アンジェリカ・リデル
『アンジェリカ ある悲劇』 ANGÉLICA [UNA TRAGEDIA]    © Manuel Fernández-Valdés

文:横堀 応彦

素晴らしい舞台作品に出会うと、その作品がどのようなプロセスで作られたのか知りたくなる。稽古場では一体どのようなリハーサルが行われているのだろうか。有名な俳優が出演していると、その俳優に密着取材したドキュメンタリー番組で稽古場の様子が少しだけ映されることもあるが、演出家に密着したドキュメンタリーというのはそれほど多くない。2012年に公開された想田和弘監督の『演劇1 演劇2』はトータル5時間42分にわたって平田オリザと青年団の活動模様や現代日本の演劇を取り巻く環境を描いた数少ない長編ドキュメンタリー映画だと言えるだろう。

12月1日にセルバンテス文化センター東京で上映され『アンジェリカ ある悲劇』、スペインのマドリードを拠点に活動する作家・演出家・俳優のアンジェリカ・リデルが2013年5月に『地上に広がる大空(ウェンディ・シンドローム)』をウィーン芸術週間で初演するまでのプロセスを追ったドキュメンタリー映画である(スペイン語の発音に従うとAngélicaはアンヘリカと表記するのが正しいが、本稿では昨年からの表記に倣ってアンジェリカと表記する)。この作品はその後、同年7月にアヴィニョン演劇祭、同年11月にフェスティバル・ドートンヌ(パリ)、2014年6月には世界演劇祭(マンハイム)などヨーロッパの主要な演劇祭で上演され、昨年2015年11月にはフェスティバル/トーキョー15のメインプログラムとして東京芸術劇場プレイハウスで上演された。


F/T15 『地上に広がる大空(ウェンディ・シンドローム)』

<映像>アンジェリカ・リデル

 

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撮影:石川純

『ピーターパン』のヒロイン、ウェンディが主人公となり、ネバーランドと多くの若者が死んだノルウェー連続テロ事件の現場ウトヤ島、そして年老いた男女が路上でワルツを踊る上海をめぐりながら、少女でありながらピーターパンの「母親」を演じ続ける彼女の混乱と孤独が描かれる2時間40分。作品の後半はリデル自身が演じるウェンディの怒濤のモノローグとなり、パフォーマーとしての彼女の圧倒的な存在感は日本の観客に大きな反響を与えた。なおリデルの演劇観については岩城京子氏によるインタビュー「自らの最悪の「糞」を身体化する、アンジェリカ・リデルの叫び」や桂真菜氏によるインタビュー「私が共感するのは体制から追われた人 嫌いなのは既存の価値観に頼る人」を参照いただきたい。

 

今回フェスティバル/トーキョー16のプログラムとして『アンジェリカ ある悲劇』がアジアプレミア上映されるにあたり、F/Tとアンジェリカ・リデルとの関わりを振り返ってみたい。

私自身がこの作品を最初に観たのは、2014年6月のこと。その時に感じたことは上演時間の長さよりも、永遠と繰り返されるリデルによるモノローグが持つ《見えないチカラ》のようなものだった。《想像力を働かせて、見えない(はずの)物を見る》ことが舞台芸術の持つ重要な価値だと考えている私にとって、この作品を東京で紹介したいと思うまでにそれほど時間はかからず、その後プロデューサー兼俳優のグメルシンド・プチェ(愛称はシンド)と連絡を取り合うようになった。その中で、リデルが大の日本好きであることや、次の新作『You Are My Destiny』(2014年9月初演)が前年2013年にリデルがベネチアビエンナーレで行った俳優向けワークショップから発展して制作されたものだという話を聞いた。単なる作品招聘だけで終わるのではなく将来的には日本人でのクリエーションの可能性も模索したいという思いもあり、東京でも公演に先立ちワークショップを開催出来ないかと相談してみた。そして東京公演の4ヶ月前となる2015年7月、フェスティバルの記者会見にあわせてリデルとシンドが来日し、日本人俳優・ダンサーを対象とした6日間のワークショップが行われることになった。ワークショップ参加者はリデル本人が選考したいとの希望から、質問項目の中にはリデルからの質問に対して言葉を使わず5分間のパフォーマンス動画をアップロードしてもらう項目があった。

 

創世記と神の怒りについてどう思いますか? もしあなたが創世記の前に戻れたとしたらどのように世界を作りますか? また、どのように世界を破壊しますか? あなたは神に何を破壊するように求めますか? あなたは何が嫌いですか? あなたは今まで誰か(または自分)を殺そうとしたことがありますか? 殺すことでしか、世界を再生させることはできませんか? もしそうなら、あなたは世界の起源、闇の中に戻るために何をしますか? それはなぜですか? 神が世界を破壊するために、あなたは何を生贄にしますか? 私たちの痛みを終えるために何を生贄にしますか? あなたはどのように嫌いな人を殺しますか? 誰もが耐えなければいけない心の中の闇をどのように断ち切りますか? また不幸にどのように立ち向かいますか?

