ドイツ出身の振付家セバスチャン・マティアス。彼が展開してきた「groove space」シリーズは、クラブ空間におけるダンスの快楽、人と人のつながりなどを学問的見地から分析し、そこから生じる人々の振る舞いを生かしたダンス作品である。そのクリエーションにはしばしば現代美術のアーティストが参加し、視角的・造形的な空間への介入が行われる。
マティアスの最新作『x / groove space』は、3人のアーティストと協働し、東京とデュッセルドルフ(ドイツ)の2都市の諸相から着想したものだという。この新しいクリエーションが向かう先を考える。

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文・島貫泰介

クロスオーバーへの挑戦

これまでフェスティバル/トーキョーでは、異分野のアーティストがクロスオーバーする作品を数多く上演してきた。2014年の白神ももこ(ダンス)×毛利悠子(現代美術)×宮内康乃(現代音楽)による『春の祭典』。15年の安野太郎(現代音楽)×渡邊未帆(音楽研究)×危口統之(演劇)による『ゾンビオペラ「死の舞踏」』は、その好例だろう。
それぞれ10年前後のキャリアを重ね、次なるステップへと踏み出そうとするアーティストらの協働には、新たな挑戦に接する瑞々しさと、いまだ作品の向かう先が見えない緊張感が内在している。私は両方の作品を見る機会を得たが、それぞれに「見たことのないものを見た」という驚きと、各人の主張がある部分では共鳴し、ある部分では衝突するような荒々しさを感じた。
まもなく開幕する「フェスティバル/トーキョー16」で上演されるセバスチャン・マティアス振付・構成の『x / groove space』は、このクロスオーバーの軸線上に位置づけられる作品だろう。ワークショップに基づくリサーチから即興的なダンス(空間)を組み立てていくマティアスと協働するのは、3名のアーティストだ。

 『x / groove space』

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Photo:Ryosuke Kikuchi

蛍光灯の放電ノイズを利用した音具「OPTRON」で知られる伊東篤宏。清掃や浄化を主題とする映像インスタレーションなどの制作過程において、特定の社会状況へと介入していく岩井優。そして自作の機械装置を介して、鑑賞者とのインタラクティブな関係性を立ち上げる瀬山葉子。マティアスを含めたメインアーティスト4名と、6名のダンサーたちがコラボレーションを行い、一つの舞台作品を組み立てていく。

対話を重ねるワークショップ

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『x / groove space』ワークショップ(東京・4月)

2016年4月某日。にしすがも創造舎で、『x / groove space』のワークショップが行われた。それまでにもネット通話やメールでのミーティングを重ねていたそうだが、本格的なクリエーションはいよいよ今日からだ。
マティアスのワークショップは、参加者(出演者だけでなく、制作スタッフや飛び入りも含む)によるディスカッションから始まる。それぞれが簡単に自己紹介をして場の空気がほどよく和んだ後、マティアスが内容について説明しはじめた。
ダンサーたちが即興的に踊り始める。参加者はその場でそれを眺めていても、自由に移動しても、あるいはダンスに参加しても構わない。でも、その過程で「気持ちいい瞬間」や「不快だった場所」などをフロアーに置いた紙に書き込んでいってほしい……そんな内容だ。
そして始まったパフォーマンスは興味深いものだった。歩行とダンスの間を行き来するような緩慢な所作で参加者の間を動き回るダンサーたちは、次第に私たちへの干渉を始める。例えばじっと目を合わせてきたり、小声で挨拶をしたり、あるいはそっとからだに触れてきたり。その間に照明が暗くなったりもするので、個人的には親密さとセクシャルが同居する時間に感じられた。
約15分程度のパフォーマンスを終え、書き留めた感想をみんなで確かめていく。親密さや安心感を感じた人もいれば、なかには小さな恐怖を覚えたという人もいて、多種で率直なリアクションが面白い。
休憩を挟んで、今度は岩井による「清掃」に関するワークショップを実施する。こちらはまた雰囲気の異なるものだったが(作品内でも登場するので楽しみにしてほしい)、前半同様に、最後に参加者の抱いた印象についてのディスカッションが行われた。
この日のワークショップはこんな内容だった。ここで得た知見は、後の本番にフィードバックされていくという。

「クラブ」空間に見るダンス/社会

ワークショップでの体験だけでなく、VimeoやYouTubeで見られるセバスチャン・マティアスの過去作品から感じるのは、現実の社会集団が持つ政治的力学や身振りを舞台空間に現出させようとする意志である。舞踊に関する修士号を持つマティアスは、ダンスの体感性とそのポテンシャルを測ることに関心があり、その観察の一環としてクラブの構造やメカニズムを振付に援用するのだと語る。

セバスチャン・マティアス デュッセルドルフ公演 タンツハウスNRW
デュッセルドルフ公演 Photo:Katja Illner

マティアス クラブにおける政治性というのは、文化人類学の研究対象として1990年代後半から指摘されてきたことです。ダンスの歴史は長いですが、例えば資本主義社会以降に生まれたカップルダンスと比較すると、クラブにおけるダンスには、中心となる権力や、見本に相当する定型的な正しい動きは存在しません。個人やカップルが閉じた集合体として無数に乱立し、それらを統合するイデオロギーやヒエラルキーが不在であってもダンスそのものは成立するのです。
もちろんクラブにもドレスコードによる入場規制や、「イケてる人/イケてない人」といった審級は存在しますが、王政や専制政治のような拘束性の強いヒエラルキーではない。その人の職業や肩書きを前提とせず、ある匿名性の中でダンスが生起できることに、クラブの面白さがあるわけです。言い方を変えるなら、それは(社会的な意味での)「人」ではなく、ただ「身体」だけが呼応し合うダンスと言えるでしょう。

