「ままごと」の柴幸男さんによって、フェスティバル/トーキョー17で上演されるわたしが悲しくないのはあなたが遠いからは、東京芸術劇場(池袋)のシアターイーストとシアターウェストという隣り合った劇場で同時に上演される作品。その珍しい形式は、柴さんが近年抱いていた「距離」を巡る疑問に端を発しています。

そこで、今回は世界の秘境を旅した写真集『奇界遺産』(エクスナレッジ)の発表や、テレビ番組「クレイジージャーニー」への出演で知られる、写真家の佐藤健寿さんを迎え、柴さん自ら「距離」に関する疑問をぶつけました。世界中のあらゆる国々を旅してきた写真家は、いったいその「距離」をどのように捉えているのでしょうか? 距離からはじまった2人のお話は、ミャンマー、インド、パプアニューギニアなど地球規模に展開しながら、「世界を見る方法」へと向かっていきます。

(聞き手・文:萩原雄太 編集:島貫泰介)

ミャンマーで体験した震災

アフリカから2日前に帰ってきたばかりという佐藤さんは、疲れた素振りを見せずに柴さんとの対談現場に現れました。旅慣れた佐藤さんにとって、距離を超えてあちこち動き回るのはほとんど日常のようなもの。この対談の翌日も、撮影のためトカラ列島へと赴くそうです。

10月に上演される『わたしが悲しくないのはあなたが遠いから』は、昔は仲がよかったけれども、今は離れてしまった友だちについての物語。観客は、隣の劇場にいる友だちのことを想定しながら、物理的、心理的、時間的な「距離」について思いを馳せることとなります。そんな物語を生み出す柴さんにとって、何千キロもの距離を超えて移動し続ける佐藤さんはとても気になる存在でした。

佐藤さんを前に、まず柴さんが切りだしたのが、「距離」に対して意識を向けるようになった自身のきっかけでした。2011年の東日本大震災発生時、柴さんは実家のある愛知県に滞在していました。テレビでは津波の映像が流れ、帰宅難民で溢れかえる東京の様子が映し出されます。しかし、揺れそのものすらも感じなかった柴さんは、そんな景色を眺めながら、どこか現実感のなさを感じるばかり。そんな体感は、東日本に住む人々との間に横たわる「距離」を意識させます。

柴さんの震災(未)体験談を聞きながら、深くうなずく佐藤さん。じつは佐藤さんもまた、東日本大震災を体験していなかったそうです。

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佐藤 僕は、震災が起こったときにはミャンマーにいたんです。当時、軍事政権下のミャンマーでは、まだ携帯電話のローミングもできないし、インターネットも遮断されている状態。ある日、街を歩いていると、「日本人か?」と聞かれて、テレビの前に連れて行かれた。すると、BBCで津波の映像が放送されていました。ただ、自分が住んでいる日本の映像なのに、どこか現実味もなく共感もできなかった。その後、3ヶ月ほど旅をして日本に帰ってきたのは6月くらい。すでに、震災直後の緊迫した雰囲気は失われており、大震災があったらしい、という感じしか残っていませんでした。

 

グラデーションの多様性

震災で感じた距離感は、いつしか柴さんの中で「人と人との距離のあり方」や「演劇と観客との距離のあり方」といった問題意識へと発展し、今回の作品へと結実しました。では、今回、2つの作品を隣同士で同時に上演する試みから、柴さんはどのような「距離」を描くのでしょうか?

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Photo: Hideaki Hamada / Photo: Ivy Chen

『わたしが悲しくないのはあなたが遠いから』作・演出:柴 幸男

東京芸術劇場シアターイースト/シアターウエスト

 演劇は、目の前のことに集中することが魅力と言われますが、それは、目の前の舞台以外のことを忘れさせるという意味でもあります。今作を見に来た人々は、目の前の演劇を見ながらも、同時に隣の劇場のことを考えてしまうような、そんな「隣」についての意識から、隣の街、隣の島、隣の国、隣の星……と、広がるようなイメージを与えたいんです。

 

一方、米軍の秘密基地と噂されるネバダ州のエリア51に始まり、雪男を探しにネパールを訪れたり、ナチスの残党を追って南米に飛んだりと、好奇心の赴くままに世界の辺境を渡り歩いてきた佐藤さん。柴さんの「隣」という言葉から、その脳裏には「国境」というイメージが触発されたようです。

 

佐藤 旅をしていると、国境という概念はだんだんと薄れていって、どれだけ遠いかという距離の問題だけになっていくんです。先日までアフリカに行っていて、明日からはトカラ列島に行くんですが、国内か海外という概念はだんだんと曖昧になっていきますね。

 国境という意識が意味をなさなくなっていく?

