F/T09〜13のプログラム・ディレクターを務めた相馬千秋からのメッセージを掲載します。
2009年2月26日にスタートしたフェスティバル/トーキョーの初日から、ちょうど5年あまりの時間が流れました。その間、全6回のフェスティバルを開催する中で、多くの表現者や観客の皆様、関係者の皆様と共に、「いま・ここ」でしか成立し得ないユニークな芸術祭を作りあげることができたと思います。まだ名もない段階から、このフェスティバルを支え、ご参加下さったすべての方々に、この場をお借りして深く御礼申し上げます。
私がディレクターを務めさせて頂いた6回の開催の中で、執拗に問い続けたことがありました。それは、演劇とは何か、芸術とは何か、それをおこなう我々とは何者か、という問いでした。それは、「いま・ここ」という場、すなわち私たちが生きる21世紀初頭の日本から生まれる問いであったと同時に、その問いを過去や未来と接続する試みであり、さらに芸術の外部、日本の外側へと開く試みでもありました。
芸術が社会への応答だとすれば、いま私たちが生きる社会がどう変わっていくのか、私たちは芸術を生み出す者、芸術を享受する者として、考え続けなければなりません。この5年間にも、東日本大震災とそれに伴う原発事故が発生し、またアジアの近隣諸国との関係が緊迫し続けるなど、これまでの思考の枠組や歴史認識では太刀打ちできない非常事態が目の前に出現しているように感じます。芸術とは、そうした大きな出来事に対して、あくまで個人に立脚する小さな営みに過ぎません。しかしだからこそ、芸術は根源的に自由であり、この複雑な世界、時間、人間そのものの様相を、あり得るかも知れない多くの可能性とともに開きうるものだと、私は考えます。「いま・ここ」からの思考は、「いま・ここ」に縛られることなく、時間を超えて、私たちと死者を、あるいはまだ生まれてもいない人たちを出会わせることができる。そして、ここにはいない遠くの誰かと、私たちは芸術を介して繋がりうるのではないでしょうか。
私が考える芸術の公共性とは、そうした可能性の扉を、閉ざさずに開けておくことです。抽象的な言い方ですが、全体からすれば1%に過ぎないものの可能性を、どう残りの99%が許容し、可能性を閉ざさずに開き続けることができるか。これが、芸術が、「いま・ここ」の構成員である「わたしたち」全体に関わる、すなわち公共的なものとして存在しうる根拠だと考えます。その根拠となる思想を、そしてそれを体現する方法を、これからどのようにこの社会の中で実践し、共有していくことができるのか。問いは続きます。
最後に、第1回のF/Tを構想するにあたって執筆したマニフェストを引用し、いったんこのフェスティバルに別れを告げたいと思います。これまで本当にありがとうございました。
「私たちが生きる今日の社会や都市が生む多様な問題意識や価値観がぶつかり合い、ときに共鳴しあい、ときに批評しあいながら、私たちの同時代に真にリアルなもの、真に切実なものを表現としてつむぎだしていく「磁場」のようなもの。それが、フェスティバル/トーキョーの理想形だ。そして、その場はすべての人に開かれている。そこにどれだけの表現者、参加者が集い、どれだけ強度な「その場、その時間」を共有することができるだろうか。その挑戦は、ここに誕生するフェスティバルにかかわるすべての人のアクションの中に、すでに始まっている。」