ヴァーサスアーカイブ

 よく分からなかったというか、あまり面白くなかったというと、なんだか自分が馬鹿であると公言しているようで気が引けてしまう。だが、もともと芸術なんて、この解釈が正しいとか間違っているなどということは本来あるはずがないもので、感じ方は各々の自由であるはずだ。それなのに、他人のブログやツイッター、時には評論を読んでついつい「答え合わせ」をしてしまう。あるいは、創り手が「分かる人にだけ分かればいい」なんて言い方をして、それを批評家が評価して、私一人が劇場でポツンと心もとない気持ちで座っている時などは、「お金払って、時間を割いてきたのに、分かんなきゃ分かんなくていいとか言われて、案の定分かんなくて、遠まわしに馬鹿だと罵られている気もして、私ここで何してるんだろう。」などと思うことがある。特にアフタートークなどを聞いている時はしばしばそういう気持ちになる。

表現でもなく、再現でもない。それらの狭間にありながら、そのどちらをも超越してしまっている何か――それが、私の印象だ。観劇後、冷たい雨に打たれ、暗い夜道を歩きながら、私は目の前に、先程までとは異なった世界が広がっているかのように感じた。
ロドリゴ・ガルシア氏による舞台作品『ヴァーサス』は、私の世界観を変えた。彼の作品は新鮮であり、パワーと情熱があった。しかし、実に不快なものだった。あらかじめ断っておくが、私は敬意をもって彼の作品について述べる。