佐藤 意味をなさないとまではいいませんが、どこか形式的なものに思えてきます。例えばインドに行ったら、普通、日本人とインド人の間にあるはっきりした違いに気づきますよね。けれども、さまざまな国を訪れていると、そんな違いは、グラデーションの中のひとつに思えてくる。台湾には目がくりっとした人が多く、フィリピンには日本人とはだいぶ離れた顔つきの人ばかり。そこから例えばインドネシアになると目鼻立ちがくっきりしてきて、肌も浅黒くなり、だんだんとインド人の顔立ちに近づいていく。人類は、国境ではっきりと分断されているわけではなく、ゆるく繋がりながら徐々に変化しているんです。アメリカにも、白人と黒人以外に、ヒスパニックやそれらの混血の人々など無数のバリエーションがありますよね。「白か黒か」というはっきりした違いでは分けられないんです。

国境による「分断」ではなく、グラデーションのように移り変わる変化の多様性を見つめること。それによって、「隣」に対する想像力はガラッと変わっていきます。それは、柴さんが今回見据えている大きなねらいとも共通するものでしょう。

 

ガンジス河から「世界を見る」老人

武蔵野美術大学在学中に、Dumb Type(84年に結成されたアーティストグループ。映像、音響・ダンスなどの複合的なパフォーマンスによって、性や人種などの問題を取り使う)を意識したマルチメディアパフォーマンスのクリエイションに関わった経験を持っているものの、近年は、ほとんど劇場を訪れていないという佐藤さん。しかし、同じクリエイターとして興味を掻き立てられたのか、今作の資料を熱心に読み込むと、「いつでも、どこへでも、誰とでもアクセスできるようになったにもかかわらず、わたしたちのあいだにはなぜかまだ距離がある」という今作のコンセプトに目が止まりました。

すでに、情報はリアルタイムに世界中で配信されるようになり、LCCをはじめとする交通網は移動へのコストを劇的に下げています。しかし、どんどんと距離が縮まっていく世界の中で、柴さんが見つめるのは、いまだ横たわる距離。そんな柴さんの視点に触れた佐藤さんは、距離を取り巻く「いびつさ」を見出しました。

 

佐藤 パプアニューギニアに行ったときには、人々が半裸で生活するジャングルの集落で、少女がスマホでビヨンセの曲をかけていて驚きました。いまだ、ジャングルを分け入って辺境の地へと辿り着くための距離は膨大なのに、情報としての距離は皮膚一枚の薄さ。その釣り合いが取れず、いびつな距離感となっているのが現代ではないでしょうか。どんな場所でもネットで調べれば詳細な行き方までわかりますが、そこに足を運ぶという労力はまったく変わっていないんです。

 

 でも、なんでそんなに労力をかけて、佐藤さんは世界の辺境へと向かうのですか?

 

柴さんのそんな素朴な質問に対し、少し悩みながらも佐藤さんが話し始めたのは、インド・ガンジス河のほとりで出会った、あるおじいさんの話でした。

 

佐藤 インドのホテルの屋上に、そのホテルのオーナーであるおじいさんが住んでいました。彼はずっとその屋上で生活をして、もう10年も下に降りずに、ガンジス河を見ながら毎日を繰り返しているらしい。ある日「何を見ているの?」と僕が聞いたら、彼は「世界だ」と答えました。とても深い言葉ですよね。彼とは真逆ですが、彼がガンジスから世界を見ているように、僕は移動をすることによって世界を見ているんです。

 

(インド・ガンジス河 撮影:佐藤健寿)

 

佐藤さんが出会った驚くべき老人は、まるで、代表作『わが星』で架空の団地を舞台にしながら、星の一生と少女の一生を重ね合わせる劇作家・柴幸男の視点にも重なります。劇作家は、そんな老人の話を深く頷きながら聞き入っていました。

