらえるかな。

山岸 僕もそれはすごく考えます。5年たって社会のありようが大きく変わって、思っていた以上に早いスピードで忘却が進んでいます。震災直後から2、3年は、いろんなところで福島のことを考える機会があったけれど、時間の経過とともに少なくなって、今後も減る一方だと思う。でも2011年と比べると、当時の不安や恐怖が現実生活のレベルでわかってきて、なんとかつきあっていくやり方を次第にみんなが見出してきているところもあるんですね。

藤井 非常事態の中の一種の安定期ともいえますね。8iw_9967

山岸 だからといって片付いてないこともいっぱいあって、そのことも忘れちゃいけない。でも毎日心配しながら過ごすことも出来ないから、つきあい方を覚えることも大切で。そういったなかで、プロジェクトFUKUSHIMA!としてどんなメッセージを出していけるのかは、すごく考えます。さっき前田さんがノックするって言ってたけど、時々ノックしなくちゃいけない。福島が飽和していた当時は、あんまり「ふくしま」って言わないようにしようと意識していたけど、逆に今は、意識的に言っていこうと思うようになりました。名前にFUKUSHIMA! って入っていることもこれからさらに意味が出てくる。ただそれが、2011年のテンションでシリアスにふくしまを叫ぶだけで今も伝わるかは別の問題です。福島でやるときと札幌でやるときと池袋でやるときも違う。それをどう出していくのか、そのかたちを探っているところです。

 

民主性を敷かれたインフラに芸術家はとどまりうるのか。

藤井 忘却されそうになってる現象なりをもう一度想起させる場として芸術が生成されることは理解できます。その一方で、人間が芸術をつくりだしてつねに更新し変革してきた歴史を考えると、同じ形式がリピートされる盆踊りが、F/Tという芸術祭の中で、「福島のことを知るひとつの演目」という社会的倫理性や意義だけで担保され得るのかどうか。そこはどうですか?

山岸 F/Tの他の演目と比べると、盆踊りは明らかに異質です。でも盆踊りというフォーマット自体が、毎年同じ時期に同じ場所で繰り返されることで醸成されていく性質を持っています。僕らはまだそれを作っている最中で、たかだか3年目でもあるんですね。今年、福島で自分たちの祭りのやぐらをつくったんですが、この先続けていくとどうなるのか、まだその過程にあるとしかいえないところもあります。でも、いわゆる町内会の盆踊りとは違うものをつくっている意識は僕らにはあって、そこに一歩入ってみると、参加した人を揺さぶるものがあるとは思うんですけどね。

藤井 本来の〈伝統〉は、変化の積み重ねであって、決して固定化しないし、反復とその継承過程で生じる差異から形成されるものです。で僕の質問は、その差異は、今年はなんなんだ? ということなんです。

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Photo : Ryosuke Kikuchi

F/T15『フェスティバルFUKUSHIMA!@池袋西口公園』

山岸 今年の差異は、池袋に盆バンドができたことですね。僕らの盆踊りは生演奏で踊るんですが、今までは大友良英スペシャルビッグバンドがそれを担っていました。でも昨年から、福島では福島のミュージシャンとメンバーによる盆バンドをつくって演奏しています。札幌にも地元のミュージシャンたちによる盆バンドができました。それで池袋でも盆バンドを作りたいと思い、長見順さんにバンマスを引き受けてもらって、メンバーを公募で募ったら21人も集まってくれました。以前からフェスティバルに参加してくれていた人も多くて、今年は池袋盆BANDで盆踊りの演奏をします。この盆バンドの音が各地で違っていてすごく面白い。祭りの場に広げる大風呂敷をみんなでつくり、やぐらも自分たちで組んで、自分たちで演奏する。そうやって自分たちの手による祭りを立ち上げる、それが今年の差異といえば差異ですね。

藤井 そこには代表だった大友さんも一メンバーとして入るわけですね。プロジェクトFUKUSHIMA! が提案しているものは、市民参加の概念であり、自治であり、「未来は私たちの手で」と いうスローガンの具現化の局地に来たのかな、とも思うんです。けれども、自分たちがつくったものをどこまで開いていくことは可能なのか? 山岸さんもオーガナイザーもいらなくなっていいのかな?

