F/T10会見コメント・テキスト版7:三浦基

会見コメント・テキスト版7:三浦基さんです

動画は⇒コチラです(会見動画8)

F/Tチャンネル

Q
続いて、三浦さんにお伺いしたいと思います。
三浦さんは今回、上演の戯曲をアントナン・アルトー(※1)の長編の戯曲ではなくて
後期のテキストをコラージュしたものをお使いになるということなんですけれど、
「なぜアルトーか」ということと、
その選択を通して「どういう新たな演劇に挑戦されようとしているのか」、
お伺いしたいと思います。


三浦
はい、三浦です。宜しくお願いします。

えーと「なぜアルトーなのか」という質問は、
「なぜこの人の作品を演劇にするんですか」っていうことだと思うんです。

それは例えば、アルトーがあるナニナニという戯曲を書いていれば、
その作品をやればいいんですけれど、
最近はその作家の全部、作家の書いたもの全部を対象にして
コラージュしたらいいんじゃないかという方向に向かっています。

そういう形で「作家論としての演劇・舞台」っていうものを
やってみたいと思っています。

その中にアルトーという人がいたんですけれども、
アルトーっていうのは、まあ、アントナン・アルトーという名前ぐらいは
聞いたことがあると思うんですね。

「演劇とその分身」っていう演劇論というかマニフェストを書いて
それが世界的に非常に影響を及ぼした演劇家というんですかね。
詩人でもあるんですけど。

それはもちろん僕も昔に、
若いときに、若いってもあれなんですけれど、
10年くらい前に読んだりして、
それなりに訳が分からないな、と思っていたんです。

そういうものを、敢えて、舞台で、演劇化してしまう。
演劇論を演劇化してしまう、っていうことを、
ちょっとやった方がいいんじゃないかな、っていう気がしています。

えーと、それは何故かというと、んー、ここがちょっと分かんないんですけど、
やっぱり僕はたぶんその、オーソドックスに演劇を考えようとしているんだけど、
当然演劇というのは色々なことが起こってるし、
メディアとしても全然変わってきてると思うし。
だからこのF/Tも、この今回の「演劇を脱ぐ」とかもあるんだろうし。

っていうことを考えるときに、少しどうやって演劇を照射していったらいいのか、
「エンゲキエンゲキっていうけれど演劇ってなぁに?」
っていうことを僕の場合はですね、
たぶんその王道の演劇作者が演劇論みたいなことから
捕らえようとしているのかな、という気がします。

まあ、その、アルトーに関して言えばそのやっぱり
ヨーロッパの文明・文明社会、ヨーロッパのものですから。
正直言わせてもらうと
現代演劇というのはヨーロッパのものですから。
発想としてはそもそも。

日本は日本で能とか歌舞伎とかの伝統がありますから
そういう中での文脈で語らないといけないと思うんですね。
なので「演劇とは何か」というよりも、
「現代演劇って本当に日本に必要なの?」
っていう気持ちで活動しているんではないでしょうか。
自己分析しますと。

まあ、作品的にはまだどういうふうになっていくのか、
構想を練っている最中で。

ドラマトゥルクには宇野邦一さん(※2)という専門家を迎えていまして。
後期の彼が精神疾患、分裂症、パラノイアになった状態の手紙とかの文献を主にして、「一人の演劇を考えようとした人の作品。その名前はアルトーでした」
っていうような入口から入ろうかなと思っています。


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(※2)
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