佐藤さんが移動をしながら世界を見つめるように、柴さんは演劇作品を通して世界を見つめているアーティスト。そこで見つけた柴さんの「距離」は、いったいどのような物語となって表されるのか? 東京芸術劇場の2つの劇場で、世界の距離を見つめる物語が幕を開けます。

 


フェスティバル/トーキョー17主催プログラム

わたしが悲しくないのはあなたが遠いから』 作・演出:柴 幸男

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Photo: Hideaki Hamada / Photo: Ivy Chen

同じ時間、二つの場所で紡がれる物語。隣にいても遠い「距離」から見わたす未来
 星の一生と少女の一生を重ねた音楽劇『わが星』など、個的かつ普遍的な人生の時間を劇場空間に立ち上げる劇作・演出家、柴幸男(ままごと)。東日本大震災の発生当時、東北から離れた場所にいたという彼が、「距離」をテーマにした新作で、フェスティバル/トーキョーに初登場する。
 さまざまな境界線の設定、心理的分断の要因ともなる「距離」に向き合う場として構想されたのは、隣り合う二つの劇場で、同時刻に、同じ俳優たちによって紡がれる二つの芝居からなる作品。それぞれの劇場の観客は、目の前の物語を追いつつ、ごく近くで展開しているはずのもうひとつの出来事、そして作品の全体像へと想いを馳せる。

会場:東京芸術劇場 シアターイースト/シアターウエスト
日程:10/7 (土) 〜10/15 (日) 全10公演
※休演日10/10 (火)
詳細は公式HPへ

柴 幸男(劇作家・演出家・ままごと主宰)
1982年生まれ、愛知県出身。青年団演出部、急な坂スタジオレジデント・アーティスト。多摩美術大学講師、四国学院大学非常勤講師。2010-2011年度、2012-2013年度、2015-2016年度 セゾン文化財団 ジュニア・フェロー。2010年『わが星』で第54回岸田國士戯曲賞を受賞。あいちトリエンナーレや瀬戸内国際芸術祭への参加など、全国各地で活動を展開する。2017年8月には、現役高校生が出演する『わたしの星』の再演を控える。また、ままごと公式HPにて、過去の戯曲を無料公開する『戯曲公開プロジェクト』を展開中。

佐藤健寿(写真家)
武蔵野美術大学卒。フォトグラファー。世界各地の“奇妙なもの”を対象に、博物学的・美学的視点から撮影・執筆。写真集『奇界遺産』『奇界遺産2』(エクスナレッジ)は異例のベストセラーに。著書に『世界の廃墟』(飛鳥新社)、『空飛ぶ円盤が墜落した町へ』『ヒマラヤに雪男を探す』『諸星大二郎 マッドメンの世界』(河出書房新社)など。近刊は米デジタルグローブ社と共同制作した、日本初の人工衛星写真集『SATELLITE』(朝日新聞出版社)、『奇界紀行』(角川学芸出版)、『TRANSIT 佐藤健寿特別編集号〜美しき世界の不思議〜』(講談社)など。NHKラジオ第1「ラジオアドベンチャー奇界遺産」、テレビ朝日「タモリ倶楽部」、TBS系「クレイジージャーニー」、NHK「ニッポンのジレンマ」ほかテレビ・ラジオ・雑誌への出演歴多数。トヨタ・エスティマの「Sense of Wonder」キャンペーン監修など幅広く活動。佐藤健寿公式HP


フェスティバル/トーキョー17 演劇×ダンス×美術×音楽…に出会う、国際舞台芸術祭

名称: フェスティバル/トーキョー17 Festival/Tokyo 2017
会期: 平成29年(2017年)9月30日(土)~11月12日(日)44日間
会場: 東京芸術劇場、あうるすぽっと、PARADISE AIRほか

舞台芸術の魅力を多角的に提示する国内最大級の国際舞台芸術祭。第10回となるF/T17は、「新しい人 広い場所へ」をテーマとし、国内外から集結する同時代の優れた舞台作品の上演を軸に、各作品に関連したトーク、映画上映などのプログラムを展開します。 日本の舞台芸術シーンを牽引する演出家たちによる新作公演や、国境を越えたパートナーシップに基づく共同製作作品の上演、さらに引き続き東日本大震災の経験を経て生みだされた表現にも目を向けていきます。

最新情報は公式HPへ


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ディレクター・メッセージ: フェスティバル/トーキョー17開催に向けて 「新しい人 広い場所へ」