─アンジェリカ・リデル

 

一般的なオーディションに比べるとハードルの高い内容にも関わらず予想を大幅に上回る応募者が集まった。その中から選考した12名の俳優や特別ゲストとともに旧約聖書の創世記を題材としたクリエーションワークショップが行われ、最終日には1時間ほどの小作品が上演された。

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1つの出会いが新たなプロジェクトとして形作られるまでには、数年単位の時間を要するのが通例である。それゆえ、ある日シンドから「東京でのワークショップを発展させた新作が来年のアヴィニョン演劇祭で上演できそうだ!」というメールをもらったときには、正直とても驚いた。その後の細かなやりとりは省略するが、ワークショップに参加したメンバーの中から入江平、菊沢将憲、菅江一路、立本夏山の4名がキャスティングされ、2016年5月から2ヶ月にわたるマドリードでのクリエーションが行われた。そして7月7日にアヴィニョン演劇祭で新作『わたし、この剣でどうしよう─法と美についての考察』が世界初演されたのである。4名の日本人俳優に加え、マドリードのオーディションで700人から選抜されたという8名の若い女性ダンサーたちも参加した同作品は、午後10時に開演し2度の休憩を挟みながら終演時間は午前3時近くという約5時間の大作に仕上がっていた。アヴィニョン演劇祭のホームページでは一部記録映像が公開されているほか、既に今年9月にブラジルのサントスとサンパウロでもツアー公演が行われた。今後もいくつかの都市での公演が計画されているという。

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¿Qué haré yo con esta espada? © Christophe Raynaud de Lage

アヴィニョン演劇祭での上演には、前年のワークショップと公演で通訳・翻訳・字幕作成をお願いした田尻陽一氏にも同行いただき、評論「音と裸体と日本文化─アヴィニョン演劇祭:アンヘリカ・リデルの『わたし、この剣でどうしよう』をめぐって─」(『テアトロ』2016年10月号掲載)を著していただいた。作品の詳しい内容はそちらに譲ることとして、アヴィニョンで行われたリデルと出演者によるパブリックトークの内容から、一部分を抜粋して紹介したい(以下は田尻氏に提供いただいた翻訳をもとに、再構成し直したもの。なお前掲のホームページではトーク全編が視聴できる)。

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アンジェリカ・リデル
わたしは「美」というものを舞台で創造しようと思っています。それを探し求めてきました。でも、いまだに「美」という感覚の本質が分からないのです。そもそも「美」という感覚がなくなれば社会的危機はなくなると思っています。わたしが理解できないのは「美」に関する問題です。それと、「美」についてはいくらでも頭のなかで考えることができますが、それを舞台に載せるとなると、本当に難しいのです。三島由紀夫は人生における三つの要素「愛」「美」「死」の三角関係について述べています。このなかで舞台化するのが難しいのが「美」だと思います。ミケランジェロやダヴィンチが描いた美を舞台に載せることはできないと確信しています。役者は要りません。演じる人は要りません。中に何かを持っている人を使っています。今回、ダンサーのオーディションには700人が応募しましたが、その中から彼女たちが見つかったことは奇跡といえるでしょう。日本でもわたしが恋した役者は12人いました。わたしが役者を選ぶときには、わたしが恋する必要性があります。わたしが恋した人に声をかけると舞台に出てくれます。マサノリ、あなたはこの舞台に出ることに対して、どのように感じていますか?

 

菊沢将憲
アンジェリカからこうして欲しいという指示が来ます。その指示に基づいて動いていきます。最初は何も考えません。繰り返すのです。何回も何回も繰り返していくうちに、心の底から浮かび上がってくるものがあります。それを表現するのだと分かってきます。繰り返し、生きていくこと、表現していくことの繰り返し。今日も繰り返します。明日も繰り返していくでしょう。

 

リデルと長年活動を共にするシンドが『アンジェリカ ある悲劇』を観た際、そこには彼も見たことのなかったリデルただ1人だけの稽古風景が写っていたことに驚いたという。若き映画監督マヌエル・フェルナンデス=バルデスが独自の視点で切り取った映像は、リデルの演劇美学を知る上で大きな手がかりになるだろう。上映会終了後には、俳優・映画監督の菊沢将憲氏を招いたトークセッションを開催する。菊沢氏は創作に参加したレポート「現代の邪宗門─アンジェリカ・リデルとの旅─」(『シアターガイド』2016年12月号掲載)も綴っておられ、リデルと2ヶ月を共にした実際の創作プロセスについて話が聞けるのが今からとても楽しみである。


『アンジェリカ ある悲劇』   ANGÉLICA [UNA TRAGEDIA]

監督:マヌエル・フェルナンデス=バルデス

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© Manuel Fernández-Valdés

F/T15『地上に広がる大空(ウェンディ・シンドローム)』で大きな衝撃を与えたスペインの鬼才アンジェリカ・リデル。同作品が初演を迎えるまでの日々を追ったドキュメンタリー映画を特別上映。上映後には、今年7月にアヴィニョン演劇祭で初演されたアンジェリカ・リデル新作『わたし、この剣でどうしよう』に出演した菊沢将憲(俳優・映画監督)と横堀応彦(F/T プログラム・コーディネーター)によるトークセッションを開催します。

*本上映会は、セルバンテス文化センター東京主催「映画・音楽フェスティバル ドゥエンデ」のプログラムの一部として行われます。また2015年東京でのワークショップ実施にあたっては駐日スペイン大使館より、2016年アヴィニョン公演実施にあたっては国際交流基金よりご支援を賜りました。ここに記して御礼申し上げます。

上演時間:83分 カラー スペイン語(日本語字幕付き)
会場:セルバンテス文化センター東京 地下1階オーディトリアム
日程:12/1(木) 19:00~ 詳細・申込はこちら→