山岸 池袋などはそうなっていったらいいと思いますね。現に札幌では札幌の大風呂敷チームが活発に活動していて、祭りの主催者も地元のまちづくり会社が担って、大風呂敷広げて盆踊り、というフォーマットは同じだけど、彼らが自律的にやる方向になっている。そういう動きを僕はすごく歓迎していて、僕らがいなくても続いていて、元を辿ったら福島の震災がきっかけだったといわれるくらいになればいいと思っています。

藤井 でも「参加してくれたのは以前も参加してくれた人たち」という、先ほどのご自身の発言にもあるように、“プロジェクトFUKUSHIMA!は開かれた民主的なコミュニティである”ということに賛同した人々による閉じたコミュニティが形成されているのではないか、という逆説も成り立ちます。それが自律的に各地で活動しているという二重性があるように感じるんです。民主的なフレームの一方で、閉じた部分もある。そこはどう感じますか?

山岸 コミュニティをやってると、どこかで閉鎖的になっていくことは必ず起こることですが、それもひとつの過程だと思うんです。閉鎖的って言葉も、言い方を変えると結束が固いということでもあるし、オープンであることばかりがいいことでもない。それでも閉じていくと内部にも問題が起きてくるので、開くための新しいしくみを意識的に試みるようにはしていますね。

藤井 今の流れでもうひとつ聞いていいかな。自分たちの手で複数の人が参加できるインフラをつくると、芸術性と民主制が対立する可能性もあると思うんです。芸術活動の一つの側面として、民主的な物事のつくり方とは真逆の、独裁的で非常識で特異な感性をぶち込んでくるものですから。プロジェクトFUKUSHIMA! に関わる人の多くはアーティストです。人々の生活実践の中に非常事態というか例外状態を作り出すような芸術家の集まりが、民主的なインフラに果たしてとどまりうるのか、離れていくのではないか、という問題をディレクターとしてはどう考えますか?

山岸 特に2011年に参加した人たちは、ノイズとパンクと現代詩を筆頭に、そういうアヴァンギャルドな側面を持つ人が多かったと思います。それが藤井さんの言葉でいう民主化してきた今、逆にバランスがよくなってきたとも言えるんじゃないかな。普段ノイズを全然聞かない人でも盆踊りの中でなら聞けるし、メンバーの幅も広くなって、相反するものが共存するバランスが良くなった、という方向に捉えようかなと思っています。

でも、どこかで当初からこの活動が内包していた例外的なものが持つあやうさというか強さというか、そういうプロジェクトFUKUSHIMA! らしさはキープしたい。盆踊りの中にあっても、櫓の上でミチロウさんがウァァアアアーって叫ぶと、やっぱりこういう部分はプロジェクトFUKUSHIMA! だなって感じるんです。開かれた場所で、それぞれ違う考え方を持った人たちが、盆踊りではいっしょになって踊ることができる。それが福島だけじゃなくて、池袋のような多国籍の人が集まるようなところでも、同じように手を繋いでいっしょに踊れる。それが僕らの盆踊りだと思っています。

 


福島発! 多彩なライブとオリジナル音頭でつくる祝祭広場

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会場: 池袋西口公園 ※入場無料
日程:  10/15 (土) 15:00~20:00 、10/16 (日) 13:00~18:30   詳しくは→

 

8iw_9887山岸 清之進
プロジェク卜FUKUSHIMA! 代表/ディレクター
1974年福島市生まれ。慶応義塾大学SFC大学院在学中よりメディアアートユニットflowを結成し国内外で活動を開始。NHKの教育番組「ドレミノテレビ」(グッドデザイン大賞/2004)や、ウェブサイト「NHKクリエイティブ・ライブラリー」(日本賞/2013)などを企画制作。2006年、鎌倉を拠点とするクリエイティブNPO「ROOT CULTURE」を仲間と立ち上げる。2011年東日本大震災の直後より音楽家・大友良英氏の呼びかけでプロジェクトFUKUSHIMA!に参加、2015年から同プロジェクト代表を務める。

 

8iw_9950藤井 光
1976年東京都生まれ。美術家・映像作家。芸術は社会と歴史と密接に関わりを持って生成されていることに基づき、既存の制度や枠組みに対する問いを実証的に検証する作品を制作している。パリ第8大学美学・芸術第三期博士課程DEA卒業。近年では、『爆撃の記録』(東京都現代美術館「MOTアニュアル 2016 キセイノセイキ」展)、『帝国の教育制度』(森美術館「六本木クロッシング2016」展)を発表。監督作品に『プロジェクトFUKUSHIMA!』 (PROJECTFUKUSHIMA製作委員会、2012年)、『ASAHIZA人間は、どこへ行く』 (ASAHIZA製作委員会、2013年)などがある。