ジェンダー理論家であるジュディス・バトラーの著作『Frames of War:when is life grievable?(戦争の枠組:生はいつ嘆きうるものであるのか)』などを踏まえてクラブへの関心を述べるマティアスは、おそらく他人同士が共存することの可能性に関心を持っているのだろう。

マティアス 私の解釈が正しいかわからないですが、匿名であることによって、人は「傷つきやすい他者」でなくなるかもしれないと思っています。中世などでは国家や街という社会集団内の信頼関係で生きていくことが生存の基盤であり、外部からやって来る人々を脅威や危険として捉えていました。ですが、クラブではそこにいる人が誰か、どんなバックボーンを持った人か知ることは重要ではなく、社会的な人間関係に依存する必要がありません。そこには現代のグローバル社会、都市の社会における「ゆるいネットワーク」が体現されていると感じます。

セバスチャン・マティアス デュッセルドルフ公演 タンツハウスNRW
デュッセルドルフ公演 Photo:Katja Illner

ゆるいネットワーク。『x / groove space』に感じるのはまさにそれだ。
東京に先行して行われたデュッセルドルフ公演の様子を記録映像で見た。会場に選ばれたブラックキューブには特に客席らしきものはなく、開演時間を待つ観客たちは回遊したり、会話をしたり、思い思いに時間を過ごしている。周囲には、明滅する幾つかのOPTRONと、換気扇のモーターとゴムホースを組み合わせた伊東の音具、人の身長の2〜3倍はあるバーを備えた瀬山の舞台美術が設えられていて、聴覚・視覚的な効果を時空間に付与し、それらに関心を向ける観客もいる。パフォーマンスのスタート自体も呆気ないもので、ワークショップ同様のリラックスした雰囲気の中で、いつの間にか作品は始まっていた。
パフォーマーと観客の間の線引きを明示せず、かつ相互が干渉する余地(同時にそれを拒絶する可能性も)を残すダンスの存り様は、マティアスが言うように都市型社会のネットワークを想起させる。個人の領分を保持しつつも、その個同士が接続と切断を繰り返していく。それは、伊東と瀬山による舞台美術によっても引き起こされ、空間と時間、そしてそこに点在する個を、かき混ぜ、流動させていくのだ。

芸術の「協働」とは何か?

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デュッセルドルフ公演 Photo:Katja Illner

テキストの冒頭で、私はこれまでにフェスティバル/トーキョーで行われた2つの上演の名を挙げ、「各人の主張がある部分では共鳴し、ある部分では衝突するような荒々しさを感じた」と書いた。つまり課題も多く残る作品だったと言いたかったわけだが、だからといってそれらを迷いなく断じはしない。むしろ、制作過程で生じた複数の意思が、「作品」をつくるために生じる巨大なイデオロギーによって退けられたり、馴致されることなく併存している状況に、好ましさを覚えたのだ。
芸術において協働(コラボレーション)とは何だろう? 1+1=2という単純極まりない加算、あるいは1+1=3といった類いの超現実的な飛躍に「芸術」の可能性を賭けるには、現実はあまりにも厳しい。かといって、現実に芸術は無力だ、と諦念に耽溺するのも悲観的すぎる。おそらく必要なのは、これらの数式を構成する無数の「1」の内実を探りつつ、かつそれらが基本的な自由さ、平等を担保できるメカニズムを構築するための思考と試行を止めないことなのだ。

マティアス 考えるだけであればダンスをする必要はそもそもないですし、一方で身体の動きやフィジカリティーだけを強調してしまうと、それは感情的なだけの、ふわふわとしたもので終わってしまう。知的な部分と体感的な部分を扱うことが大事なのです。

最新作『x / groove space』は、この相反する要素をどのように共存させ、発展させることができているだろうか? これまで見てきたように、それを確かめることができるのはその場に立ち会った者だけである。クラブの熱が現場でしか感じられないように。デモの熱情が街路でのみ感じられるように。
島貫泰介
美術ライター/編集者。1980年生まれ。『CINRA.NET』、『美術手帖』などで現代美術、演劇などアート&カルチャーの記事執筆・企画編集を行う。


グルーヴで再構築する「都市」。身体で感じるコミュニティ論

Print私たちの生きる都市は、どのような身体、行動、時間から成り立っているのか――。入念なリサーチと現地アーティストとのコラボレーションを通じ、都市とその居住者が生み出すグルーヴを浮かび上がらせる、ドイツの振付家、セバスチャン・マティアスの『groove space』シリーズ。その最新作がF/Tに登場する。続きを読む→
東京芸術劇場 シアターイースト11/3 (木) ─ 11/6 (日)   チケットはこちら→

 

 

セバスティアン・マティアス 振付家

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